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天皇蒙塵の地・牧平大門と三浦名との神風串呂(№7)

このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)について記述したものです。

串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。

ここでは、神皇正統第百代 大宝天皇が三浦と名乗って「天の岩戸ごもり」した天子蒙塵の地「牧平町大門」と三浦と名乗ったことを表わす地文「三浦名」とを結んだ神風串呂をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!



1、世界で一ヶ所の地名「三浦名」

千葉県東金市三浦名(みうらみょう)という珍しい地名があります。この地名も静岡県駿東郡小山町の大御神(おおみか)同様、おそらく世界でここだけの唯一の地名だと思います。

この地名は神皇正統の大宝天皇が、皇后「三浦佐久姫」の姓を名乗って純然たる百姓となり、「三浦藤太夫」と称した事を証明するために創られた地文だと確信しています。

今回は、大宝天皇蒙塵の地「愛知県岡崎市牧平大門」と「千葉県東金市三浦名」とを結ぶ串呂をご一緒に考察いたしましょう!


2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。


3、牧平大門と千葉県東金市三浦名との神風串呂

三浦芳聖は『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』290頁で、大宝天皇蒙塵の地、愛知県岡崎市の「牧平大門」と千葉県東金市の「三浦名」とを串呂すると下記のようになると述べています。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第七章

「宗心」-(約150キロ)-「牧平町大門」-(約150キロ)-「三浦名」

宗心(東かがわ市)-一色(津市)-大宝天皇蒙塵の地(岡崎市)-天神谷(茅ヶ崎市)-大久保(横浜市)-加茂(市原市)-三浦名(東金市)

【三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』290頁、現住所に改めた。】

【地文のみ掲載】
「宗心」-「一色」-「大宝天皇蒙塵の地」-「天神谷」-「大久保」-「加茂」-「三浦名」

【地文の解釈】(地名に地図がリンクしています。)
(1)宗心(そうしん、香・東かがわ市入野山)

(ア)宗家の中心(神皇正統家)をあらわす地文。
(イ)大宝天皇の号「宗心」あらわす地文。
(ウ)近くに「卍三宝寺」「⛩石清水八幡神社」がある。

【参照】雲南市の大宝と新見市の天王の神風串呂 (№12)
大宝(雲南市)-天王(新見市)-宗心(東かがわ市)

(2)一色(いっしき、三・津市河芸町)

三・津市河芸町一色(地図マピオン)

「一色」は、串呂哲学では「彼と之とは同じ」の意味で、重要串呂線上に入る地文とされています。一色田(荘園において一種類の賦課のみを負担していた田地のことを称する)に由来する荘園地名です。

(3)牧平町大門(まきひらちょうだいもん、愛・岡崎市牧平町大門)

牧平大門
愛知県岡崎市牧平町大門(地図マピオン)

大門(だいもん)は、「おおみかど」と解読します。大御門(おおみかど)=大帝(おおみかど)=天皇(または皇居)という意味と解釈します。三浦家の系図によれば、大宝天皇は、享徳3年(1454)この地に移住し、皇后三浦佐久姫の姓を名乗り、三浦藤太夫と称した。

牧平町大門は天照大御神が五皇一体の八幡大明神の降誕予定地として指定された「日本天皇蒙塵(もうじん)の地」であり、大宝天皇以降、三浦家累代 450年間の住居であり、三浦芳聖の降誕地であります。

(4)天神谷(てんじんだに、神・茅ヶ崎市)

茅ヶ崎市天神原
神奈川県茅ヶ崎市(地図マピオン)

現在不明。宅地造成や住居表示法などで地名が消滅することがある。

同様の地文に「天神原」(神奈川県茅ヶ崎市堤)がある。天神は天津神(あまつかみ)は「高天原にいる、または高天原から天降った神の総称」(ウィキペディア)で、天孫族、すなわち天皇をあらわす地文。

(5)大久保(おおくぼ、神・横浜市港南区)

横浜市港南区大久保
神奈川県横浜市港南区(地図マピオン)

「大久保」は、大宝天皇の串呂上の符号。

【参照】「大久保」三串の神風串呂
大久保」(兵庫県明石市)-「大久保」(京都府宇治市)-「大宝」(愛知県海部郡飛島村)-「大久保」(東京都新宿区)

(6)加茂(かも、千・市原市)

市原市加茂
千葉県市原市賀茂(地図マピオン)

皇室にゆかりの深い、賀茂御祖神社の「賀茂」に通ずる地文。

(7)三浦名(みうらみょう、千・東金市)

三浦名
千葉県東金市三浦名(地図マピオン)

「三浦と名乗る」の意味で、ここでは、神皇正統第百代大宝天皇が、愛知県岡崎市牧平町大門の地で、皇后・三浦佐久姫の姓を名乗ったことを表わす地文。

「難読地名・珍しい地名の由来」によれば、下記のように出ています。詳細は不明ですが、かなり古い歴史を持つ地名であることは確かです。

●三浦名 みうらみょう
市の東部。洪積台地下の九十九海浜平野の砂堆上に立地し,作田川下流右岸に位置(海抜5m)。藩政村。旧豊成村・東金町の大字。集落の中央部に両総用水片貝正気支線が流れる。地名の由来は不詳であるが,農民の名を冠し永続的な土地の所有権を認めた名田(みょうでん)百姓村から発生したとみられている。

難読地名・珍しい地名の由来

4、この串呂の解釈と哲学的考察

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第七章

「宗心」-「一色」-「大宝天皇蒙塵の府・牧平大門」-「天神谷」-「大久保」-「加茂」-「三浦名」

宗家の中心(神皇正統の天皇)が牧平大門に移住して三浦と名乗った。即ち大宝天皇(号宗心)が、天照大御神の御神諭のまにまに、愛知県岡崎市切越町から牧平町大門に移住し、皇后三浦佐久姫の姓を名乗り、三浦藤太夫と称し民間人となったことを立証する神風串呂です。

「宗心」-「牧平大門」と「牧平大門」-「三浦名」が、ほぼ等距離となっている神秘的な神風串呂です。

この串呂は「宗心牧平大門三浦名」の三つの地名が重要で、三浦名という珍しい、世界中でここしか無いと思われる地名が通る上に、

「宗心」-約150キロ-「牧平大門」-約150キロ-「三浦名」とほぼ等距離となっている神秘的な神風串呂です。

神々が神風串呂のために、非常にご苦心されていることがよく分かります。このようにある地点を中心に他の2地点が等距離になっている串呂は他にもあります。

なぜ神々がこうまでして神風串呂を構築されたのかという一点に思いをいたすとき、感謝と共に、日本人は、今後何をしたら良いか自ずと理解されると思います。


🔴バックナンバー(総合)

🟡情報拡散のお願い

 この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№6)
🟢次号(№8)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。