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三種の神器を昭示する地文と大宝天皇 (№11)

このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)について記述したものです。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。

串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。 地名(地文ちもん)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

ここでは、岡山県備前市吉永町の加賀美を通る神風串呂を二本ご紹介し、皇位の継承に必要な三種の神器を表わす地名、加賀美(鏡)、都留岐(剣)、多麻(玉)が存在する「吉永町」と「吉永町加賀美」を通る串呂について考察しています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、群雄割拠の戦国時代(120年以上)に無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。


1、吉永町(岡山県備前市)の奇跡

上記の地図で明らかなように、皇位の継承に必要な「三種の神器」をあらわす地名「加賀美(鏡)都留岐(剣)多麻(玉)」が一つの町内に隣接して存在しています。その町とは岡山県備前市吉永町です。

この備前市吉永(よしなが)町は、戦後に出来た新しい町名ですが、二所の宗廟から牧平大門を鑑る!藤太夫島」と佐久島(№4)でご紹介した「石清水八幡宮」と「牧平大門」の串呂を、さらに西方に延長すると、その串呂線上に存在する町で、大宝天皇(美良・よしなが)を表す地文です。

「加賀美、都留岐、多麻」は、奈良時代に出来た歴史の古い地名のようですが、地名のできた由来は分かっていません。今回は、この岡山県備前市「吉永町」にある、三種の神器をあらわす地名「吉永町」と「吉永町加賀美」を通る串呂についての考察です。

2、吉永町加賀美を通る神風串呂

岡山県備前市吉永町「加賀美」を通る神風串呂を二本ご紹介します。詳細は各串呂の記事をご覧ください。

(1)石清水八幡宮と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂 (№28)
国府町地区-的場-天王-加賀美-大門-⛩石清水八幡宮-国府町-国府町・天王山-三浦芳聖晩年の住所

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第六章

(2)真庭市正吉と紀北町三浦の神風串呂(№83)
正吉-神代-加賀美-神明寺-大門-三浦

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第六章

3、吉永町(和気郡)の成立(昭和23年11月1日)

明治維新になって、江戸時代からの庄屋、名主、年寄、大庄屋等が廃止され、その後、明治11年(1878年)の郡区町村制、明治21年(1888年)の市制・町村制、明治23年(1890年)の府県制・郡制など、今日まで、たびたび変遷を経て来た「町村制の改革」で、昭和23年(1948年)英保町が改称されて「和気郡吉永町」が成立しました。

昭和29年(1954年)の町村合併で「加賀美、都留岐、多麻」は、和気郡吉永町に組み入れられ、平成17年の町村合併で備前市「吉永町」となりました。

吉永町の地名の由来は、明治初年には吉永中という村が存在したことが判明しています。(『ウィキペディア(Wikipedia)』和気郡

4、和気郡吉永町加賀美の成立(昭和29年)

『ウィキペディア(Wikipedia)』八塔寺によれば、「加賀美」地区は、
和気郡八塔寺村➡加賀美村八塔寺➡三国村加賀美➡和気郡吉永町加賀美
と変遷しています。

吉永町加賀美となったのは、下記の資料から、三国村が新・吉永町になった昭和29年(1954年)3月1日の町村合併時ということになります。

おそらく他の「都留岐」「多麻」も、この時に吉永町に所属することになったものと思われます。

『ウィキペディア(Wikipedia)』吉永町
1889年(明治22年)6月1日 - 町村制施行に伴い、和気郡英保村が発足。
1948年(昭和23年)10月20日 - 和気郡英保村が町制を施行し英保町となる。
1948年(昭和23年)11月1日 - 英保町が吉永町に改称。
1954年(昭和29年)3月1日 - 和気郡吉永町・神根村・三国村の1町2村が合併し新・吉永町となる。
2005年(平成17年)3月22日 - 備前市、和気郡日生町との対等合併により新・備前市となる。

5、吉永町は大宝天皇(三浦皇統家)を昭示する地文

この吉永(よしなが)町は、二所の宗廟から牧平大門を鑑る!藤太夫島 と佐久島(№4)でご紹介した「石清水八幡宮」と「牧平大門」の神風串呂を、更に西方に延長すると、その串呂線上に存在する大きな町で、大宝天皇(美良/よしなが)即ち「三浦皇統家」を表す地文です。

厳密に言いますと串呂しているのは「吉永町吉永中」と言う吉永町の中心部で、山陽本線の「吉永駅」のある所です。

石清水八幡宮と牧平大門の神風串呂(№4-2)
吉永町-竜子-⛩石清水八幡宮-牧平町大門-佐久-藤太夫島-⛩安房大神宮

神秘的なことには、この吉永町に三種の神器をあらわす「加賀美、都留岐、多麻」という地文(地名)が隣接して存在することです。吉永町加賀美(かがみ)を中心にして東側に吉永町多麻(たま)、西南側に吉永町都留岐(つるぎ)という地名が隣接しています。

この中の「加賀美」は、明治8年(1875年)に八塔寺村と下畑村が合併して成立したことが分かっていますが、「加賀美」という地名そのものは、奈良時代に八塔寺という勅願寺ができた時に命名されたものと思います。

なぜこのような地名になったのかという地名の由来については、地元の地名(地誌)研究家に教えを請いたいと思いますが、串呂哲学の立場からは、「多麻、加賀美、都留岐」は、それぞれ串呂哲学上の重要地文であることから、串呂台ともいうべき三浦芳聖が串呂を解明する時期に合わせて、串呂哲学の主宰神が吉永町に組み込んだと考えています。

【参考】(吉永町加賀美(八塔寺ふるさと村)の町並 より

これまでご紹介して参りましたように、享徳3年(1454年)天照大御神の御神諭に従い、三種の神器を地下深く埋蔵して神皇正統家の天の岩戸篭りをされ、皇后三浦佐久姫の姓を名乗り、三浦藤太夫と称し純然たる百姓となられた経緯から大宝天皇と三種の神器については、深い関係があります。

大宝天皇という贈名は、美良天皇御みずからお付けになられたようですが、大宝とは三種の神器を表わすお名前であります。

そうしたことを考えますと、大宝天皇(美良)を表わす重要地文である「備前市吉永町」に三種の神器を表わす「多麻、加賀美、都留岐」が存在することは、備前市吉永町が、間違いなく大宝天皇(三浦皇統家)をあらわす地文であると言えるかと思います。

このように、この吉永町の「多麻、加賀美、都留岐」の地名ひとつを取り上げて考察してみても、日本神界の「神風串呂」に寄せる思いの深遠さをうかがい知ることが出来ます。

そもそも吉永町のもとになった、明治初年から存在する「吉永中」という地名は、一体いつ命名されたのでしょうか。「串呂哲学の淵源とは?」と思いにふけるこの頃です。


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この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

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2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№10)
🟢次号(№12)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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