福山市松永町と遠州京丸の神風串呂(串呂哲学研究ノート№88)
🔴この記事は、神皇正統家極秘伝神風串呂(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。
🔴串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。
🔴元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。
🔴地名(地文)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。
ここでは、広島県福山市「松永町」と静岡県浜松市天竜区春野町の「京丸」の神風串呂をご紹介し、詳しい解説をしています。
🔴神風串呂(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!
🔴串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺の末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。
🔴神風串呂(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、群雄割拠の戦国時代(120年以上)に無辜の民が味わった塗炭の苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。
1、福山市松永町と京丸の神風串呂
松良天皇は、元中5年(1388)、足利義満率いる15万の大軍の猛攻に遭い、富士谷御所が落城したため、側近の臣下らと共に、遠州京丸(浜松市天竜区春野町小俣)に集結して隠棲しておられました。
「天王」(新見市)-「御名」-「松永」(木曽岬町)-「京丸」(№84)の神風串呂でご紹介しましたように、「京丸」が、松良天皇の隠棲地であったことは明白です。
広島県福山市にも、松良天皇を表わす「松永町」という地名が有りますので、今回は、この「松永町」(広島県福山市)と松良天皇の隠棲地であった「京丸」とを結ぶ串呂をご紹介します。
2、串呂哲学の理解を助ける予備知識
始めての方は、下記の記事を参照してください。
3、福山市松永町と浜松市京丸の神風串呂
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