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地文学への招待-「大明見」(串呂哲学研究ノート第270号)

💖このオンラインブックは、山梨県富士吉田市の大明見おおあすみという地名は、奈良県吉野町(吉野山)、愛知県西尾市一色町、仝県岡崎市牧平町(大門)、山梨県身延町(和田)と共に一直方角線上にあり、伊勢神宮の大神の叡智えいちに基づく神経綸かみしくみによって、用意周到よういしゅうとう計画的に構築され命名された串呂地文である事を考証した世界で最初の小論文です。


💫日本国再建のため、霊戦を開始しましょう!

🔴日本国再建のため、いますぐ霊戦を開始しましょう!
私は、朝夕「大祓祝詞おおはらいのりと太祝詞ふとのりと斎鏡斎穂之神勅さいきょうさいすいのしんちょく三種祓詞みくさのはらいことば十言神呪とごとのかじり神名奉誦しんめいほうしょうなど)」を約40分ほど掛けて奏上し、真日本国の再建を熱禱祈願しています!

🔴残念ながら、今のままでは我が国は、異民族の隷属れいぞく国(保護国)に甘んじつつ、ついには亡国への坂道を転げ落ちる道しか残されていないように思えてなりません(満州国がその前例です)。

🔴この亡国の危機にひんしている日本国再建の大道は、わが国の守護神であり指導神霊である伊勢神宮の大神(天照大御神)に中心帰一して、日高見国ひだかみのくに・縄文日本の民としてよみがえることであると確信しています。

🔴神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)は、地文ちもん(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、真日本再建のため皇祖神(天照大御神)によって構築されました。

🔴主権在民の我が日本国です!良きにつけ悪しきにつけ、現在の我が国については、われわれ国民一人一人に責任がありますし、悪政を放置した結果、痛い目にうのも我々一般国民です。真実に目覚め、真日本国再建の為には日々の研鑽けんさん・学習・戦いが必要です!

🔴真日本国再建のため、いますぐ霊戦を開始しましょう!

著者 鈴木超世志


💫串呂哲学の理解を助ける予備知識
始めての方は、下記の記事を参照してください。


💖「大明見」-地文学への招待 №7

1、大明見おおあすみ

大明見(山梨県富士吉田市)は、「おおあすみ」と読みます。この大明見は例によって、国内唯一の地名です。

山梨県富士吉田市

🟡串呂哲学ではだい(おおきい)は、文字通り偉大、重大、大物などの意味を表わしますが、御、天、神、聖、公、鏡、皇、霊、日、明などが付く地文同様、天皇・皇室に関連深い文字であります。

   おーきい≒  おー様=天皇・皇室

🟡この大の付く地文例としては、大神、大日、大君、大門、大呂、大串、大倉、大宮、大和、大地、大塚、大祖、大津、大御神、大聖寺、大日向、大普賢岳、大明神岬など枚挙まいきょいとまがないほどたくさんあります。

🟠この大明見おおあすみは、都を遠く離れた南朝正統の天皇、皇族らが隠棲していた皇居(富士谷御所)が存在したこと表わす地文です。

大・・・天皇・皇室
明(日+月)・・・天皇・皇室
見・・・あらわす。露見、発見、所見。

🟡それでは、この山梨県富士吉田市の「大明見おおあすみ」という地名を串呂哲学による「地文学ちもんがく」で考察しましょう!

2、後醍醐天皇御陵ごだいごてんのうごりょうと富士吉田市大明見おおあすみとの神風串呂

三浦芳聖が解明した山梨県南都留郡「大明見おおあすみ」を串線する串呂の中で、神秘的かつ驚異的な串呂が、下記の奈良県吉野山の後醍醐天皇御陵ごだいごてんのうごりょうと富士吉田市の「大明見おおあすみ」とを結んだ神風串呂です。

🔴何と!南朝の三つの天皇隠棲地が、一直線上に、しかもほぼ等距離間に位置して串呂しているのです!

吉野町(後醍醐)ー等距離ー牧平町(大宝)ー等距離ー大明見(小室門院)

これは霊線れいせんです!神呂かむろです!まさに神風串呂です!

