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多賀大社と在りし日の三浦芳聖家との神風串呂(№29)

この記事は、神皇正統家極秘伝神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。

串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。

ここでは、多賀大社(滋賀県犬上郡多賀町)と在りし日の三浦芳聖家(愛知県豊川市諏訪2丁目)とを結ぶ神風串呂をご紹介し詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!


1、地図検索で安城市古井町「天皇」を発見

地図検索で、愛知県安城市古井町の「天皇」という地名を発見しました。

早速、国土地理院発行の20万分の1の地勢図を広げて確認したところ、この「天皇」が

⛩多賀大社-松良天皇御陵(⛩神龍八幡大明神)-ありし日の三浦芳聖家

の線上に位置しているのを発見し、串呂の神秘的な世界に圧倒されました。

⛩多賀大社-天皇-松良天皇御陵(⛩神龍八幡大明神)-ありし日の三浦芳聖家

八大串呂起点のひとつである⛩多賀大社からの串呂は、「延命長寿法を昭示する神風串呂」でご紹介しましたが、今回はこの⛩多賀大社から三浦芳聖晩年の住所との神風串呂をご紹介します。

2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。

3、⛩多賀大社とありし日の三浦芳聖家との神風串呂

三浦芳聖師は、⛩多賀大社(滋賀県犬上郡多賀町多賀)と在りし日の三浦芳聖家(愛知県豊川市諏訪2丁目)とを串線すると下記のような串呂になると述べています。

🟡三浦皇統家大神宮とは三浦芳聖師の道場兼自宅のことです。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第6章

和田野(京丹後市)-正善寺(高浜町)-和田(高浜町)-阿弥陀山(高島市)-多賀大社(多賀町)-松永(木曽岬町)-天皇(安城市)-上地八幡宮(岡崎市)-願成寺(岡崎市)-松良天皇御陵・三浦芳聖師を祭祀する⛩神龍八幡大明神(豊川市)-在りし日の三浦芳聖家(豊川市)-和田辻(豊橋市)-和田地区(浜松市)

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第6章260頁、現住所に改め、一部研究の成果を盛込んだ。)

【地文のみ掲載】
和田野-正善寺-和田-阿弥陀山-多賀大社-松永-天皇-上地八幡宮-願成寺-松良天皇御陵・三浦芳聖師を祭祀する⛩神龍八幡大明神-在りし日の三浦芳聖家-和田辻-和田地区

【地文の解釈】
(1)和田野(わだの、京・京丹後市弥栄町)

弥栄町和田野
京都府京丹後市弥栄町 和田野(地図マピオン)

和田に同じ。他の「和田」とで和田四串の超特絶対確証の神風串呂を形成している。和田は、松良天皇の串呂上の符号(詳細後述)。

(2)正善寺(しょうぜんじ、福・大飯郡高浜町薗部) 

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福井県大飯郡高浜町薗部 正善寺(地図マピオン)

「卍正善寺」は、松良天皇の御名「正良」(まさよし)を表わす寺号。正善=まさよし=正良。

住所の「薗部」は、皇室を表わす「竹の園生」に通ずる地文で、天皇・皇后をあらわす「草冠」がついている。地図検索で発見した。

「正善寺」は、神武・応神・後嵯峨・後村上・松良五皇一体の八幡大明神三浦芳聖を表わす「正善」(坂井市春江町)と同文同種の地文である。

正良=まさよし=正善=善正=よしまさ=芳聖(よしまさ)。

この串呂は「多賀大社-松永-天皇-松良天皇御陵・三浦家墓地-三浦芳聖晩年の住所」で、この正善寺の正善は、松良天皇(正良・まさよし)と三浦芳聖(よしまさ)の両方を表わすと考えることができる。

(3)和田(わだ、福井・大飯郡高浜町)

高浜町和田
福井県大飯郡高浜町 和田(地図マピオン)

