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後醍醐天皇の御名を鑑定する神風串呂(№15)

この記事は、神皇正統家極秘伝神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。

串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。

ここでは、「宍粟市御名と後醍醐天皇塔尾陵との神風串呂」についてご紹介しています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!


1、名前を鑑定する地文「御名」(ごみょう)

御名御璽(ぎょめいぎょじ)という言葉があります。ご存じの事と思いますが、「天皇の名前と印章」のことです。串呂哲学では、名前を鑑定する串呂起点の筆頭は「御名」(ごみょう)です。

日本国内には2カ所の「御名」が有りますが、その代表的な地名は、兵庫県宍粟市山崎町の「御名」です。

今回は、この「御名」から、まことに畏れ多かれども、後醍醐天皇の吉野の塔尾陵(とおのおりょう)を結んで、後醍醐天皇(尊治)の「お名前」を鑑定する神風串呂をご紹介します。

後醍醐天皇は、「第96代の天皇および南朝初代天皇。元弘の乱で鎌倉幕府を倒して建武新政を実施したものの、間もなく足利尊氏との戦い建武の乱に敗れたため、大和吉野へ入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立し、尊氏の室町幕府が擁立した北朝との間で、南北朝の内乱を開始した。」      (『ウィキペディア(Wikipedia)』後醍醐天皇

2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。

3、宍粟市御名と後醍醐天皇塔尾陵との神風串呂

三浦芳聖は、兵庫県宍粟市山崎町「御名」と「後醍醐天皇塔尾陵」を結ぶと下記のような串呂になると述べています。

御名(宍粟市)-湊川神社(神戸市)-後醍醐天皇塔尾陵(吉野町)-三浦(紀北町)

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』68頁、現住所に改めた)

【地文のみ掲載】
「御名」-「⛩湊川神社」-「後醍醐天皇塔尾陵」-「三浦」

【地文の解釈】(地名に地図がリンクしています。)
(1)御名(ごみょう、兵・宍粟市山崎町)
名前を鑑定する串呂起点。御名御璽(ぎょめいぎょじ)の御名ですから、「御名=天皇の名(大辞泉)」という意味です。串呂では、天皇をはじめ串呂至点(鑑定対象)の名前を鑑定する串呂起点です。

宍粟市御名
御名(兵・宍粟市山崎町)(地図マピオン)

現在、存在が判明している「御名」という地名は、兵庫県宍粟市山崎町御名と福井県敦賀市御名の二つです。

このうち、兵庫県宍粟市山崎町の「御名」は、早くから判明していて、この山崎町の「御名」に関連した串呂は、三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』にたくさん出ています。

この他に名前を鑑定する地名としては「公文名」という地名があります。
公文名は、「くもんみょう、くもみょう、くもんな」と読みますが、名前を鑑定する地文のひとつです。

*福井県敦賀市公文名
*京都府舞鶴市公文名
*富山市公文名
*静岡県裾野市公文名
の4ヶ所を確認しています。

(2)⛩湊川神社(みなとがわ神社、神戸市中央区多聞通)       祭神は、南朝大忠臣「楠木正成公」を祀る神社で元別格官幣社。地元では「楠公(なんこう)さん」と呼ばれています。

この神風串呂の守護神であると共に、祭神の楠木正成公の子孫のDNAも、婚姻を通じて三浦家に入っていますので、楠木正成公が三浦家の遠祖であることは間違いありません。 『ウィキペディア(Wikipedia)』湊川神社

【参照】楠木正成公の子孫については下記を参照ください。

三浦義勝五世の嫡孫、楠木正成六世の孫
 三浦義勝-義利-宗正-宗明-佐久姫
 楠木正成-正行-正光-正親-冬子-三浦佐久姫
(加茂喜三著『富士"隠れ南朝"史』 318頁 富士地方史料調査会)

湊川神社
湊川神社(神戸市中央区多聞通)(地図マピオン)

神戸市中央区多聞通に湊川神社が建立されたのは、延元元年/建武3年5月25日(1336年7月4日)、湊川の戦い「摂津国湊川(現・兵庫県神戸市中央区・兵庫区)で、九州から東上して来た足利尊氏・足利直義兄弟らの軍と、これを迎え撃った後醍醐天皇方の新田義貞・楠木正成の軍との間で行われた合戦」で、正成と正季兄弟らが刺し違えて自害した事跡によります。
『ウィキペディア(Wikipedia)』湊川の戦い

(3)後醍醐天皇塔尾陵(奈・吉野郡吉野町吉野山1024 如意輪寺内)
塔尾山椿花院如意輪寺裏山にある北面の御陵。

塔尾御陵
後醍醐天皇塔尾陵

後醍醐天皇、諱は尊治(たかはる)。 大覚寺統の天皇。第96代の天皇および南朝初代天皇。元弘の乱で鎌倉幕府を倒して建武新政を実施したものの、間もなく足利尊氏との戦い建武の乱に敗れたため、大和吉野へ入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立し、尊氏の室町幕府が擁立した北朝との間で、南北朝の内乱を開始した。(『ウィキペディア(Wikipedia)』後醍醐天皇