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第五章

後醍醐天皇御陵ごだいごてんのうごりょう」―「一色いっしき」―「牧平まきひら大門だいもん」—「和田わだ」―「大明見おおあすみ

🟡後醍醐天皇御陵ごだいごてんのうごりょう(奈良県吉野郡吉野町吉野山) 

後醍醐天皇塔尾陵(奈良県吉野郡吉野町)

後醍醐天皇ごだいごてんのう 塔尾陵とうのおりょうは、奈良県吉野郡吉野町吉野山塔尾山とうのおざん椿花院ちんかいん如意輪寺にょいりんじ裏山にある北面の後醍醐天皇の御陵です。

後醍醐天皇

【参照】
後醍醐天皇塔尾陵(宮内庁)
後醍醐天皇の神風串呂

後醍醐天皇(吉野朝の初代天皇)
諱《いみな》は尊治(たかはる)。 大覚寺統の天皇。第96代の天皇および南朝初代天皇。元弘の乱で鎌倉幕府を倒して建武新政を実施したものの、間もなく足利尊氏との戦い建武の乱に敗れたため、大和吉野へ入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立し、尊氏の室町幕府が擁立ようりつした北朝との間で、南北朝の内乱を開始した。(『ウィキペディア(Wikipedia)』後醍醐天皇

🟡一色いっしき(愛知県西尾市一色町)
「一色」は、「ひといろ」で、串呂哲学では「かれこれとは同じ」の意味です。リンクする串呂の交差点の地文が一色の場合に代名詞の役割をする地文です。

この串呂では、「大明見と牧平町(大門)と吉野町は、共に(同様の=ひといろの)南朝の天皇隠棲地いんせいちであった」ことを表わす地文です。

🟠大明見=牧平町(大門)=吉野町=南朝の天皇隠棲地いんせいち

また、この西尾市一色町は、三河一色諏訪すわ神社の大提灯おおじょうちんで有名な町です。

諏訪神社近くに「大宝橋」があり、大寶社中たいほうしゃちゅうと書かれた大提灯は、南朝正統第百代「大宝天皇」ゆかりの大提灯であるという考証があります。(藤原石山)

三河一色諏訪神社の大提灯(愛知県西尾市一色町)

🟡牧平町まきひらちょう大門だいもん(愛知県岡崎市)
大門だいもんは、大御門おおみかど大帝おおみかど=神皇正統のスメラミコト=天皇(または皇居)と解読します。

豊富神社(愛知県岡崎市牧平町大門)

三浦家の古記録によれば、愛知県岡崎市牧平町大門は、南朝正統第百代「大宝天皇」の蒙塵もうじんの地(隠棲地いんせいち)です。

大宝天皇は、享徳きょうとく3年(1454年)、天照大御神の御神諭ごしんゆに基づき、皇后三浦佐久姫の姓を名乗って三浦藤太夫と称し、牧平大門に移住して純然たる百姓となりました。

爾来じらい、牧平町大門は、三浦家累代るいだい450年間の住居(蒙塵もうじんの地)であり、三浦芳聖の降誕地でもあります。

🟡大宝天皇(美良)号宗心・後称三浦藤太夫

【参照】牧平大門の縦と横の串呂
正統天皇が天の岩戸篭もりし三浦と名乗った!
(蔵王山ー大門三串-🔴-🔴-🔴- ー三浦山ー大日岳の串呂)
石清水八幡宮と牧平大門との神風串呂

🟡和田わだ(山梨県南巨摩郡身延町)
和田は、南朝正統第九十九代「松良天皇」の符号です。
この和田の住所「身延町みのぶちょう」に注目して下さい。

身延町みのぶちょうは、「体生命の危険から逃れて命した!からくも命脈を保った!」を意味する地文です。隠棲地に隠れ住んだ結果、皇統が和田(松良天皇)につながったと読み解きます。


【参照】和田について
松良天皇の符号が「和田」であるのは愛知県豊橋市石巻町の和田地内に松良天皇の玉川御所春宮御所とうぐうごしょ)があったことに由来します。嵯峨の春興院一帯は、和田城跡と言われています。

この和田地内には「玉川」「御所」「広福」「若宮」という地名が現存しています。

豊橋市石巻本町字 御所(地図マピオン)

🟣松良天皇(正良) (№79)
🟠和田四串の神風串呂
⛩多賀大社と松良天皇御陵との神風串呂

🟡大明見おおあすみ(山梨県富士吉田市)
富士吉田市大明見おおあすみは、南朝正統家の隠れ城(富士谷御所)が存在したところです。例によって、国内唯一の地名です。

富士吉田市大明見(背戸山展望台/グルコミより

小室門院こむろもんいん元子媛命もとこひめのみことは、この大明見の小室城こむろじょう宮下みやしたやかたで降誕し、この地で過ごしたことは、すでに下記の様に述べました。

小室門院元子内親王は、興国2年(1341年)この地で降誕し、乙女時代と天授5年(1379年)9月20日の三河御所が崩壊以降、39歳~48歳までを過ごしたと思われる。(「青木文献」「長慶天皇紀略」)

