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💟延命長寿法を昭示する神風串呂(№16)

🎀串呂哲学研究ノート 第16号

このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)について記述したものです。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。

串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。 地名(地文ちもん)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

👑ここでは延命長寿の大神「⛩多賀大社」を起点とする延命長寿法を昭示する神風串呂をご紹介し、詳しい解説をしています。🌈🌷🥰💟💌

🎁絶体絶命の危機を撥ね退け、奇跡の延命長寿をもたらす秘伝中の秘伝の伝授公開です!

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、群雄割拠の戦国時代(120年以上)に無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。


🔴なぜ神風串呂は構築されたのか!



1、延命長寿を表わす地文「助命」について 

奈良県山辺郡山添村に助命(ぜみょう)というユニークな地名があります。助命という地名は日本国内では唯一ここだけで、串呂の世界では文字通り「助命(じょめい)=命を助けること=延命長寿」を表わす地文です。

今回は、この山添村の助命という地文にまつわる延命長寿法を昭示する秘伝中の秘伝の神風串呂をご紹介します。

わが国には延命長寿の御利益があるとされる神社がたくさんありますが、神風串呂の世界では、滋賀県犬上郡多賀町の多賀大社を一番に挙げています。

多賀大社の祭神は、伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)、伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)の二柱の神で、多賀大社のHPには、下記の様に出ています。

古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社です。日本最古の書物「古事記」によると、この二柱の大神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、日本の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられました。生命(いのち)の親神様であることから、古く「延命長寿・縁結び・厄除け」の神様として信仰を集め、鎌倉時代から江戸時代にかけては、武家や民衆にも信仰が広まり、多賀大社の分祀社は全国239社を数えます。

この多賀大社を起点にして、山添村の助命を通る「延命長寿法を昭示する秘伝中の秘伝の神風串呂」をご紹介します。


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2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

初めての方は、下記の記事を参照してください。


3、延命長寿法を昭示する神風串呂

三浦芳聖は、延命長寿の大神、伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)、伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)を祭神とする「多賀大社」を起点にして、奈良県山辺郡山添村「助命」に串呂すると次の様になると述べています。

⛩多賀大社(多賀町)-西山(伊賀市)-助命(山添村)-西山(宇陀市)-後醍醐天皇塔尾陵(吉野町)-山西(天川村)-三浦(十津川村)

(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』155頁、現住所に改めた。)

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第四章

【地文のみ掲載】
⛩多賀大社-西山-助命-西山-後醍醐天皇塔尾陵-山西-三浦

【地文の解釈】(地名に地図がリンクしています。)
(1)多賀大社(たがだいしゃ、滋・犬上郡多賀町) 多賀大社HP

多賀大社
滋賀県犬上郡多賀町(地図マピオン)

旧官幣大社で、祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)。延命長寿の神として信仰される。多賀大明神。多賀神社。俗称、お多賀さん。この串呂の守護神。

串呂哲学の世界では「助命の大神」、 八大串呂起点のひとつ。
【俗謡】「お伊勢参ればお多賀へ参れ」「お伊勢お多賀の子でござる」
    「伊勢へ七たび、熊野へ三たび、お多賀さまへは月まいり」

(2)西山(にしやま、三・伊賀市)

伊賀市西山
三重県伊賀市西山(地図マピオン)

「日は西山に没す」という文句のように、神風串呂では「西山」は神皇正統の天皇(大日)が民間に隠れること(天子蒙塵)を表わす。宇陀市の「西山」天河村の「山西」とで「西山」三串の絶対確証の神風串呂をあらわす。

(3)助命(ぜみょう、奈・山辺郡山添村)

助命
奈良県山辺郡山添村 助命(地図マピオン)

「命(いのち)を助ける」すなわち生命を救助することを言う。三浦芳聖がこの神風串呂を踏んで、まず後醍醐天皇の塔尾陵 に参拝して助命祈願の秘法祭祀を厳修し、続いて延命長寿の「多賀大社」で助命祈願の秘法祭祀を厳修すると、絶体絶命の死すべき運命を転換して延命することが出来た。

(4)西山(にしやま、奈・宇陀市大宇陀)

大宇陀西山
奈良県宇陀市大宇陀 西山(地図マピオン)

西山(伊賀市)に同じ。伊賀市の「西山」、天河村の「山西」とで「西山」三串の絶対確証の神風串呂をあらわす。

(5)後醍醐天皇塔尾陵(奈・吉野郡吉野町大字吉野山如意輪寺裏山)

後醍醐天皇御陵
吉野郡吉野町 如意輪寺裏山(地図マピオン)

