見出し画像

地文学への招待-「忍野村忍草」(串呂哲学研究ノート第268号)

このオンラインブックは、山梨県南都留郡の忍野村忍草おしのむらしぼくさという地名は、伊勢神宮の大神の叡智えいちに基づく神経綸かみしくみによって、静岡県牧之原市大寄おおよりに御陵がある小室門院こむろもんいん元子媛命もとこひめのみことのために、用意周到よういしゅうとう、計画的に命名された串呂地文である事を考証した世界で最初の小論文です。

💫日本国再建のため、霊戦を開始しましょう!

🔴日本国再建のため、いますぐ霊戦を開始しましょう!
私は、朝夕「大祓祝詞おおはらいのりと太祝詞ふとのりと(神勅、三種祓詞みくさのはらいことば十言神呪とごとのかじり神名奉誦しんめいほうしょうなど)」を約40分ほど掛けて奏上し、
真日本国の再建を熱禱祈願しています!

🔴残念ながら、今のままでは我が国は、異民族の隷属れいぞく国(保護国)に甘んじつつ、ついには亡国への坂道を転げ落ちる道しか残されていないように思えてなりません(満州国がその前例です)。

🔴この亡国の危機にひんしている日本国再建の大道は、わが国の守護神であり指導神霊である伊勢神宮の大神(天照大御神)に中心帰一して、日高見国ひだかみのくに・縄文日本の民としてよみがえることであると確信しています。

🔴神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)は、地文ちもん(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、真日本再建のため皇祖神(天照大御神)によって構築されました。

🔴主権在民の我が日本国です!良きにつけ悪しきにつけ、現在の我が国については、われわれ国民一人一人に責任がありますし、悪政を放置した結果、痛い目にうのも我々一般国民です。真実に目覚め、真日本再建の為には日々の研鑽けんさん・学習・戦いが必要です!

🔴日本国再建のため、いますぐ霊戦を開始しましょう!

著者 鈴木超世志


💫串呂哲学の理解を助ける予備知識
始めての方は、下記の記事を参照してください。


💖「忍野村忍草」-地文学への招待 №5

1、忍野村忍草おしのむらしぼくさ

忍野村忍草(山梨県南都留郡)は、「おしのむらしぼくさ」と読みます。この地名は例によって、国内唯一の地名です。

下記の地図にも出ていますが、天然記念物である「忍野八海おしのはっかい」は、富士山の伏流水に水源を発する湧泉池として人気の高い観光地の一つです。

串呂哲学ではにん(しのぶ)は、文字通り忍耐にんたいを表わす言葉で、これは門外漢の独断と偏見ですが、忍野おしの(oshino)は、かつて一世を風靡ふうびした「おしん物語」の主人公「おしん(oshin)」と言霊ことだまを同じくする!?のではないかと思うのです。

この忍野村おしのむら忍草しぼくさは、都を遠く離れた南朝正統の天皇、皇族らが、富士谷の御所で世を忍んで暮らしていた事、すなわち不自由な環境下で隠棲いんせいしていた事を表わす地文です。

南朝史学会の藤原石山氏は「戦乱は、勝った者の天下であり、敗者の立場はあまりにもみじめなものであった。歴史の谷間にあって長い間しいたげられ、さげすまれてきた者にとってはえがたい隠忍いんにんの生活であり、にがい体験であったと云えよう。」と述べています。

(「三河に於ける長慶天皇伝説考」南朝史学会/1979年)

🟡それでは、この山梨県南都留郡「忍野村おしのむら忍草しぼくさ」という地名を串呂哲学による「地文学ちもんがく」で考察しましょう!

2、富士吉田市大明見おおあすみ小室山こむろやまとの神風串呂

三浦芳聖が解明した山梨県南都留郡「忍野村おしのむら忍草しぼくさ」を串線する串呂の中で、代表的な串呂が下記の図の富士吉田市の「大明見おおあすみ」と小室門院こむろもんいん元子媛命もとこひめのみことを表わす「小室山こむろやま」(静岡県伊東市川奈)とを結んだ串呂です。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第五章

御所平ごしょだいら」―「焼山峠やきやまとうげ」―「みなみ」—「大明見おおあすみ」—「忍野村おしのむら忍草しぼくさ」―「小室山こむろやま

この串呂は国土地理院発行の20万分の1の地勢図「甲府」「静岡」「横須賀」の3枚をつなぎ合わせれば確認できますので、皆さんも串呂を引いてみて下さい。地図上に地名が印刷されていない場合は、WEB地図または5万分の1の地形図で確認し位置を特定します。

国土地理院発行の地図は、全国の販売店で購入できますが、下記の地図センターでもオンラインで購入できます。

(1)南朝正統家の隠れ城があった大明見おおあすみ

富士吉田市大明見おおあすみは、南朝正統家の隠れ城(富士谷御所)が存在したところです。例によって、国内唯一の地名です。

南朝史学会の藤原石山氏は、山梨県の富士谷(桂川上流の富士吉田市や南都留郡の山中湖周辺)に、南朝正統家の隠れ城(富士谷御所)が存在したことを考証していますので、そのさわりの部分を抜き出しました。詳細は、既に記述済みですので、興味のある方は下記の資料でご覧ください。

💞誤字とはっきり分かる箇所は訂正し西暦年と(*宗良)を加えました。

(前略)大正十三年(1924年)三輪義熈みわよしひろ氏が「長慶天皇紀略」をあらわし宮下家の古記録を考証して発表し学界の問題となった。(中略)問題の古文献は、南朝及び後南朝に関するものがその大半を占め特に長慶天皇がここ南都留郡富士谷に御行在おんあんざいになり、この地に崩御したことがしるされているのである。(中略)長慶天皇の研究には最も貴重な参考資料である。(後略)

