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三浦佐久姫 ・大宝天皇皇后 (串呂哲学研究ノート№14)

💟ご挨拶

この記事は、神皇正統家しんのうしょうとうけ極秘伝ごくひでん神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。

串呂クシロ(かんろ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

各地を行脚した大御神(元伊勢伝承)

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

神風串呂は、地文ちもん(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、神国日本再建のために皇祖神によって構築されました。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。

ここでは、「神皇正統第百代 大宝天皇皇后・三浦佐久姫」についてご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。



1、概説

 三浦佐久姫は、神皇正統第百代、大宝天皇(美良)の皇后。富士大宮司三浦家の第61世の嫡女、三浦義勝5世の嫡孫、楠木正成6世の孫。父は三浦宗明、母は楠木正親の女・冬子。

永享10年(1438年)戊午、大宝天皇(美良)が、愛知県岡崎市切越町に隠棲し、後世直系皇孫に神武・応神・後嵯峨・後村上・松良、五皇一体の八幡大明神を降誕せしめて必ず天下を平定し給わん事をと、大般若600巻を念書して、皇威回復を熱祷祈願されるに当たり、三浦家の一族郎党を引き連れて、物心ともに大宝天皇を支えられました。

大宝天皇の満16年間にわたる大般若600巻の写経が満願に達した享徳3年(1454年)、大宝天皇と共に愛知県岡崎市牧平町大門に移住されました。

富士大宮司三浦(宮下)家の中興の祖、三浦義勝は、後醍醐天皇の建武の中興(鎌倉幕府の倒幕計画)の大業に参画し、南朝秘密裏大将として新田義貞と共に鎌倉攻めに活躍するなど粉骨砕身奮闘されました。(長慶天皇紀略)

その当時の富士大宮司家は、山梨県富士吉田市大明見にあり、南朝の秘密拠点でありました。神皇正統第98代小松天皇の皇后元子内親王(興国天皇皇女)は、この南朝の隠れ城(小室宮下の館)にてご降誕されました。(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』187頁)

また神皇正統第99代松良天皇(正良)は、山梨県都留市法能でご降誕されました。(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』228頁)



2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。


3、大宝天皇の皇后「三浦佐久姫」の系譜

皇后富士大宮司三浦氏の第六十一世の嫡女三浦佐久姫
(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(291頁)

三浦義勝五世の嫡孫、楠木正成六世の孫
  三浦義勝-義利-宗正-宗明-三浦佐久姫
  楠木正成-正行-正光-正親-冬子-三浦佐久姫
(加茂喜三著『富士〝隠れ南朝〟史』318頁 富士地方史料調査会)

また、三浦芳聖の他の著書には「応神天皇の第二皇子大山守皇子より五十七世の嫡孫、富士大宮司、富士十二郷の総地頭・無二心八将の一人、南朝秘密裏大将、三浦義勝の嫡孫三浦佐久姫」「三浦家の系図には木花咲耶姫命の再現と記されてあった」とあります。(『日本歴史の誤謬を正す』緒言3頁)

三浦義勝は大多和義勝(六左衛門尉義行)と同一人物です。

富士市の歴史研究家である加茂喜三氏は、『富士〝隠れ南朝〟史』(富士地方資料調査会318頁)に「『宮下文書』は、大宝天皇の皇后はこの富士浅間宮大宮司三浦義利の子孫の宗明が楠木正光の孫冬子姫を娶って生んだ佐久姫で、兄宗泰の一子明竹は小豆坂の戦いで討死したと記している。」と述べています。

三浦芳聖の著書には、大宝天皇に最後まで付き従っていた臣下の一人に、「富士大宮司家の子孫、相州城主三浦時晴」がいたと出ています。三浦宗明と三浦時晴が同一人物かどうかは分かりませんが、この時代は身の危険を避けるために名前を変えること多かったので、同一人物の可能性は大いにあります。

宗明を分解すると、ウ冠+示(じ)・日+月、時晴を分解すると、日+寺(じ)・日+主+月となります。推測の域を出ませんが、この両者は、まず同一人物の可能性が強いと思います。

🟡三浦氏略系譜(長慶天皇紀略)
🟡『ウィキペディア』大多和義久(大多和義勝の先祖)
🟡楠木氏略系譜(長慶天皇紀略)

4、伊久智神社の祭神「木花佐久耶姫」

伊久地神社
伊久智神社(愛知県知多郡東浦町大字生路字森腰79)

富士大宮司家(三浦氏)の忠臣らは、愛知県知多郡東浦町大字生路に土着・百姓となり、三浦佐久姫を木花佐久耶姫として祀り「伊久智神社」と称した。神社に隣接して「神后庵」という本地仏を祀る菩提寺がある。  (『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第7章第11節の写真頁の解説より)

伊久智神社」、創建年不詳。 1454年(享徳3年)長坂近江守等が社殿を修造した記録が残っている。享徳3年は大宝天皇(皇后佐久姫)が切越から牧平大門へ移住した年である。「伊久智神社」の所在地は、東浦町大字生路字森腰79。

伊久地神社由緒

神社名:伊久智神社
鎮座地:愛知県知多郡東浦町大字生路字森腰79
御祭神:木花開耶姫尊(木花咲夜姫)、塩土老翁神(塩土翁)
社格:旧村社

5、三浦佐久姫の和歌

君住めば千とせの秋も三河水曇らぬ月のかげやどるらむ
(『日本歴史の誤謬を正す』第七章8頁)

大宝天皇の下記の御製「三河水」を歌った皇后の和歌と伝えられています。
九重の砌をめぐる三河水住み越し末は絶えじとぞ思ふ

6、三浦佐久姫の神風串呂

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 序文

(ア)皇大神宮内宮と牧平大門の神風串呂
(イ)石清水八幡宮と牧平大門の神風串呂
(ウ)皇太神宮内宮と佐久の神風串呂
(エ)皇大神宮内宮と藤太夫島の神風串呂


🟢明治天皇の神風串呂


💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志著)
🟡串呂文庫 コピーサービスのお知らせ 串呂哲学研究会


🟣串呂哲学研究ノートバックナンバー

🔴情報拡散のお願い

 この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
 三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

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串呂哲学研究会 鈴木超世志
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読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。