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尊良親王再現・三浦芳聖の神風串呂1(№25)

💟ご挨拶

このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)について記述したものです。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。

串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。 地名(地文ちもん)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

ここでは、尊良天皇を表わす「高長」(兵庫県姫路市夢前町)と「三浦芳聖降誕地・牧平大門」との神風串呂をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、無秩序な群雄割拠ぐんゆうかっきょの戦国時代(120年以上)に無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。



1、尊良親王再現・三浦芳聖

三浦芳聖の母「元子」の悲願(№24)でご紹介しましたように、三浦芳聖は、後醍醐天皇第一皇子尊良親王の再現としてこの世に出現し、生後8年と10ヶ月間の幼年時代、母親から一日に一回は必ず、

「汝は後醍醐天皇第一皇子尊良親王の生まれ変わりであります!尊良親王様という方は、延元2年3月6日、越前敦賀の金ケ崎城に於て宮様でありながら、壮烈無比のご自害を遂げられ・・・」と尊良精神を打ち込まれて養育されたと述べています。

尊良親王の再現として追体験させられたのか、三浦芳聖は、尊良親王がご自害された同年齢の34歳の時に支那事変に応召し腹部盲管銃創を受け、傷痍軍人となって内地に送還されています。

串呂哲学でも、三浦芳聖は、この尊良親王の再現(元津み霊が同魂同霊)であるという設定になっているため、それを昭示する串呂が解明されていますのでご紹介します!


2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。


3、高長と岡崎市牧平町大門との神風串呂

三浦芳聖は、尊良天皇を表わす兵庫県姫路市夢前町「高長」と愛知県岡崎市牧平町大門の「三浦芳聖降誕地」を串呂すると下記のようになると述べています。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 序文

田黒(庄原市)-神代(新見市)-高松(新見市)-高長(姫路市)-高松町(西脇市)-卍醍醐三宝院(京都市)-三浦芳聖降誕地(岡崎市)-観音山(浜松市)-黒田(森町)

(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第一章36頁、現住所に改めた)

【地文のみ掲載】
田黒-神代-高松-高長-高松町-醍醐三宝院-三浦芳聖降誕地-観音山-黒田

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています)
(1)田黒(たぐろ、広・庄原市東城町)
二黒土星の母を表わす。三浦芳聖の母元子は、1881年(明治14)二黒土星辛巳年5月10日生まれ。同文同種の地文(9)の黒田とで黒田二串の確定立証の串呂を構築。

(2)神代(こうじろ、岡・新見市神郷)
「かみよ」と読めるので、神代の神話の如くに神秘的な事を表わす。
古事記や日本書紀の神代の巻を思わせるような神秘的なことをいう。

ここでは、三浦芳聖の母(元子様)が、観音様に祈念をこめて尊良親王と同じ甲辰年陰暦8月8日に三浦芳聖を出産したことを指す。下神代、上神代に分かれている。代と神が二つ付いている地名です。

地図検索のお蔭で、岡山県新見市神郷下神代を流れている川の名前が「神代川」であることが分かりました。(詳細はこの串呂の解釈と串呂哲学的考察を参照ください)

(3)高松(たかまつ、岡・新見市哲多町大野)   
三浦芳聖の串呂哲学上の符号。(5)の高松とで高松二串の確定立証の串呂を構築。

岡・新見市哲多町大野 高松(goo地図)

(ア)下記の「高松三串の神風串呂」により「高松」は、三浦芳聖の串呂哲学での符号とされています。

弥勒(高遠町)-高松(飯田市)-高松(新城市)-三浦芳聖晩年の住居(豊川市)-高松町(愛知県田原市)の高松三串の串呂。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』82頁

(イ)高松(たかまつ)=尊良(たかなが)+松良(まつなが)で、尊良天皇、松良天皇、再現・三浦芳聖の串呂の符号です(尊良天皇・松良天皇・三浦芳聖は三人とも甲辰年陰暦8月8日の降誕ゆえ)。

三浦芳聖の母親「元子」は、尊良天皇の第二皇子「河合良玄法親王」の嫡孫で、後醍醐天皇が自ら彫った観音像に祈念を込め、尊良天皇降誕600年目の明治37年(1904)9月17日(陰暦8月8日)に、三浦芳聖を出産した。

神武・応神・後嵯峨・後村上・松良、五皇一体の八幡大明神としては、主に松良天皇の人生の追体験(数えの10歳で父親と死別、空襲で焼け出され、豊川市萩町への疎開など)をさせられたようです。

皇大神宮内宮から藤太夫島を鑑る! (№5)
内宮-高松(愛知県田原市)-松長-聖岳

(4)高長(こうちょう、兵・姫路市夢前町)国内唯一の地名。
尊良天皇を表す地文。高長は、「たかなが」と読めるので、尊良天皇を表わす地文。

兵庫県姫路市夢前町高長(地図マピオン)

三浦芳聖は、地図をひろげて串呂を引いていた時に、玉虫色をした美麗な霊虫が飛んできて、この地名の上にとまったことから発見した。三浦芳聖は、この虫を後に串呂の虫と名付けた。

そのとき、あまりにも不思議で夢でも見ているのかと思ったとと述べている。(夢前町)

後醍醐天皇の皇子の名には、通字として「良」が用いられている。その読みは古くから「なが」「よし」の両様に読まれてきた。          『ウィキペディア(Wikipedia)』後醍醐天皇#皇子の名の読み

なぜ、「なが」「よし」の両様に読まれてきたのかについては、串呂を解明するために必要だからと考えています。
高長=尊良(たかなが)。尊良=高吉(たかよし)

