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⛩元伊勢内宮と⛩金崎神宮との神風串呂(№21)

このオンラインブックは、神皇正統家しんのうしょうとうけ極秘伝ごくひでん 神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)について記述したものです。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)とは、元伊勢もといせ伝承で皇祖神・天照大御神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第七章

元伊勢クシロは、皇城守護こうじょうしゅご結界けっかいのことだといわれて来ましたが、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

 三浦芳聖師が生涯の精魂せいこんを込めて解明した串呂によって、元伊勢クシロとは、皇統正史こうとうせいしを我が国の国土に埋め込んだ地文学「神風串呂」であることが判明したのです。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問(皇霊学)が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。
 
ここでは、「元伊勢内宮皇大神宮」を起点にして「金崎神宮」を鑑定する串呂をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神・天照大御神からの神妙なる息吹を体感体得たいかんたいとくすることができるでしょう!

串呂主宰神かんろしゅさいしん(天照大御神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助てんゆうしんじょにより日本民族本来の力を発揮はっき出来るようになります。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、無秩序な群雄割拠ぐんゆうかっきょの戦国時代(120年以上)に、無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。




1、元伊勢内宮皇大神社

京都府福知山市大江町内宮にある「元伊勢内宮皇大神社」は、皇大神宮内宮同様、重要串呂起点であります。

『倭姫命世記』に、「崇神天皇39年、天照太神を奉じた豊鋤入姫命が鎮座地を求めて但波(丹波)国へ遷幸し、吉佐宮を築いて4年間奉斎した」と記されてあるようです。(『ウィキペディア(Wikipedia)』皇大神社

天照大御神の各地巡行は、神風串呂を構築する為だったという仮説「神風串呂史観」を「元伊勢内宮皇大神宮」を起点にして「⛩金崎宮」(以下、金崎神宮と尊称)を鑑定する串呂を通じて考察して参ります。


2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。


3、⛩元伊勢内宮と⛩金崎神宮との神風串呂

三浦芳聖は、⛩元伊勢内宮(福知山市)と⛩金崎神宮(敦賀市)とを串呂すると次のようになると述べています。

上村上(三次市)-天王(新見市)-三浦(津山市)-⛩元伊勢内宮(福知山市)-大君(舞鶴市)-⛩金崎神宮(敦賀市)

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』本文24頁、現住所に改めた。三浦芳聖の著書で新見市天王が天皇となっているのは、読み方が同じである為、旧版の地図に天皇と印刷されていた時期があったようです。)

【地文のみ掲載】
上村上-天王-三浦-⛩元伊勢内宮-大君-⛩金崎神宮

【地文の解釈】(地名に地図がリンクしています。)
(1)上村上(かみむらかみ、広島県三次市粟屋町)

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広島県三次市粟屋町(goo地図)

この上村上という地名の解釈は正直に言いますと良くわかりません。三浦芳聖は、本当の後村上天皇(後醍醐天皇から皇位を継承した天皇=尊良天皇)のことだと述べています。下記を参照下さい。

【参考】後醍醐天皇と諡号(贈名=天皇号)
後がつく諡号(しごう・天皇名)の天皇は、それ以前の天皇と似た事績を残されたということで、後○○天皇と名付けられました。

後醍醐天皇の場合は、天皇親政が行われ、王朝政治・王朝文化の最盛期となった理想の時代(延喜・天暦の治)の醍醐天皇の治世を理想としていた為、自ら「後醍醐」と贈り名するよう指示されたとのことです。

尊良天皇は、その後醍醐天皇の後継者ですので、本来なら、醍醐天皇の後継者の村上天皇にあやかって「後村上天皇」という諡号がつくはずでした。

しかし、南北朝時代の動乱が始まり、陽動作戦ため設けられた吉野朝の擬天皇である憲良(義良)親王の贈り名が「後村上天皇」と定められた為、串呂主宰神は尊良天皇の為に、「上村上」という地文を用意したのではないかと考えています。(https://ja.wikipedia.org/wiki/延喜・天暦の治

(2)天王(てんのう、岡山県新見市哲西町矢田)

矢田の天王
岡山県新見市哲西町矢田(地図マピオン)

天王(てんのう)は天皇(てんのう)に同じ。

この岡山県新見市哲西町矢田の「天王」は、どのような「天皇」であったかを鑑定する重要串呂起点です。

八咫鏡(やたのかがみ)にちなんで「矢田の天王」(やたのてんのう)と尊称しています。三浦芳聖の著書で「天皇」となっているのは、読み方が同じである為、旧版の地図に「天皇」と印刷されていた時期があったようです。

この「矢田の天王」は、哲西町矢田地区の住居表示が番地に変更になったため、地図検索では見ることが困難になりましたが、確かに存在する地名です。位置は哲西中学の東側に当たります。

この地名は、「備中・豆木城」の所在地「岡山県新見市哲西町矢田字天王豆木山」に見ることができます。この矢田の天王地区の東部に「神代川」が南北に流れています。

(3)三浦(みうら、岡山県津山市)

津山市三浦
岡山県津山市三浦(地図マピオン)

三浦氏をあらわす地文です。この津山市の「三浦」は、三浦皇統家や三浦芳聖に関連した串呂上の重要地文です。

串呂哲学の世界では「後醍醐天皇の御名は三浦である」という設定になっていて、後醍醐天皇以降の神皇正統の天皇の重要串呂に「三浦」という地文が出てきます。串呂哲学では「三浦=天皇」と言っても過言ではありません。

後醍醐天皇の御名を鑑定する神風串呂 (№15)
御名-湊川神社-後醍醐天皇御陵-三浦(紀伊長島区)

