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石清水八幡宮と牧平大門との神風串呂(串呂哲学研究ノート№4-2)

このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)について記述したものです。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

ここでは、「石清水八幡宮と牧平大門との神風串呂」をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。



1、神定の蒙塵の府・牧平大門と龍子

天照大御神の御神諭に基づき、神皇正統第百代・大宝天皇(美良)が、五皇一体の再現・八幡大明神・三浦芳聖降誕までの神皇正統家蒙塵の府と定めた牧平町大門を、我が国二所の宗廟のひとつ、石清水八幡宮の神様に鑑定して頂く神風串呂をご紹介します。

明治37(1904年)甲辰年9月17日、神武、応神、後嵯峨、後村上、松良、五皇一体の再現・八幡大明神「龍子」が降誕したことを昭示する神風串呂です。

三浦芳聖の著書によれば、「最後の内伝の天皇である大宝天皇(美良親王)は、応永元年(1394年) 、遠州京丸に於て松良天皇とその皇后綾子姫の第一皇子として降誕し、応永17年(1410年)年、三州萩に於て松良天皇より譲りを受けて践祚、永享10年戊午(1438年)、三州切越に隠棲し、爾来16年間大般若六百巻を念書し、至誠通神、享徳3年(1455年)、天照大御神から御神諭を賜って牧平大門に移住し、三種の神器を地下深く埋蔵して天之岩戸籠りとし、皇后三浦佐久姫の姓を名乗って三浦藤太夫と称した」とあります。

 (三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』要約)


2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。


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3、石清水八幡宮と牧平大門との神風串呂

三浦芳聖は、京都府八幡市の⛩石清水八幡宮と岡崎市牧平町大門とを串呂すると下記のようになると述べています。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第七章

龍子」(たつの市)―「石清水八幡宮」(八幡市)―「天子蒙塵の府・牧平大門」(岡崎市)―「佐久」(浜松市)―「藤太夫島」(藤枝市)―「安房大神宮」(館山市)

【地文のみ掲載】
「龍子」―「石清水八幡宮」―「天子蒙塵の府・牧平大門」―「佐久」―「藤太夫島」―「安房大神宮」

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)龍子(りゅうこ、兵・たつの市揖西町)

龍子
兵・たつの市揖西町 龍子(地図マピオン)

たつの市揖西町龍子は、「たつのし いっさいちょう りゅうこ」と発音します。「たつの市」は町村合併の前は「龍野市」と書きました。「龍子」は「辰年の子」という意味に解釈できますが、「龍顔・龍駕・龍車・龍徳」などの言葉が示すように、

龍は天子(天皇)の権威すなわち王権の象徴ですので、「天から王権を授与された者=天子」であるのと同様に「龍から王権を授与された者=龍子」と捉え、「龍子=天子・天皇」と解読します。

そこで「龍子は天皇をあらわす」と解釈できます。地名の読み方が不明だったためか、三浦芳聖は、「りゅうし」と発音していました。

イ、龍子は、天子(天皇)を表わす。ここでは、三浦藤太夫と名乗った「大宝天皇」を表わす。

ロ、龍子は、大宝天皇が大般若600巻を念書して、後世直系皇孫に神武・応神・後嵯峨・後村上・松良、五皇一体の八幡大明神を降誕せしめて必ず天下を平定し給わん事をと、皇威回復を熱祷祈願されたその「五皇一体の八幡大明神」(三浦芳聖)を表わす。


(2)石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう、京・八幡市八幡高坊)

石清水八幡宮
京・八幡市八幡高坊(地図マピオン)

石清水八幡宮といえば、戦前は我が国の二所の宗廟と言われ、朝廷から、伊勢の皇大神宮と並んで大変尊崇された官幣大社で「国体明徴」の神様です。現在も毎年9月15日に勅使が参向して勅祭が行われています。

