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三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 №1(序文 第1分冊)


巻頭写真

『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』原著 表紙
『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』原著写真

復刻版 発行のご挨拶

昨令和3年(2021年)3月30日、三浦芳聖みうらよしまさ師の50年祭が無事り行われ安堵あんどいたしておりました所、はからずも本年(2022年)2月18日早朝、「昨年末日を以て三浦芳聖師の著作権ちょさくけんが失効したので必要に応じて復刻するがよい!」との天啓てんけいこうむりました。

おろかにも私は、三浦芳聖師の著作権は70年間と思い込んでおりましたので、びっくりして著作権法を調べた所、三浦芳聖師の著作権は天啓通り50年間である事が判明しました。

そこで、串呂哲学研究会有志で相談致しました所、まず最初に、三浦芳聖師が生涯の精魂せいこんを傾けて解明した神風串呂の集大成『徹底的に日本歴史の誤謬ごびゅうただす』(神風串呂講究所)をデジタル化して復刻する運びとなりました。

これを具体的に申しますと、本文を横書きにテキスト化して難読漢字に読み仮名を付し、巻頭系譜および最新住所に改めた串呂図をCG化しました。

note.comブログでは、一記事に添付てんぷ可能な画像の枚数に上限がありますので全18分冊に編集し、原著には掲載されていない串呂図や系図、WEB地図や写真・画像を掲載し、地図や資料のサイトをリンクしました。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬ごびゅうただす』は、今から52年前(1970年10月)に限定出版された著書で、今日では入手困難な希書きしょですので、この復刻版の出版により一人でも多くの方々にご講読いただくことになれば、これに勝る喜びはございません。

本書をご講読下さった皆様方に串呂主宰神(天照大御神)からの祝福が燦々さんさんと降り注がれますよう祈念しています。
(串呂哲学研究会 鈴木すずき超世志ちょうせいし


凡 例

🟢旧漢字は固有名詞等の一部を除き新漢字に変換し、旧仮名づかいは新仮名遣いに変換しました(國→国、ふ→う)。「寺野ちゝ薬師」以外の「ゝ、ゞ」は普通の文字で表記し、卅→三十、廿→二十、拾→十、皈→帰、壽→寿、竝→並などと表記しました。横書き用記述に合わせて「串呂地文連記」の東西・南北の方向を反転した場合もあります。本文中の引用箇所は、「 」『 』【 】で明確にしました。
🟢改行で一行空けるようにし、さらに適宜てきぎ改行を補い、難読漢字にはルビを付し、句読点や括弧かっこ等を補い、見出しを付け、原著にはない串呂図や系図、写真・画像、WEB地図、記号(⛩)、絵文字(🟠)等を挿入し、資料先のサイトをリンクしました。頁数は復刻版独自の頁数で原著とは関連していません。
🟢明らかに誤字・脱字・誤記と判明している箇所は訂正し、個人情報保護の為に固有名詞などの関係個所を一部削除したり簡略化しました。
🟢金ヶ崎神宮→金崎神宮と表記し興国こうこく天皇践祚せんその日を延元二年二月五日と改めました。
🟢三浦芳聖師は、遠祖の人生を追体験ついたいけんする為に一人で何役(尊良たかなが天皇、興国こうこく天皇)も務めたようですが、誤解を避ける為「神武・応神・後嵯峨・後村上・松良五皇一体」で統一しました。また「五皇一体」と簡略表記した箇所もあります。
🟢串呂図の地名・住所は最新のものを表記し、本文中の住所も文意を損なわない限り最新住所を記載しました。府県名を省略した場合もあります。
🟢編集上の注記として挿入した箇所は〔編集者注記〕、消滅したり変更された地名は〔現在不明・廃村消滅か〕、地名を特定する為に「高松町〔田原市〕」のように記載し、和暦われき皇暦こうれきの後に西暦を挿入しました。例〔1370年〕。


目 次

巻頭画像(原著表紙・著者真影)
復刻版 発行のご挨拶
凡 例
神皇正統しんのうしょうとう皇統こうとう(系譜)
南朝副統なんちょうふくとう王統おうとう(系譜)
序 文
其の壱 神皇正統第五十世尊良天皇顕彰
    附 再現芳聖の串呂の一部

第一章 尊良天皇顕彰の神風串呂
  
第一節 尊良親王が皇位を継承し給いし経緯
  第二節 「金崎神宮」が「尊良天皇」奉斎の神宮である事を立証する串呂
  第三節 「尊良天皇」奉斎の「金崎神宮」と「皇大神宮内宮」との神風串呂
  第四節 「金崎神宮」と「後醍醐天皇御陵」との神風串呂
  第五節 「金崎神宮」と岡山県新見市哲西町「天王」との神風串呂
  第六節 「金崎神宮」と「尊良天皇御陵」との神風串呂
  第七節 「金崎神宮」と「石清水八幡宮」との神風串呂
  第八節 「尊良天皇」とその再現「三浦芳聖」との関連の神風串呂
  第九節 「尊良天皇」が「高御位」に登極された事を立証する神風串呂
  第十節 「高甲良山」と「尊良天皇」再現「三浦芳聖」との神風串呂
  第十一 節 「尊良天皇」隠祀の「寺野ちゝ薬師」と之に関連する串呂
第二章 「八尺鏡」に関する神風串呂 
  