【参照】三浦(みうら)について

(4)⛩元伊勢内宮(もといせないくう、京・福知山市大江町内宮)
元伊勢内宮皇大神社(もといせないくうこうたいじんじゃ)は、京都府福知山市大江町内宮にある神社。旧社格は府社。元伊勢伝承地(吉佐宮)のひとつ。

元伊勢内宮皇大神社 (2)
⛩元伊勢内宮皇大神社(福知山市大江町)

天照大御神の各地巡行は、縦横無尽にリンクする神風串呂を構築する為だったという「神風串呂史観」では、伊勢の「⛩皇大神宮内宮」と同じく重要串呂起点であり、重要串呂地文です。

福知山市内宮
京都府福知山市大江町内宮(地図マピオン)

この串呂では、「⛩元伊勢内宮皇大神社」に「⛩金崎神宮」は如何なる神宮かを鑑定して頂くという視点で考察いたします。

現在伊勢神宮の祭神である天照大御神は、古くは宮中に祀られていた。この状態を畏怖した天皇の命で、崇神天皇6年から鎮座地を求めて各地を転々とした。垂仁天皇25年最終的に伊勢に落ち着くが、それまでの間に訪れた一時遷座地は、各地で元伊勢として語り継がれた。
当社はそうした元伊勢伝承地の1つで、「但波(丹波)国乃吉佐宮」の旧跡にあたる。そのため「元伊勢」を冠して称され、また特に皇大神宮(伊勢神宮内宮)の元宮であるとの伝承から、元伊勢皇大神宮または元伊勢内宮とも称される。 『ウィキペディア(Wikipedia)』皇大神社 (福知山市)

上記の伝承からは、神風串呂の構築のために皇祖「天照大御神」御自ら、いろいろとご苦心されたことが拝察されるのでありますが、串呂哲学の研究が進むに連れて、これから更に多くのことが分かってくると思います。

元伊勢伝承を長年研究した山田雅晴氏によれば、天照大御神が、各地を巡回したのは、元伊勢神宮による結界を張るためで、古神道では結界のことをクシロといい、「元伊勢クシロ」という皇室守護の結界を張るためだったと述べています。(『続・太陽の神人黒住宗忠』146頁、たま出版)

この「クシロ」は、串呂(くしろ)であります。

当時の人々に串呂を理解させる事が難しかったのと極秘で串呂を構築していたので、結界を張る為と伝えられたのです。本当は神風串呂を構築する為だったのです。

(5)大君(おおきみ、京・舞鶴市)

日本における天皇、皇子、皇女に対する尊称。串呂では主として天皇を表わす地文です。大君=大王(おおきみ)=天皇。

『ウィキペディア(Wikipedia)』大君
『ウィキペディア(Wikipedia)』大王

この他、国内には、下記の大君が有ります。
広島県江田島市大柿町大君
福岡県遠賀郡芦屋町大字山鹿字大君

(6)⛩金崎神宮(かながさきじんぐう、福・敦賀市金ケ崎町)
尊良天皇と恒良親王を祭神とする神社。天皇を祭神とする神社ですので、串呂哲学では「金崎神宮」と尊称しています。

金埼神宮 (2)
⛩金崎神宮(敦賀市金ケ崎町)

⛩金崎神宮は、明治23年(1890)9月、金ヶ崎城址に尊良天皇を御祭神として建立され、官幣中社に加列。明治25年(1892)11月、恒良親王が合祀され、明治26年(1893)現在地に社殿が竣工して遷座しました。

いわゆる建武中興十五社(建武中興に尽力した南朝側の皇族・武将などを主祭神とする15の神社)のひとつであります。金ヶ崎城跡は、尊良天皇終焉の地(ご胴体埋葬)の地であります。

金崎宮(かねがさきぐう)は、福井県敦賀市にある神社である。建武中興十五社の一社で、旧社格は官幣中社である。

恒良親王と尊良親王は、足利尊氏の入京により北陸落ちした新田義貞、および氣比神宮の大宮司に奉じられて金ヶ崎城に入ったが、足利勢との戦いにより敗死した。

明治23年(1890年)、尊良親王を祀る官幣中社金崎宮が金ヶ崎城址に創立された。明治25年(1892年)には恒良親王が合祀され、明治26年(1893年)、現在地に社殿が竣工して遷座した。              『ウィキペディア(Wikipedia)』金崎宮


4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

上村上-天王-三浦-⛩元伊勢内宮-大君-⛩金崎神宮

三浦芳聖は次のように述べています。『正に三浦皇統家第一代の「尊良天皇」は、正真正銘の「大君」「上村上天皇」であります。』
(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』本文23頁)

⛩金崎神宮の祭神「尊良天皇」は、三浦家の遠祖で、正真正銘の大君(おおきみ)上村上天皇であると⛩元伊勢内宮皇大神社の神様が鑑定されている。

これまで、考察して参りました「尊良親王は、北陸朝廷の天皇である」という解釈を裏付ける的確なる串呂であります。三浦皇統家の遠祖ですから三浦が串呂しています。正に神風串呂です。

天照大御神が各地を巡行されていた時点で、未来の青写真が存在したという事でしょうか、3次元世界に住む私には、高次元世界のタイムラインに関することはまるで理解できません。

下記の串呂と併せてご考察ください。(地文は要点のみ)

尊良親王が皇位継承者である事を昭示する神風串呂(№18)
与位-高長-〽高御位山-八尺鏡野

北陸朝廷の存在を昭示する神風串呂 (№20)
⛩金崎神宮-政所-〽御在所山-国府町-⛩内宮


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🟡情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

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神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№20)
🟢次号(№22)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会 
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。