松良天皇の串呂上の符号(詳細後述)。他の「和田」とで和田四串の超特絶対確証の神風串呂を形成している。

【参考】松良天皇の父・小松天皇の串呂上の符号は「大和田」。

(4)阿弥陀山(あみだやま、滋・高島市安曇川町中野)

高島町阿弥陀山
高島市安曇川町 阿弥陀山(地図マピオン)

連想ゲームで「阿弥陀」と言えば「救済・救い」です。

【中級編】阿弥陀山=救済(救い)
この串呂の主体は、松永-松良天皇御陵-三河玉川御所です。この串呂上に「阿弥陀山」を串呂するのは、天授5(1379)年、この串呂線上の三河玉川御所(石巻本町和田辻)の崩壊に当って、松良天皇は、辛くも危難を逃れて助かったという事を表わしています。

また同時に、⛩多賀大社の大神の本地が阿弥陀如来であることも表わしています。仏教の本地垂迹説では⛩多賀大社の大神の本地は「阿弥陀如来」とされています。この事から、串呂地文としての「阿弥陀山」=「⛩多賀大社」であるといえます。

【参考】
ア、天保5年(1834)に、近江多賀大社から勧請された多賀壽命尊を祭る「愛知県田原市六連町の長仙寺の多賀壽命殿にまつられている御神体は、多賀明神(壽命尊)1体で、本地仏の阿弥陀如来と共に安置されている」という。

天保5年(1834)、近江多賀大社から、長仙寺の鎮守として、寺内の阿弥陀堂に多賀大明神を勧請し、長仙寺のみならず、半島内の鎮守として、多くの信者を集め、現在に至っている。 (長仙寺の歴史について

イ、なお、五皇一体の八幡大明神のうちの一人である「応神天皇」の本地も阿弥陀如来とされている(鶴岡八幡宮)。

八幡神・応神天皇=阿弥陀如来 『ウィキペディア(Wikipedia)』本地垂迹

(5)⛩多賀大社(たがだいしゃ、滋・犬上郡多賀町) 多賀大社HP

多賀大社
滋賀県犬上郡多賀町(地図マピオン)

多賀大社と言えば延命長寿の神であり助命・救済の神です。

ア、この「松永-天皇-松良天皇御陵-三河玉川御所」の串呂上に、多賀大社が在るのは、松良天皇が伊邪那岐命の直系皇孫(神皇正統嫡皇孫)であることを昭示しています。

イ、また、(4)阿弥陀山で考察しました様に、天授5(1379)年、この串呂上の三河玉川御所(石巻本町和田地区)の崩壊に当って、松良天皇は辛くも危難を逃れて助かったという事を表わしています。

ウ、多賀は松良天皇の串呂哲学上の符号です。
(【参照】山崎町御名と木曽岬町松永の神風串呂(№84)

⛩多賀大社は、旧官幣大社で、祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)。延命長寿の神として信仰される。

多賀大明神。多賀神社。俗称、お多賀さん。 八大串呂起点のひとつ。串呂哲学の世界では「助命の大神」。この串呂の守護神。

【俗謡】「お伊勢参ればお多賀へ参れ」「お伊勢お多賀の子でござる」
    「伊勢へ七たび、熊野へ三たび、お多賀さまへは月まいり」

【参照】多賀大社と後醍醐天皇御陵との神風串呂

(6)松永(まつなが、三・桑名郡木曽岬町)
松良天皇をあらわす串呂上の符号・諺文です。

松永についての詳細はこちらを参照ください。

「松永」は、松が永遠に繁茂する事をも意味するようだ。事実、松良天皇御陵のすぐ東側の旧東海道には、国の天然記念物に指定されている「御油の松並木」が生い茂っている。神風串呂の的確なる事に畏敬の念を禁じえない。『ウィキペディア(Wikipedia)』御油の松並木

木曽岬松永
三重県桑名郡木曽岬町 松永(地図マピオン)

(7)天皇(てんのう、愛・安城市古井町)
神皇正統の天皇を表わす。
この地名はインターネットの地図検索で発見しました。

日本の中心地である愛知県内の「天皇」ゆえ、他の神風串呂にも関連性を深く持つ地文と考えられますので、現在、鋭意研究中です。隣接して「本神ほんじん」「釈迦山」という地文があることに注意。

