無題7

山崎町御名と木曽岬町松永の神風串呂(№84)

🔴この記事は、神皇正統家極秘伝神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。

🔴串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。

🔴元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

🔴ここでは、「山崎町御名と木曽岬町松永との神風串呂」をご紹介しています。

🔴神風串呂(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

🔴串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。

🔴神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、群雄割拠の戦国時代(120年以上)に無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。




1、山崎町の御名から木曽岬町松永を鑑定する!

三重県桑名郡木曽岬町「松永」は、神皇正統第99代・松良天皇(正良)を表わす地文です。

兵庫県宍粟市山崎町の「御名」は、御名御璽(ぎょめいぎょじ)の御名ですから、御名=天皇の名(大辞泉)という意味で、串呂では、天皇をはじめ串呂至点(鑑定対象)の名前を鑑定する串呂起点です。

後醍醐天皇の御名は「三浦」(嫡皇孫は三浦)となっています!

「御名」-「湊川神社」-「後醍醐天皇御陵」-「三浦」(№15)

今回は、この「御名」から「松永」を鑑定する視点での神風串呂をご紹介します。

2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。

3、山崎町御名と木曽岬町松永との神風串呂

三浦芳聖は、名前の鑑定元の兵庫県宍粟市山崎町の「御名」と松良天皇を表わす三重県木曽岬町の「松永」とを結ぶと、下記のようになると述べています。

松良天皇については、松良天皇(正良) (№79)を参照ください。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第六章

「和田」-「和田」-「天王」-「和田北」-「定宗」-「多賀」-「御名」-「松永」-「京丸」

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第六章 240頁、現住所に改め、「天皇」は「天王」に訂正しました。三浦芳聖の著書で「天皇」となっているのは、旧版の地図には「天皇」と印刷されていたからです。

【地文の解釈】
(1)和田(わだ、島根県浜田市旭町)

浜田市旭町和田
島根県浜田市旭町(地図マピオン)

松良天皇の符号。他の「和田」「和田北」とで和田三串の絶対確証の神風串呂を構成している。「和田」が松良天皇の符号である事は、下記の和田についてを参照ください。松良天皇の御父・小松天皇の符号は大和田。

【参照】和田について

(2)和田(わだ、島根県邑智郡邑南町)

 邑南町和田
島根県邑智郡邑南町(地図マピオン)

松良天皇の符号。他の「和田」「和田北」とで和田三串の絶対確証の神風串呂を構成している。

(3)天王(てんのう、岡山県新見市哲西町矢田)国土地理院地図

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第一章

天皇(てんのう)に同じ。この岡山県新見市哲西町矢田の「天王」は、どのような「天皇」であったかを鑑定する重要串呂起点です。リンクの地図は右上の「地理院地図Vector」をクリックすると見られます。

八咫鏡(やたのかがみ)にちなんで「矢田の天王」(やたのてんのう)と呼んでいます。三浦芳聖の著書で「天皇」となっているのは、旧版の地図には「天皇」と印刷されていたからです。

矢田天王2
岡山県新見市哲西町矢田(MapFan)

【参照】矢田の天王に関する詳細はこちらをご覧下さい。

(4)和田北(わだきた、岡山県久米郡美咲町)

久米郡美咲町和田北
岡山県久米郡美咲町(地図マピオン)

松良天皇の符号。他の「和田」「和田」とで和田三串の絶対確証の神風串呂を構成している。

(5)定宗(さだむね、岡山県久米郡美咲町)

久米郡美咲町定宗
岡山県久米郡美咲町(地図マピオン)

宗家と定める。一時的な隠棲地ではありましたが、京丸の地を宗家(正統家)の行在所と定めたと解釈します。松良天皇が神皇正統の天皇であるという意味にもなります。

宗家(そうけ)は、ある一族、一門において正嫡(嫡流)の家系。またその家系の当主。本家。 『ウィキペディア』宗家

(6)多賀(たが、兵庫県佐用郡佐用町)

佐用町多賀
兵庫県佐用郡佐用町(地図マピオン)

多賀は、松良天皇の串呂の守護神「多賀大社」を表わす。多賀は、松良天皇の符号。

🟡多賀は松良天皇の串呂によく出て来る松良天皇の串呂上の符号です。
尊良天皇(甲辰年生れ)の符号は大高おおたか、大鷹、大多賀。
興国天皇(戊辰年生れ)の符号は小高こたか、小鷹。
松良天皇(甲辰年生れ)の符号は多賀たか

【参照】多賀大社と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂 (№29)
【参照】福山市松永町と遠州京丸の神風串呂(№88)

(7)御名(ごみょう、兵庫県宍粟市山崎町)

宍粟市御名
兵庫県宍粟市山崎町(地図マピオン)

御名御璽(ぎょめいぎょじ)の御名ですから、御名=天皇の名(大辞泉)という意味です。串呂では、天皇をはじめ串呂至点(鑑定対象)の名前を鑑定する串呂起点です。下記の串呂を参照ください。

【参照】後醍醐天皇の御名を鑑定する神風串呂 (№15)

(8)松永(まつなが、三重県桑名郡木曽岬町)

木曽岬町松永
三重県桑名郡木曽岬町(地図マピオン)

松良天皇をあらわす串呂上の符号・諺文です。

【参照】多賀大社とありし日の三浦芳聖家との神風串呂 (№29)

【参照】松永についての詳細はこちらを参照ください。

「松永」は、松が永遠に繁茂する事をも意味するようだ。事実、松良天皇御陵のすぐ東側の旧東海道には、国の天然記念物に指定されている「御油の松並木」が生い茂っている。神風串呂の的確なる事に畏敬の念を禁じえない。『ウィキペディア(Wikipedia)』御油の松並木

(9)京丸(きょうまる、静岡県浜松市天竜区春野町小俣)

京丸は、松良天皇の隠棲地のひとつで、この神風串呂は実証の串呂である。地文としては、「京」に「皇居のある土地。みやこ」の意味がある。

元中5年(1388)、足利義満率いる15万の大軍の猛攻に遭い、富士の皇居が落城したため、松良天皇は側近の臣下らと共に遠州京丸(浜松市天竜区春野町小俣)に集結して隠棲していた。小俣(こまた)は不便で困(こま)ったの意味。

応永元年(1394)遠州京丸で、第一皇子の美良親王(大宝天皇)が降誕し、皇太后が崩御した。(三浦家系譜)

【参照】福山市松永町と遠州京丸の神風串呂(№88)
【参照】舞鶴市大君と浜松市京丸の神風串呂(№89)
【参照】京丸(静岡県浜松市天竜区春野町小俣)

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

「和田」-「和田」-「天王」-「和田北」-「定宗」-「多賀」-「御名」-「松永」-「京丸」

松良天皇の御名は「和田」「多賀」であり、宗家(神皇正統家)と定める。松良天皇の行在所であった「京丸」を通る実証の、しかも和田三串の絶対確証の神風串呂です。下記の神風串呂と併せて考察しますと、理解が一層深まります。

木曽岬町の「松永」を「御名」から鑑定した所、和田三串で、矢田の「天王」「定宗」「多賀」「京丸」と的確なる地文が串線している神秘的な神風串呂です。正に神業です!串呂主宰神のご苦心が偲ばれます。

【参照】多賀大社とありし日の三浦芳聖家との神風串呂 (№29)
【参照】御調町公文と木曽岬町松永との神風串呂(№82)


🔴神風串呂を学びましょう!


💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志著)


🟡バックナンバー(総合)

🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№83)
🟢次号(№85)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。