その「石清水八幡宮」の神様に「牧平大門」を鑑定して頂くという設定での串呂です。

【参照】石清水八幡宮についての詳細はこちらを参照ください。

(3)牧平町大門(まきひらちょうだいもん、愛・岡崎市牧平町大門)

牧平大門
愛・岡崎市牧平町大門(地図マピオン)

大門(だいもん)は、「おおみかど」と解読します。大御門(おおみかど)=大帝(おおみかど)=天皇(または皇居)という意味と解釈します。

三浦家の系図によれば、天照大御神が五皇一体の八幡大明神の降誕予定地として指定された「日本天皇蒙塵(もうじん)の地」であり、大宝天皇以降、三浦家累代460年間の住居です。

ア、大宝天皇蒙塵の府、享徳3年(1455年)、切越町から移住。
イ、三浦芳聖降誕地、明治37年(1904年)9月17日。
ウ、五軒小屋(男系相続維持対策)
エ、⛩内宮から経線緯線に対し45度の方角にある。
オ、⛩豊富神社(白鬚大明神)を奉祀。

【参照】牧平町大門についての詳細はこちらを参照ください。

(4)佐久(さく、静・浜松市天龍区)

天竜区佐久
静・浜松市天龍区 佐久(地図マピオン)

大宝天皇の皇后「三浦佐久姫」を表わす地文。三浦佐久姫は、三浦義勝五世の嫡孫、楠木正成六世の孫。父は三浦宗明、母は楠木正親の女・冬子。

『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(291頁)には「皇后富士大宮司三浦氏の第六十一世の嫡女三浦佐久姫」とあります。

【参照】三浦佐久姫についての詳細はこちらを参照ください。

(5)藤太夫島(とうだゆうじま、静・藤枝市本郷)

藤太夫島
静・藤枝市 藤太夫島(地図マピオン)

大宝天皇の後称「三浦藤太夫」を表わす地文。

【参照】富士市の歴史研究家である加茂喜三氏は、『富士“隠れ南朝”史』(富士地方資料調査会・320頁)に、「静岡県藤枝市に藤太夫島の地名が残るが、これは藤太夫と変名した大宝天皇が遠江から駿河の隠れ南朝の遺臣を訪ねた由緒によるという。」と述べています。

この遠江は三遠地方からという意味だと思いますが、地元にそのような伝承があるのかどうか分かりませんが、今から550年以上も前の地図も無い時代のことで、串呂を意識して人為的に「藤太夫島」と名づけたとは考えられず、このような珍しい地名が現在も残っていること自体実に神秘的な現象であると思います。

(6)安房大神宮(あわだいじんぐう、千・館山市大神宮)

安房大神宮
千・館山市大神宮 (地図マピオン)

皇室ゆかりの元官幣大社。天太玉命(アメノフトダマノミコト)、天富命(アメノトミノミコト)を始めとする神武天皇のご東征時代、即ち日本建国の為にご活躍された神々をお祭りする由緒ある神社です。

神社のHPには安房神社となっていますが、千葉県館山市大神宮の地名が語っているように、この神社の通称は「大神宮」であります。この串呂の守護神と見ることができます。

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第七章

「龍子」―「⛩石清水八幡宮」―「天子蒙塵の府・牧平大門」―「佐久」―「藤太夫島」―「⛩安房大神宮」

天照大御神より「牧平大門に移住して子々孫々天運循環の時を待て」と指定された場所でありますから、「佐久」「藤太夫島」があり、その東西を二つの元官幣大社に守護され、大宝天皇の誓願によりこの世に派遣される五皇一体の八幡大明神を表す「龍子」が串線する串呂です。

また、牧平大門で天の岩戸籠りをし三浦藤太夫と名乗った大宝天皇は、龍子(神皇正統家の天子)であると解釈することも可能です。

神風串呂は三次元世界に縦横無尽に張り巡らされた神界の啓示ですので、視点・視角により、融通無碍ゆうずうむげに解釈いたします。



💖串呂哲学研究ノートバックナンバー(総合)

🔴情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

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串呂哲学研究会 鈴木超世志
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