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御在所山と木曽岬町松永との神風串呂(№85)

この記事は、神皇正統家極秘伝神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。

串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。

ここでは、「三重県三重郡の御在所山と三重県桑名郡木曽岬町松永との神風串呂」をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!


1、高御座の御在所は天子「松永」

兵庫県加古川市志方町成井の「高御位山・たかみくら山」は、国内唯一のユニークな地名(山岳)で、文字通り「高御座(たかみくら)」に登極されたかどうかを鑑定する地文です。

三重県三重郡菰野町の「御在所山・ございしょ山」は、三重県三重郡という地文の上からも、地誌からも、標高からも、日本一最高の何がご座いますかを鑑定する重要串呂起点です。

今回は、この「高御位山」と「御在所山」の二つの重要串呂起点を結んだ線上に、山口市の「天子」と三重県木曽岬町の「松永」が存在する超神秘的な神風串呂をご紹介します。

2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。

3、御在所山と木曽岬町松永との神風串呂

三浦芳聖は、何がおわしますかを鑑定する三重県三重郡の「御在所山」と松良天皇を表わす三重県木曽岬町の「松永」とを結ぶと、下記のようになると述べています。

松良天皇については、松良天皇(正良) (№79)を参照ください。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第六章

天子」(山口市)-「高御位山」(加古川市)-「善祥寺」(三木市)-「三宝院」(京都市)-「御在所山」(菰野町)-「松永」(木曽岬町)-「大門」(富士宮市)-「八幡」(平塚市)

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』235頁、現住所に改めた)

【地文のみ掲載】
「天子」-「高御位山」-「善祥寺」-「三宝院」-「御在所山」-「松永」-「大門」-「八幡」

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)

(1)天子(あまご、山口市阿東生雲中)
天子(てんし)=天皇をあらわす地文。

天子上(あまごかみ)、天子中(あまごなか)、天子下(あまごしも)と、上・中・下に分かれている。地名の後に上・中・下が付いている珍しい地名である。

(2)高御位山(たかみくらやま、兵庫県加古川市志方町成井)304.2m

高御位山
兵庫県加古川市志方町成井(地図マピオン)

「高御座」(たかみくら)表わす地文。天皇の地位の意味で、神皇正統の天皇に登極されたことを昭示する地文。国内唯一の地名。

高御位山の頂上には「天乃御柱の碑」(天乃御柱天檀と彫られた円柱)と岩場を磐座(いわくら)としていた「⛩高御位神社」(祭神、高御位大明神)がある。『ウィキペディア(Wikipedia)』高御位山

【参照】八尺鏡野と高御位山の神風串呂(№18)
【参照】高御位山と長森の神風串呂(№54)

(3)善祥寺(ぜんしょうじ、兵庫県三木市口吉川町大島)
善祥(ぜんしょう)=「善正・ぜんしょう」=「よしまさ」=「まさよし」(正良)で、ここでは、松良天皇(正良)をあらわす。

(4)卍醍醐三宝院(だいごさんぽういん、京都市伏見区醍醐東大路町)
京都市伏見区醍醐にある寺院。真言宗醍醐派総本山醍醐寺の塔頭、大本山、門跡寺院で本尊は弥勒菩薩。『ウィキペディア(Wikipedia)』三宝院

尊良親王が、後醍醐天皇より三種の神器を継承した天皇である事を表わす。
この醍醐の三宝院は、後醍醐天皇より継承された三種の神器をあらわす。

【参照】尊良親王再現・三浦芳聖の神風串呂1(№25)

(5)御在所山(ございしょやま、三重県三重郡菰野町)1212m
何がおわしますかを鑑定する重要串呂起点。御在所岳の別名。

三重県御在所山
三重県三重郡菰野町(地図マピオン)

全国各所にある御在所山の中で、鈴鹿山脈にあるこの三重県三重郡と滋賀県東近江市に跨る御在所山が、地誌からも地文の上からも標高からも最高の重要串呂起点。8大串呂起点のひとつ。詳細はこちらを参照ください。

(6)松永(まつなが、三重県桑名郡木曽岬町)

木曽岬町松永
三重県桑名郡木曽岬町(地図マピオン)

松良天皇をあらわす串呂上の符号・諺文です。

【参照】⛩多賀大社と在りし日の三浦芳聖家との神風串呂 (№29)
【参照】御調町公文と木曽岬町松永との神風串呂(№82)
【参照】山崎町御名と木曽岬町松永の神風串呂(№84)
【参照】松永についての詳細はこちらを参照ください。

「松永」は、松が永遠に繁茂する事をも意味するようだ。事実、松良天皇御陵のすぐ東側の旧東海道には、国の天然記念物に指定されている「御油の松並木」が生い茂っている。神風串呂の的確なる事に畏敬の念を禁じえない。『ウィキペディア(Wikipedia)』御油の松並木

(7)大門(だいもん、富士宮市) 
「おおみかど」と解読します。大御門(おおみかど)=大帝(おおみかど)=天皇(または皇居)という意味と解釈します。ここでは、守永親王が神皇正統の天子であったことを昭示する地文。

リンクの地図は右上の「地理院地図Vector」をクリックすると見られます。

(8)八幡(やわた、神奈川県平塚市)
松良天皇の神風串呂上の八幡は、三浦芳聖が神武・応神・後嵯峨・後村上・松良、五皇一体の八幡大明神であることをあらわすと解釈します。

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

「天子」-「高御位山」-「善祥寺」-「三宝院」-「御在所山」-「松永」-「大門」-「八幡」

神皇正統第九十九代・松良天皇が、後醍醐天皇から伝承された三種の神器を継承し、高御座に登極された天子であったことを昭示する神風串呂です。

この神風串呂の大要は、「高御位山」と「御在所山」(三重県三重郡)という二つの重要串呂起点を結んだ線上に、天皇をあらわす「天子」と松良天皇をあらわす地文の筆頭である「松永」(木曽岬町)が通る極めて的確で神秘的な神風串呂であります。

この神風串呂は、正に神業であり、串呂主宰神である天照大御神様の御苦心が偲ばれます。

戦争の勝者が、権力によって改竄かいざんした誤れる歴史を正し、天照大御神の直系の子孫が誰であるかを明らかにするのが神風串呂です。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第一章

💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
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🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志)


🔴バックナンバー(総合)

🟡情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№84)
🟢次号(№86)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会 
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。