愛知県安城市古井町 天皇(地図マピオン)隣接して本神、釈迦山という地文がある

(8)上地八幡宮(うえじはちまんぐう、岡崎市上地町宮脇)
応神天皇、仁徳天皇、天照大神を祭神とする元暦元年(1184)に創建された神社で、この串呂を守護し立証している。

松良天皇御陵が、現在、三浦芳聖を祭る八幡大明神であることをあらわす地文とも云える。松良天皇御陵は、将来、三浦芳聖を祭神とする八幡大神宮となるであろうことを予見させる地文である。上地は、「上級、上等の場所」の意味に解釈できる。

上地八幡宮
愛知県岡崎市上地町(地図マピオン)

(9)願成寺(がんじょうじ、岡崎市上地町宮脇)
上地八幡宮に隣接する法華宗陣門流の寺院で、日本一の高さを誇る日蓮聖人御石像の寺として知られている。

願成寺は「願い事が成就する」を表わす地文。本尊は三宝尊。『ウィキペディア(Wikipedia)』願成寺

串呂を踏んで、多賀大社と松良天皇御陵(三浦芳聖を祭る八幡大明神)に参拝すれば、「願いごとがかなう!」に違いない。

ただし、その条件は、日に連なる(日蓮)ことが必須!「日に連なる」とは、日(神皇正統家)に連なる(忠誠である)ことであろう。

将来、願い事をかなえるために、この串呂を踏んで「松良天皇御陵(八幡大明神)、願成寺、上地八幡宮、多賀大社」を参拝して回る一日バスツアーが人気を呼ぶであろうことが予想できる。

(10)松良天皇御陵・三浦家墓地(愛・豊川市御油町筑前ケ谷)

三浦家墓地 (2)
松良天皇御陵・三浦家墓地(⛩八幡大明神)(地図マピオン)

元来は、松良天皇御陵「御坊塚・おんぼうづか」で、現在は、三浦家墓地(八幡大明神)となっている。

中西久次郎著『長慶天皇御聖蹟と東三河の吉野朝臣』によれば、後醍醐天皇に仕えた千種忠顕の一子・青木盛勝の子「青木平馬」が残した記録(青木文献)に、

寛成親王の皇子松良親王は三州五井美吉原に落ち給う。薬師寺建立の開基成り。成龍と号し給う。成龍は応永二十四年五月、御坊に崩ず。(原文漢字)松良親王五井御坊塚ニ納ム

とあり、松良天皇は、成龍法皇と名乗るお坊さんだったので、そのお墓は「御坊塚」(おんぼうづか)と呼ばれました。

建立以来、青木盛勝に仕えた細井信濃守のご子孫がお守りしてきたが、現在は三浦家が管理している。三浦芳聖も幼年時、父親に連れられて松良天皇御陵に参拝した事があると述べている。

この御陵を守護するかのように見事な榎の大樹が茂っている。大宝天皇が植樹されたものであれば、樹齢は600年以上ということになる。

松良天皇は、応永24年 (1417)5月24日崩御。

現在は三浦家の墓地となっていて、三浦芳聖もこの地に眠っている。地図で⛩八幡大明神となっているのは、三浦芳聖の帰幽後にお社を建立し、三浦芳聖を八幡大明神として祭ったからである。

この松良天皇御陵のすぐ東北部は、旧東海道が通っていて、御油の松並木(天然記念物)で有名なところである。

(11)在りし日の三浦芳聖家(愛・豊川市諏訪二丁目)

三浦家
愛知県豊川市諏訪二丁目(地図マピオン)

三浦芳聖は、昭和25年(1950)8月13日より昭和46年(1971)3月30日に帰幽するまでの約20年半、豊川市市田町諏訪林37番地(豊川市諏訪二丁目)に居住し、神風串呂講究所を開設し、神風串呂を解明し公表した。