塔尾山椿花院如意輪寺裏山にある北面の後醍醐天皇の御陵。

後醍醐天皇、「諱は尊治(たかはる)。 大覚寺統の天皇。第96代の天皇および南朝初代天皇。元弘の乱で鎌倉幕府を倒して建武新政を実施したものの、間もなく足利尊氏との戦い建武の乱に敗れたため、大和吉野へ入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立し、尊氏の室町幕府が擁立した北朝との間で、南北朝の内乱を開始した。」(『ウィキペディア(Wikipedia)』後醍醐天皇

(6)山西(やまにし、奈・吉野郡天川村)

天川村山西
奈良県吉野郡天川村(地図マピオン)

山西=西山。西山(伊賀市)に同じ。伊賀市の「西山」、宇陀市の「西山」とで「西山」三串の絶対確証の神風串呂をあらわす。

(7)三浦(みうら、奈・吉野郡十津川村大字)

十津川村三浦
奈良県吉野郡十津川村(地図マピオン)

三浦氏をあらわす地文。串呂哲学の世界では、「後醍醐天皇の御名は三浦である」という設定になっていて、後醍醐天皇以降の神皇正統の天皇の重要串呂に「三浦」という地文が出てきます。串呂哲学では三浦=天皇と言っても過言ではありません。

🟡後醍醐天皇の御名を鑑定する神風串呂 (№15)
「御名」-「⛩湊川神社」-「後醍醐天皇御陵」-「三浦」(紀北町)

また(7)の三浦と下記の三浦峠は同じ十津川村の三浦地区にありリンクしています。

🟡皇大神宮内宮から「佐久」を鑑る! (№6)
三浦峠(十津川村)-皇大神宮内宮-大御神

三浦=御裏(みうら)=天皇 
内裏(だいり)とは、古代都城の宮城における天皇の私的区域のこと。御所(ごしょ)、禁裏(きんり)、大内(おおうち)などの異称がある。  『ウィキペディア(Wikipedia)』内裏

裏は天皇とか御所に通ずる言葉です。(♬お内裏様とお雛様~)

【参照】三浦(みうら)について


4、この串呂の解釈と哲学的考察

⛩多賀大社-西山-助命-西山-後醍醐天皇塔尾陵-山西-三浦

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』155頁に〔此処は私(三浦芳聖)が門人等の「助命祭祀」を厳修する神風串呂線上であります。〕と出ています。

三浦芳聖の門人や縁者が、病気や事故あるいは不祥事を起こし、絶体絶命の危機に瀕して延命が必要な時に先ず後醍醐天皇の塔尾陵 に参拝して祭祀を厳修し、引き続き多賀大社に参拝して助命祭祀を厳修する事で、絶対絶命の命を救うことが出来た神風串呂の秘伝中の秘伝です。

この串呂を踏めば、誰でも「助命」が可能かどうかは確答できませんが、先ず後醍醐天皇の塔尾陵 に参拝して一心に祈念を込め、次に多賀大社に昇殿参拝してご祈祷を受けることで、「助命祭祀」の代わりとすることができるのではないかと思います。あとは神風串呂に対する全幅の信頼があるかどうか至誠が通神するかどうかです。

地文学からの解釈としては「神皇正統の天皇(大日)は、後醍醐天皇を最後に西山に没し、民間に隠れた(天子蒙塵)が、その皇統の命脈は保たれ(助命)、三浦と称している(富士大宮司家の三浦佐久姫が天皇を助けた)。多賀大社は、この串呂の守護神で、西山三串の絶対確証の神風串呂です。

よくまあこれだけの地名(村落・神社・御陵)を一方角線上に配置できたと神風串呂を構築して来られた神様に対し、感謝の気持ちがあふれて来ます。人為的に構築しようとしても絶対無理です!不可能です!

三浦芳聖は不明であった遠祖の終焉の地を確定する為に、相当のエネルギーを使いましたが、彼の超能力を以てしても、どうしても分からない遠祖の終焉の地が有り、天照大御神に教えて下さるようお願いした時の事です。天照大御神様は「串呂を引いてみよ」と一言仰せになられただけでした。

三浦芳聖という超能力者は、串呂の解明に生涯の精魂を尽くしたと述べています。なぜなら、天照大御神様がお創りになられた串呂であること、串呂を解明すると天照大御神様がとてもお喜びになられることを誰よりもよく知っていたからです!

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると天照大御神様がとてもお喜びになられます。



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串呂哲学研究ノートは、読者の皆様方の財政的ご支援により調査研究・執筆活動が維持されています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。読者の皆様方の絶大なるご支援に感謝しています!


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🟡情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№15)
🟢次号(№17)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会 
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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