尊良天皇皇后 清子姫を 昭示する神風串呂(№22)
🟡ご挨拶
この記事は、神皇正統家極秘伝神風串呂(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。
串呂(かんろ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。
元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。
神風串呂は、地文(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学で、神国日本再建のために皇祖神によって構築されました。
地名(地文)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。
ここでは、「尊良親王妃・右大臣西園寺公顕の女・藤原清子」をご紹介し、詳しい解説をしています。
神風串呂(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!
串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺の末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。
神風串呂(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、無秩序な群雄割拠の戦国時代(120年以上)に無辜の民が味わった塗炭の苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。
1、串呂主宰神が埋め込んだ珠玉の地文
山梨県南巨摩郡身延町に清子(せいご)という地名があります。例によって日本国内で唯一の非常に珍しい地名です。
尊良親王妃の名前は、右大臣西園寺公顕の女「藤原清子」であることは、『太平記』その他の文献にて明らかですが、三浦芳聖によって、山梨県南巨摩郡身延町「清子」が尊良親王妃「藤原清子」を表わす地文であり、尊良親王は、実は「天子」であったことが解明されていますので、ご紹介します。
これまでご紹介して参りましたように、串呂の世界では、大御神、三浦名、与位、高御位山、高甲良山、八尺鏡野、石鏡、助命、高長、龍子、藤太夫島など、日本国内に唯ひとつしかない珍しい地名がたくさん出てきます。
これらの地名が国内唯一の地名であるかどうかは、地図検索のお蔭で分かるようになりました。串呂の研究をしていて気づいたことですが、串呂の解明とは、串呂の主宰神が埋め込んだ珠玉の地文を見つけ出す「神遊び」だということです。
日本発の精神世界「神風串呂」の研究は、まだ始まったばかりで、本来(世が世)なら国立「神風串呂研究所」が設立され、本格的な研究がなされねばならないと考えています。
今回は尊良天皇を祭神とする金崎神宮と天子ケ岳とを結ぶ神風串呂をご紹介します。最後までご一読くださるようお願いします。
2、串呂哲学の理解を助ける予備知識
始めての方は、下記の記事を参照してください。
3、金崎神宮と天子ケ岳との神風串呂
三浦芳聖は、重要串呂起点で我が国唯一の地名「天子ヶ岳」から尊良親王(以下、尊良天皇と尊称)を祭神とする「金崎宮(かねがさきぐう・以下、金崎神宮と尊称)」に串呂すると次のようになると述べています。
[⛩金崎神宮](敦賀市)-[清子](身延町)-[天子ヶ岳](富士宮市)-[毘沙門](三浦市)-[尊房](鴨川市)
【地文のみ掲載】
[⛩金崎神宮]-[清子]-[天子ヶ岳]-[毘沙門]-[尊房]
【地文の解釈】(地名に地図がリンクしています。)
(1)⛩金崎神宮(かねがさきじんぐう、福・敦賀市金ヶ崎町)
尊良天皇と恒良親王を祭神とする神社。天皇を祭神とする神社ですので、串呂哲学では「金崎神宮」と尊称しています。
金崎神宮は、明治23(1890)年9月、金ヶ崎城址に尊良天皇を御祭神として建立され、官幣中社に加列。明治25年(1892)11月、恒良親王が合祀され、明治26(1893)年、現在地に社殿が竣工して遷座しました。
いわゆる建武中興十五社(建武中興に尽力した南朝側の皇族・武将などを主祭神とする15の神社)のひとつであります。金ヶ崎城跡は、尊良天皇終焉の地(ご胴体埋葬)の地であります。
(2)清子(せいご、山・南巨摩郡身延町)
清子(せいご)=きよこ=清子(きよこ)。日本で唯一の地名。
この清子(せいご)が、尊良天皇の皇后・右大臣西園寺公顕の女・藤原清子後京極院御匣を表わす地文であることは、尊良天皇を祭神とする「金崎神宮」と「天子ヶ岳」を結んだ串呂線上に、この「清子」という地名が存在することから解明されたと思います。
[金崎神宮]-[清子]-[天子ヶ岳]
尊良天皇と皇后清子姫の運命的な出会いについては、下記の「4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察」で詳述していますのでそちらを参照して下さい。
(3)天子ケ岳(てんしがたけ、静・富士宮市)1330m
天子(天皇)をあらわす地文。「天子ヶ岳」は、天子(天皇)を昭示あるいは鑑定する重要串呂起点。日本で唯一の地名。
ここでは、「天子ヶ岳」に、金崎神宮の祭神、尊良天皇が神皇正統の天皇かどうかを鑑定して頂くという視点での串呂です。
(4)毘沙門(神・三浦市南下浦町)
天皇を薬師如来、皇后を毘沙門天になぞらえ、この串呂では皇后清子姫を表わす。
三浦芳聖は「尊良天皇が嘉元2年(1304年)甲辰8月8日生まれであることから、8月8日は薬師如来の正当日に当たるので薬師如来になぞらえ、皇后を薬師如来の脇侍仏の毘沙門天になぞらえる」(要約)と述べています。
尊良親王の第二皇子「基良親王」の嫡孫河合家(愛知県岡崎市明見町田代)では、太子(日嗣の御子)尊良親王は、嘉元2年(1304)甲辰8月8日生まれと伝承しています。
8月8日は、薬師如来の縁日で、尊良天皇を薬師如来とするとその皇后は脇侍仏の毘沙門天となるとの解釈です。
(5)尊房(そんぼう、千・鴨川市)
房には、小部屋、つぼね(女房・女官)の意味が有り、尊良天皇のお宮、尊良天皇の女房の両方の意味に解釈できる。
4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察
金崎神宮-清子-天子ヶ岳-毘沙門-尊房
神秘的かつ的確なる鑑定結果に圧倒されます。「清子」「天子ヶ岳」この二つの地名が共に日本で唯一の地名であることが、串呂の主宰神によって構築された神風串呂であることを証明しています!
この尊良天皇の皇后「清子姫」については、『太平記』巻第18の7「春宮還御事付一宮御息所事」に、尊良親王との運命的な出会いから始まり、土佐に流された尊良親王を尋ねての旅路で、海賊の難に合うことなど、実にドラマチックに語られています。
その二人の出会いの一節をご紹介します。「一宮尊良親王の恋」。
その後、尊良親王の清子姫に寄せる思いを忖度した徳大寺左大将が清子姫との婚約を解消したので、尊良親王と清子姫は、結ばれることになったと書かれてあります。
『太平記』は文学ですから、すべて実話とは限りませんが、徳大寺左大将という歴史上の人物の名前が出ているからには、尊良親王が清子姫に出会ったとき、清子姫は既に婚約していたことは事実であったと思います。
「金崎神宮-清子-天子ヶ岳」の串呂と「尊良親王の恋」との関係を、私は、うまく説明することはできません。
「串呂が先か、現実が先か!」皆さまのご感想をお待ちしています!
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串呂哲学研究会では、今日では入手不可能な三浦芳聖師の著書を復刻するのに多くの時間と労力を掛け、採算を全く考慮せず、串呂図、表紙画像、系図、中扉などのCG画像作成のために多くの費用を掛けて参りました。
これは、我が日本国と日本民族の将来を案ずればこそであります。皇祖神・天照大御神が、私達日本民族のために、苦心惨憺、長期間を掛けて構築して下さった神風串呂を学びましょう!
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🟡情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。