後醍醐天皇御陵
後醍醐天皇陵(奈・吉野郡吉野町)(地図マピオン)

(4)三浦(みうら、三重県北牟婁郡紀北町) 
三浦氏をあらわす。この紀北町の「三浦」は、三野瀬の三浦といいますが、三浦皇統家や三浦芳聖に関連した串呂上の重要地文です。

紀北町三浦2
三浦(北牟婁郡紀北町)(地図マピオン)

4、この串呂の解釈と哲学的考察

「御名」-「湊川神社」-「後醍醐天皇塔尾陵」-「三浦」(紀北町)

後醍醐天皇の嫡皇孫の御名は三浦であると解釈致します。南朝大忠臣「楠正成公」奉斎の湊川神社は、この串呂を守護し証明しているお宮です。

宮=ウ冠+呂・・・天(屋根)が串呂を守護している。ウ冠は串呂を守護する天(神)とか雨を防ぐ屋根を表わす。例、空・宇宙・家・守

三浦芳聖が、後醍醐天皇の嫡皇孫であることを昭示している神風串呂です。

【参照】天皇蒙塵の府・大門と三浦名との神風串呂 (№7)
宗心」-「大宝天皇蒙塵の地・牧平大門」-「三浦名

南朝大忠臣・楠木正成公を祭神とする神戸の湊川神社は、この串呂の守護神です。祭神の楠木正成公のDNAも、婚姻を通じて三浦家に入っていますので、楠木正成公は三浦家の遠祖であります。

三浦義勝五世の嫡孫、楠木正成六世の孫・三浦佐久姫(大宝天皇皇后)
  三浦義勝-義利-宗正-宗明-佐久姫
  楠木正成-正行-正光-正親-冬子-佐久姫
(加茂喜三著『富士〝隠れ南朝〟史』318頁 富士地方史料調査会)

この「御名」-「三浦」の串呂の守護神として三浦家の遠祖である楠木正成公を祭神とする湊川神社が串呂しているのは、深淵なる神はかりであると思います。

この串呂線上には、「三浦芳聖の母・元子の墓跡」(兵庫県神戸市高坐)が存在すると、三浦芳聖の著書に出ていますが、宅地造成等のため移転せられ、現在は存在しませんので、削除させて頂きました。

この「御名」-「湊川神社」-「後醍醐天皇塔尾陵」-「三浦」の串呂を理解するには、後醍醐天皇や楠木正成に関する歴史を学ぶことから始めなければなりません。

串呂は日本史の常識を踏まえて構築されていますので、なぜ吉野に後醍醐天皇の御陵があるのか、なぜ神戸に湊川神社があるのかを知らなければ、この串呂の哲学的考察は不可能です!

【参考】歴史の大きな流れをつかもう!
『ウィキペディア(Wikipedia)』後醍醐天皇
『ウィキペディア(Wikipedia)』楠木正成
『ウィキペディア(Wikipedia)』湊川神社
『ウィキペディア(Wikipedia)』桜井の別れ
『ウィキペディア(Wikipedia)』湊川の戦い

神風串呂史観からは、後醍醐天皇の吉野への臨幸も、楠木正成の湊川の合戦も、偶然に起きた現象ではなく、神風串呂を構築するための布石であったということになります。

神風串呂を構築するために日本の歴史が展開してきたとしますと、その青写真に従って要所要所にふさわしい地文(地名)を設定して行く作業が行われてきたわけです。

この「御名」-「⛩湊川神社」-「後醍醐天皇塔尾陵」-「三浦」の串呂を見るだけでも、そこに神霊界の並々ならぬご努力のあったことを垣間見ることができます。

神々は一体いかなる目的のために神風串呂をお創りになったのでしょうか!串呂哲学の要諦はこの一点の理解にあると言えます。


🔴神風串呂を学びましょう!

串呂哲学研究会では、今日では入手不可能な三浦芳聖師の著書を復刻するのに多くの時間と労力を掛け、採算を全く考慮せず、串呂図、表紙画像、系図、中扉などのCG画像作成のために多くの費用を掛けて参りました。

これは、我が日本国と日本民族の将来を案ずればこそであります。皇祖神・天照大御神が、私達日本民族のために、苦心惨憺、長期間を掛けて構築して下さった神風串呂を学びましょう!


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💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志)


🔴バックナンバー(総合)

🟡情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№14)
三浦佐久姫 ・大宝天皇皇后
🟢次号(№16)
延命長寿法を昭示する神風串呂

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会 
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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串呂哲学研究ノート(鈴木超世志)
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