この「高長」は 、下記の神風串呂を参照ください。
尊良親王が皇位継承者である事を昭示する神風串呂(№18)
与位-高長-高御位山-八尺鏡野

(5)高松町(たかまつちょう、兵・西脇市)             高松は串呂哲学上の三浦芳聖の符号。(3)の高松とで高松二串の確定立証の串呂を構築。

(6)卍醍醐三宝院(だいごさんぽういん、京都市伏見区醍醐東大路町)

醍醐三宝院
京都市伏見区醍醐東大路町(地図マピオン)

京都市伏見区醍醐にある寺院。真言宗醍醐派総本山醍醐寺の塔頭、大本山、門跡寺院で本尊は弥勒菩薩。

尊良親王が、後醍醐天皇より三種の神器を継承した天皇である事を表わす。
この醍醐の三宝院は、後醍醐天皇より継承された三種の神器をあらわす。

(7)三浦芳聖降誕地(みうらよしまさこうたんち、岡崎市牧平町大門)

牧平大門
愛知県岡崎市牧平町大門

ア、大宝天皇蒙塵の地(享徳3年・1454年)
イ、三浦皇統家累代450年間の住居
ウ、三浦芳聖降誕地(明治37年・1904年)

大門(だいもん)は、「おおみかど」と解読します。大御門(おおみかど)=大帝(おおみかど)=天皇(または皇居)という意味と解釈します。三浦家の系図によれば、大宝天皇は、享徳3年(1454)この地に移住し、皇后三浦佐久姫の姓を名乗り、三浦藤太夫と称した。

牧平町大門は天照大御神が五皇一体の八幡大明神の降誕予定地として指定された「日本天皇蒙塵(もうじん)の地」であり、大宝天皇以降、三浦家累代 450年間の住居であり、三浦芳聖の降誕地であります。

【参照】三浦芳聖降誕地を串線する神風串呂は下記を参照下さい。
🟣正統天皇が天の岩戸篭もりし三浦と名乗った!(№3)
🟣二所の宗廟から牧平大門を鑑る!藤太夫島 と佐久島(№4)
🟣牧平大門と三浦名との神風串呂 (№7)

(8)観音山(かんのんやま、 静・浜松市北区引佐町東久留女木)

静岡県浜松市北区引佐町東久留女木(地図マピオン)

三浦芳聖の生母「元子様」が後醍醐天皇ご自作の観音様に祈念して、河合家の遠祖「尊良親王」降誕6百年記念日(明治37年9月17日、陰暦8月8日)に尊良親王の再現「芳聖」を出産したことを表わす地文。

三浦芳聖は、同上著第一章35頁で、下記の様に述べています。( )内編集者。

「山」は父を表わす用語でありますから、聖母(元子)が肌身離さず「尊良天皇」より一子相伝に伝承された「観音様」を五ヶ年半念じ続けて来られたのですから、「五皇一体」の内「尊良天皇」の部分は「観音様」が霊統の聖父であります。蓋(けだ)し、「後醍醐天皇」は戊子年(つちのえねどし)で御躬(おんみずか)ら「観世音菩薩」の化身と申されて、十八人の皇子に御躬ら御刻みになった「観音様」をお守りとして御授けになったと伝承していますし、又御遺言に依って「如意輪寺観音」の裏山に玉体を埋蔵し奉ったと申し伝えますから、之は「後醍醐天皇」の御神霊が、神皇正統嫡皇孫の吾聖父「三浦市次郎宗心命(そうしんのみこと)」に憑依されて、「聖母」と結ばれ、受胎せられたものと確信致します。

(9)黒田(くろだ、静・周智郡森町三倉)
二黒土星の母を表わす。三浦芳聖の母元子は、1881年(明治14年)二黒土星辛巳年5月10日生まれ。同文同種の地文(1)の田黒とで黒田二串の確定立証の串呂を構築。

森町黒田2
静岡県周智郡森町三倉(Map Fan地図)


4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

田黒-神代-高松-高長-高松町-醍醐三宝院-三浦芳聖降誕地-観音山-黒田

三浦芳聖は、二黒土星の母(元子=黒田)の観音様への祈念により、後醍醐天皇より三種の神器を継承した尊良天皇の再現として、尊良天皇降誕六百年記念日(明治37年9月17日、陰暦8月8日)に、岡崎市牧平町大門の三浦家に降誕した。

黒田二串、高松二串という串呂で、後醍醐天皇(観音山)から皇位を継承されたことを表わす「醍醐三宝院」、尊良天皇を表わす「高長」、「三浦芳聖降誕地」(愛知県岡崎市牧平大門)を通る、「神代」の神話の如くまことに神秘的な神風串呂であります。

巻頭でも述べましたが、尊良親王の再現として追体験させられたのか、三浦芳聖は、昭和12年(1937)10月、支那事変(日中戦争)に応召。

昭和13年(1938)3月、黄河渡河戦にて死線を越えて奮戦。5月、腹部盲管銃創を受け傷痍軍人となって内地に送還されています。

応召したのは、尊良親王がご自害された同年齢の数えの34歳の時でした。

地図検索のお蔭で、岡山県新見市神郷下神代を流れている川の名前が「神代川」であることが分かりました。

田黒-神代川―神代-高松-高長-高松町-醍醐三宝院-三浦芳聖降誕地-観音山-黒田

岡山県新見市神郷(地図マピオン)

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🟡情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№24)
🟢次号(№26)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会 
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。