三浦芳聖師の終焉の地でもある。 詳細はこちらを参照ください。 

(12)和田辻(わだつじ、愛・豊橋市石巻本町)

和田辻
愛知県豊橋市石巻本町(地図マピオン)

松良天皇の串呂上の符号。他の「和田」とで和田四串の超特絶対確証の神風串呂を形成している。

豊橋市石巻本町附近を昔和田郷と称したが、通称を玉川と称し今以って小学校を玉川小学校と云い、又部落名に和田と呼ぶ地域があってその名残をとゞめている。(藤原石山著『三河に於ける長慶天皇伝説考』46頁)

石巻本町の「和田辻」は、松良天皇の玉川御所があった所(『弓張風土記』石巻中学国語部)で、この神風串呂は松良天皇の実証の神風串呂である。

松良天皇の符号が「和田」であるのはここに由来する。この和田地内には「玉川」「御所」「広福」「若宮」という地名が現存している。

【参考文献】
前田 豊著『古代神都 東三河―日本の源流』第20章長慶天皇のこと (1996/4)

【参照】
藤原石山著『三河に於ける長慶天皇伝説考』(南朝史学会、1979年)64頁には、長慶天皇・松良天皇の「三河玉川御所」が、豊橋市石巻本町の和田地内に存在したことを考証している。また、当時、長慶天皇・松良天皇を奉戴していたのは、千種忠顕の子孫「青木和田尉盛勝」である事も記されている。

この石巻本町には、現在も御所、嵯峨、枇把、広福、出口、玉川、若宮、太夫橋、東家門、西家門などの地名が残っている。また、玉川小学校がある。

以上のことから、松良天皇と「和田」の地名とは、このように歴史的に深い関連性が存在していることが分かるのである。

(13)和田地区(わだちく、静・浜松市西区庄和町)

和田排水機
浜松市西区庄和町(YAHOO!JAPAN地図)

松良天皇の串呂上の符号。元来あった和田町は、静岡県浜松市西区庄和町に改称された。地図検索では「和田排水機場」の地名が残っている。

PDFがリンクしています。

他の「和田」とで和田四串の超特絶対確証の神風串呂を形成している。

この「和田」は、下記の神風串呂を参照ください。
【参照】皇大神宮内宮と小松天皇御陵の神風串呂

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

正善寺-和田野-和田-阿弥陀山-多賀大社-松永-天皇-上地八幡宮-願成寺-松良天皇御陵(⛩神龍八幡大明神)-在りし日の三浦芳聖家-和田辻-和田地区

豊川市御油町筑前ケ谷の御坊塚が、神皇正統第九十九代松良天皇の御陵であることを、和田四串(よつぐし)の超特絶対確証の神風串呂で、多賀大社の大神(阿弥陀如来)、上地八幡宮が立証し守護している。

また、三河玉川御所(石巻本町和田地内)が、松良天皇の東宮御所であり、天授5年(1379年)、三河玉川御所(石巻本町和田辻)の崩壊に当って、松良天皇は辛くも危難を逃れて助かった(阿弥陀山・多賀大社)という事を表わしています。

阿弥陀山(救済)-⛩多賀大社(延命)-松永-松良天皇御陵(⛩神龍八幡大明神)-在りし日の三浦芳聖家-松良天皇の玉川御所(石巻本町和田地内)

元来、実に神秘的な実証の串呂である上に、松良天皇の諱(いみな)正良を表わす「正善寺」や、正真正銘の「天皇」(安城市古井町)が発見され、さらに迫力が増したように思います。

神風串呂の主宰神である⛩皇大神宮内宮の神々を始めとする日本神界の神々は、いつか真実が分かるであろう。武力を用いることなく、平和裏に、神皇正統の天皇が、万人に認められる日が来ることを願って串呂を構築されたのだと思います。


💟皆様方の御支援に感謝しています!

読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。


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💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
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🔴バックナンバー(総合)

🟡情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№28)
🟢次号(№30)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会 
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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