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真庭市正吉と紀北町三浦との神風串呂(№83)

この記事は、神皇正統家極秘伝神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。

串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。

ここでは、「真庭市正吉と紀北町三浦の神風串呂」をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!


1、真庭市正吉と備前市吉永町「加賀美」

備前市吉永町「加賀美」(かがみ)という地名があります。三種の神器の「鏡」を表わす地文です。この吉永町加賀美は、吉永町多摩(たま)、吉永町都留岐(つるぎ)と隣接して存在する重要地文です。

この備前市吉永(よしなが)町は、第百代大宝天皇(美良・よしなが)を表わす地文であると同時に、神皇正統家を表わす地名です。

後醍醐天皇の皇子は、諱(いみな)の「良」を「よし・なが」の両方に読むことから、「よしなが・吉永・由良」は、神皇正統家を表わす地名だと気付きました。

「正吉」-「三浦」(津山市)-「法能」の串呂(№80)で、ご紹介しました岡山県真庭市の「正吉」は、松良天皇(正良)を表わす地文です。

「正吉」(真庭市)-「加賀美」(吉永町)-「三浦」(紀北町)

今回は、岡山県真庭市の「正吉」と三重県紀北町の「三浦」との神風串呂をご紹介します。

2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。

3、真庭市正吉と紀北町三浦の神風串呂

三浦芳聖は、岡山県真庭市「正吉」と三重県紀北町の「三浦」とを串線すると、次の様な神風串呂になると述べています。

松良天皇については、松良天皇(正良) (№79)を参照ください。


三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第六章

正吉」(真庭市)-「神代」(津山市)-「加賀美」(吉永町)-「神明寺」(上郡町)-「大門」(揖保川町)-「三浦」(紀北町)

(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第六章 234頁、現住所に改めた)

【地文のみ掲載】
「正吉」-「神代」-「加賀美」-「神明寺」-「大門」-「三浦」

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)

(1)正吉(まさよし、岡山県真庭市)
松良天皇の諱(いみな)正良(まさよし、まさなが)を表わす。

三輪義熈『長慶天皇紀略』によると、「三月十日、富士勝山谷の玉川の宮に於て、皇子誕生。母は、皇太后小室門院。其産室を、宝野の宮と称す。皇子を正良親王と名づけさせ給ふ。」と出ています。(三輪義熈『長慶天皇紀略』62頁、旧漢字は新字体に改めました。)

正良(まさよし)は、神武、応神、後嵯峨、後村上、松良、五皇一体の再現・八幡大明神・「三浦芳聖・よしまさ」を表わす地文でもあります。

【参照】松良天皇ご降誕地の神風串呂(№80)
「大金」-「神代」-「正吉」-「三浦」-「公文」-「和田」-「大内」-「宮」-「正家」-「法能」

(2)神代(こうじろ、岡山県津山市)

「かみよ」と読めるので、神代の神話の如くに神秘的な事を表わす。
古事記や日本書紀の神代の巻を思わせるような神秘的なことをいう。

この串呂の存在自体が神代である。重要な串呂であることを昭示する地文。

大本教のお筆先に「神代の姿備はりて・・・」とあります。
【参照】大本教お筆先(大正8年1月27日)

(3)加賀美(かがみ、岡山県備前市吉永町

吉永町加賀美
岡山県備前市吉永町(地図マピオン)

鏡の諺文で、神皇正統の天皇を表わす。

吉永(よしなが)町は、第百代大宝天皇(美良・よしなが)を表わす地文であると同時に、神皇正統家を表わす地名です。

後醍醐天皇の皇子は、諱(いみな)の「良」を「よし・なが」の両方に読むことから、「よしなが・吉永・由良」は、神皇正統家を表わす地名だと気付きました。

【参照】三種の神器を昭示する地文と大宝天皇 (№11)

【参照】石清水八幡宮とありし日の三浦芳聖家との神風串呂 (№28)
「国府町地区」-「的場」-「天王」-「加賀美」-「大門」-「石清水八幡宮」-「国府町」-「国府町・天王山」-「ありし日の三浦芳聖家」

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第七章

(4)神明寺(じみょうじ、兵庫県赤穂郡上郡町)
神明(しんめい) は、天照大神、豊受大神の別称。天照大神が、この串呂を照覧ましますという意味に解釈する。天照大神は、串呂主宰神。

『ウィキペディア』神明 

(5)大門(だいもん、兵庫県たつの市揖保川町)

大門(だいもん)は、「おおみかど」と解読します。大御門(おおみかど)=大帝(おおみかど)=天皇(または皇居)という意味と解釈します。ここでは、三浦正吉(正良)は天皇であると解釈します。

【参照】牧平町大門についてはこちらをご覧ください。

(6)三浦(みうら、三重県北牟婁郡紀北町)

三浦皇統家をあらわす地文。串呂哲学の世界では、「後醍醐天皇の御名は三浦(紀北町)である」という設定になっていまして、後醍醐天皇以降の神皇正統の天皇の重要串呂上に「三浦」という地文が出て参ります。

【参照】後醍醐天皇の御名を鑑定する神風串呂 (№15)
「御名」-「湊川神社」-「後醍醐天皇御陵」-「三浦」(紀北町)

この紀北町の「三浦」は、三野瀬の三浦といいますが、三浦皇統家や三浦芳聖に関連した串呂上の重要地文です。

【参照】「三浦」についての詳細はこちらをご覧ください。

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

「正吉」-「神代」-「加賀美」-「神明寺」-「大門」-「三浦」

三浦正吉(正良・芳聖)は、天津日嗣の天皇である。神代の如く神秘的かつ奇跡としか言いようのない神風串呂を、天照大御神が御照覧まします。

三浦正吉は、松良天皇(正良)を表わすと同時に、神武、応神、後嵯峨、後村上、松良、五皇一体の再現・八幡大明神・「三浦芳聖・よしまさ」を表わす地文でもあります。

「正吉」-「加賀美」-「三浦」・・・的確にして神秘的な、正に神風串呂です!

神風串呂は、文字通り「有り難い」神明(天照大御神様)からの啓示です。天照大御神様は、日本民族を助けたくて、救いたくて、苦心惨憺、神風串呂を構築になられました。感謝のほか有りません!


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🟡情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№82)
🟢次号(№84)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会 
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。