第一節 「八尺鏡野」と「三浦芳聖家」との串呂及び「石鏡」に就いて
  第二節 「八尺鏡野」と「三浦芳聖」の諺文「正善」との串呂
  第三節 「三浦芳聖」の諺文「正善」と「由良」の解明
  第四節 「八尺鏡野」と「皇大神宮内宮」との直々の神風串呂
其の弐 神皇正統第九十七代第五十一世興国天皇顕彰
第三章 興国天皇顕彰の神風串呂 
  
第一節 守永親王が皇位を継承し給いし経緯
  第二節 「興国天皇」(御名守永)の神風串呂
其の参 神皇正統第九十八代第五十一世小松天皇顕彰
第四章 小松天皇顕彰の神風串呂 
  
第一節 興良親王が皇位を継承し給いし経緯
  第二節 「小松天皇」の神風串呂
第五章 小室門院元子媛命顕彰の神風串呂
  第一節 小室門院元子媛命御陵(通称妙覚塚)発見の経緯
  第二節 小室門院元子媛命御座所の神風串呂
  第三節 小室門院元子媛命御陵(通称妙覚塚)の神風串呂
其の四 神皇正統第九十九代第五十二世松良天皇顕彰
第六章 松良天皇顕彰の神風串呂
  松良天皇御製・神霊写真
  第一節 序説
  第二節 松良天皇御降誕地の神風串呂
  第三節 松良天皇諺文「正吉」の串呂
  第四節 松良天皇が天津日嗣の高御位に登極されたことを立証する神風串呂
  第五節 松良天皇が正真正銘の天皇であらせらるることを立証し給う神風串呂
  第六節 松良天皇行在所「京丸」の串呂
  第七節 松良天皇行在所「萩」の串呂
  第八節 聖龍法皇(松良天皇)御隠棲の萬松山大通寺薬師堂の串呂
  第九節 松良天皇御陵の神風串呂
  第十節 松良天皇皇后綾子姫命御陵(通称上臈塚)の神風串呂
其の五 神皇正統第百代第五十三世大宝天皇顕彰
第七章 大宝天皇顕彰の神風串呂
  
大宝天皇御製・串呂図
  第一節 大宝天皇が牧平大門に蒙塵し給いし経緯
  第二節 大宝天皇最後の御座所を立証する串呂
  第三節 大宝天皇の号「宗心」と後称「三浦藤太夫」を立証する串呂
  第四節 大宝天皇御名「美良」の諺文「吉良見」と主要各方面との串呂
  第五節 茨城県の「大宝」と主要各方面との串呂
  第六節 愛知県の「大宝」と主要各方面との串呂
  第七節 大宝天皇の御家を顕わす「幸房」と主要各方面との串呂
  第八節 大宝天皇御名「美良布」と主要各方面との串呂
  第九節 島根県の「大宝」と主要各方面との串呂
  第十節 大宝天皇御宸筆の大般若経と御製の串呂
  第十一節 大宝天皇皇后「三浦佐久姫」の串呂
あとがき


巻頭系図 神皇正統の皇統


巻頭系図 南朝副統の王統



序文(第1分冊)

1、神風串呂神伝

(1)一子相伝の系譜の在処ありかを秘伝される

神皇しんのう正統家しょうとうけ極秘伝ごくひでん神風しんぷう串呂かんろ串呂哲学かんろてつがく地文学ちもんがくおよび三浦みうら皇統家こうとうけ系譜けいふ及其他の文献とを綜合して以て「徹底的に日本歴史の誤謬ごびゅうただす」拙著せっちょを公開するに当り、少しく序文を述べます。

私が、神皇正統家極秘伝神風串呂及皇統家系譜と申しますのは、私の聖父せいふ三浦市次郎みうらいちじろう(号宗心之命そうしんのみこと)」(明治七年九紫きゅうし火星かせい甲戌きのえいぬ年〔1874年〕四月七日降誕、大正二年〔1913年〕六月三十日昇天、寿四十歳)が、

どのように神風串呂の秘法を先祖代々から秘伝ひでんせられていたか全く不明でありますが、とにかく一子相伝いっしそうでんに系譜其の他の記録をかめの中に納めて地下へ深く埋蔵まいぞうして伝承されたのでありますから、神風串呂の秘法も確かに一子相伝に秘伝されたものと想像致します。

何分なにぶん私が数え年十歳、満齢で八歳と九ヶ月で吾聖父わがせいふ三浦市次郎宗心之命が昇天されたのでありますから、全然生前に於いては、私はそのことをうけたまわっておりません。

只私は、聖母せいぼからは、一日に一度は必ず、其方そなたは「後醍醐天皇」第一皇子「尊良たかなが親王」の再現さいげんであります。「尊良親王」と云う方は越前えちぜん金ヶ崎城かながさきじょうに於て云々うんぬん……と云い聞かされ、

聖母の里、河合家かわいけの菩提寺「宮崎山みやざきざん伝正院でんしょういん」の太子堂たいしどうへ連れて行っては、其方そなた此処ここにおまつりしている太子様たいしさまが生まれかわっておいでになったのだと、只管ひたすら尊良精神たかながせいしんを打込んで養育されていました。

〔編集者注〕
宮崎山伝正院は、愛知県岡崎市明見町田代にある浄土宗西山深草派の寺院「虎洞山ことうさん伝正院」のことで、聖徳太子を祀った「太子堂」があることで有名。三浦芳聖の母の里「河合家」(明見町田代)の伝承では、尊良親王(内伝の天皇)の第二皇子「基良親王」(良玄和尚)が南北朝時代に都を逃れて当地に土着し住職した寺院で、「太子像」は良玄和尚が御父尊良親王を木像に刻んで隠祀したものだと云う。

序文 1頁

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