また、大明見が南朝の富士谷御所が存在した所である事も「第268号」で述べましたので省略します。初めての方は下記をご覧ください。

【参照】
地文学への招待-忍野村忍草(第268号)
*三輪義熈「長慶天皇紀略
富士谷御所(大明見)の神風串呂
南朝正統皇位継承論4(富士谷御所の伝説)

富士吉田市大明見(地図マピオン)

【資料】小室門院元子媛命
小室門院元子内親王 
天母妙覚の大神 小室門院元子媛命
地文学への招待-鬼女新田
地文学への招待-聖一色(小室門院登極説)
地文学への招待-神殿町
地文学への招待-忍野村忍草
地文学への招待-明神池
三浦芳聖伝 46、小室門院の御陵発見
三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第五章

3、まとめ

後醍醐天皇御陵ごだいごてんのうごりょう」―「一色いっしき」―「牧平町大門だいもん」—「和田わだ」―「大明見おおあすみ

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第五章

🟠此の串呂を解読すると下記のようになります。

大明見おおあすみ(小室門院御所)と牧平町(大宝天皇蒙塵地)、吉野町(後醍醐天皇行在所)は、共に(一色町南朝正統家の隠棲地であり、隠棲地に逃れたお蔭で生命を永らえる(身延みのぶ)ことができた。

🟡「小室門院元子媛命」は、興国2年(1341年)富士谷御所、小室城宮下の館(山梨県富士吉田市大明見)で降誕し、後醍醐天皇から継承した三種の神器を奉持していた天津日嗣の天皇ゆえ、また大宝天皇は、享徳きょうとく3年(1454年)愛知県岡崎市牧平町大門で天之岩戸籠あめのいわとごもりりをした南朝正統家の最後の天皇ゆえ、以上のように生活の根拠地(隠棲地)が後醍醐天皇御陵を起点とした一本の神風串呂で昭示されているのです。

🟠隠棲地つながりの神風串呂
 
🟡南朝創始者 後醍醐天皇の隠棲地(吉野町・初代)
   
 🟢この串呂線上の地文は同類なり(一色町・ひといろ)
   
 🟡南朝最終王 大宝天皇の隠棲地(牧平町・第五代)
   
 🟢隠棲地のお蔭で辛くも生命を永らえた(身延町
   
 
🟡南朝中継王 元子天皇の隠棲地(大明見・第三代)


💖串呂の的確さに驚嘆いたしますね!😍

串呂主宰神が、この大明見、牧平町大門、後醍醐天皇御陵、その他の地文を構築するのに、どんなに苦心されたかは想像を絶する世界です。とうてい人間の力の及ぶところではありません。まさに神風串呂です。

直観力の優れた方なら、もうこの串呂を見ただけで、日本の本質は神国であり、この串呂を構築された皇祖神の存在を認識できると思います。

💖結論

🟡以上の考察、考証で明らかなように、富士吉田市大明見の富士谷御所で隠棲されていた小室門院元子媛命は、後醍醐天皇から三種の神器を継承した天津日嗣の天皇であります。

🔴これまで、繰り返しお知らせして参りましたように、この小室門院元子媛命の御陵(妙覚塚)は、串呂主宰神・伊勢神宮の神々が構築された神風串呂で昭示されたれっきとした天皇陵であるということです。


参考資料
三浦芳聖『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(神風串呂講究所/1970年)
三浦芳聖『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版(串呂哲学研究会)
藤原丸山『南朝正統皇位継承論』(南朝史学会/1988年新版)
藤原石山『三河に於ける長慶天皇伝説考』(南朝史学会/1979年)


💖串呂は、実に神秘的に構築されている神道皇霊学であり、地図上ではありますが、視覚により実際に認識できる明確な世界であることが特徴です。
💝信念や想像の世界ではないと言う事です。


🔴神風串呂の集大成、三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』は、国立国会図書館、豊川市立図書館、京都府立資料館、京都大学文学研究科図書館、九州大学附属図書館にありますので、誰でも読むことが可能です。



串呂クシロ(かんろ)とは

串呂クシロ(かんろ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだと言われていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

神風クシロ(串呂)は、地文ちもん(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、神国日本再建のために皇祖神によって構築されました。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学び、天照大御神の御霊代みたましろである神宝(御鏡)を、富士山麓に奉遷ほうせんして同床共殿にお祭りすれば、いま危機にひんしている「日本国」を救済する道を切り開き、天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来ると確信しています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、群雄割拠の戦国時代(120年以上)に無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。



串呂哲学研究ノートバックナンバー(総合)

情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

(出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。)

🟡前号(№269) 
地文学への招待-明神池
🟢次号(№271)
静岡県・南朝皇陵の奉斎(慰霊)はなぜ必要か!

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。

串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。