富士谷南朝秘蹟(「南朝正統皇位継承論」南朝史学会/1966年)

(前略)  
   名にたてる鶴のこおりの民なれば     
     千世ちよのみつぎもたえせざりけり (梨花集 雑)

これは、(*宗良)親王が年々の貢物みつぎものを欠かさぬ都留郡民の忠良を御讃へおたたえになった歌である。

又正二位大納言藤原政為まさため卿の歌に
   君が代の千代の日嗣ひつぎ行末ゆくすえ
      つるのこおりの民やしるらん (碧玉集)
があり、今から五百年前に詠じたもので、この一首をみても甲斐国都留地方が皇室に深い縁りあることが知れるのである。(後略)

富士谷南朝秘蹟(「三河に於ける長慶天皇伝説考」南朝史学会/1979年)

【資料】
*三輪義熈「長慶天皇紀略
*「富士谷御所(大明見)の神風串呂
*「南朝正統皇位継承論4」(富士谷御所の伝説)

富士谷御所の略図(「不二草紙 本日のおススメ」より)

(2)大明見に富士谷御所があったことを表わす地文

🟡御所平(ごしょだいら、長野県南佐久郡川上村)
御所(行在所あんざいしょ)を表わす。ここでは大明見の富士谷御所を表わす。

🟡焼山峠(やきやまとうげ、山梨県山梨市)
足利義満率いる大軍に攻撃され、富士谷の御所が焼かれ、それを峠に落ちられたことを表わす。国内唯一の地名(山岳)小楢山こならやまともいう。

西北に隣接する「乙女高原おとめこうげん」は、小室門院元子内親王が乙女時代にも大明見の富士谷御所に住んでいたことを表わす。(大明見小室城宮下の館で降誕)

山梨市牧丘町北原焼山峠(地図マピオン)

三浦家の系図によると、元中5年(1388年)、足利義満率いる15万の大軍に富士谷御所を急襲され、完膚なきまでに粉砕され焼き払われたという。

そのため小室門院元子内親王は、わずかな側近の者らと遠江国とおとうみのくに(静岡県牧之原市大寄おおより萩間はぎま)へ落ち延び、言語に絶する艱難辛苦かんなんしんくを味わい、応永元年(1394年)牧之原市大寄部ヶ谷へがやに於て崩御され、牧之原市大寄おおより部ヶ谷へがや台上の妙覚塚みょうがくづかに埋葬された(54歳)。

【参照】「小室門院元子内親王」より転載
「元中5年(1388年)、足利義満率いる大軍に富士谷の御所を急襲きゅうしゅうされ、遠江国とおとうみのくに(静岡県牧之原市大寄萩間)へ落ち延び言語に絶する艱難辛苦を味わう。48歳。
(小室門院48歳/桑年の御時、三浦芳聖)
上記の記述を裏付ける資料として、室町幕府の第三代将軍足利義満が、元中5(1388)年、駿河で富士山を遊覧したという記録があります。」

・・・元中5年/嘉慶2年(1388年)には駿河で富士山を遊覧し・・・
  (『ウィキペディア』足利義満#家督・将軍職相続

🟡(みなみ、山梨県山梨市)
南朝を表わす。富士吉田市大明見が南朝の秘密基地(隠れ城)であったことを昭示する地文です。

🟡大明見(おおあすみ、山梨県富士吉田市)
富士谷御所のあった所。国内唯一の地名です。小室門院元子内親王は、興国2年(1341年)此の地で降誕し、乙女時代と天授5年(1379年)9月20日の三河御所が崩壊以降、39歳~48歳までを過ごしたと思われる。
(「青木文献」「長慶天皇紀略」)

山梨県富士吉田市大明見(地図マピオン)
富士吉田市大明見背戸山展望台/グルコミより)

🟡忍野村忍草(おしのむらしぼくさ、山梨県南都留郡忍野村)
山梨県南都留郡の忍野村おしのむら 忍草しぼくさは、小室門院元子内親王が、隠れ城(富士谷御所)に忍んで住んでいた事を表わす地文です。国内唯一の地名です。

神皇正統の天皇が大明見の隠れ城(隠棲地)で忍んで暮らしていたことを表わす忍野おしの忍草しぼくさは、天然記念物「忍野八海おしのはっかい」で有名な観光地である。

 山梨県南都留郡忍野村忍草「忍野八海」Tripadvisor提供

🟡小室山(こむろやま、静岡県伊東市川奈)標高321mの山
小室門院元子内親王を表わす。

この小室の名称は、小室門院の降誕地、富士谷御所のあった山梨県富士吉田市大明見おおあすみ小室宮下こむろみやしたやかたから来ています。

この小室の名は、現在、|小室浅間《おむろせんげん》神社冨士山下宮しもみや小室浅間神社に残っています。
(こむろkomuro→おむろomuro)。

小室山公園(伊豆伊東観光ガイドより)

三輪義熈みわよしひろ 著「長慶天皇ちょうけいてんのう紀略きりゃく」には、「天授5年(1379年)、前帝長慶院、皇太后ひそかに富士谷に潜幸せんこうなる」と記載されています。
原文「天授五年己未年つちのとひつじどし前帝長慶院皇太后とひそかに富士谷潜幸せんこうなる」

この皇太后は、小室門院元子媛命のことです。小室門院という名称も『長慶天皇紀略』に数回出ています。

「富士勝山谷の玉川の宮に於て、皇子誕生。母は、皇太后小室門院。其産室を、宝野の宮と称す。皇子を正良親王と名づけさせ給ふ。」
(三輪義熈『長慶天皇紀略』62頁、旧漢字は新字体に改めました。)

【資料】小室門院元子媛命
小室門院元子内親王 
天母妙覚の大神 小室門院元子媛命
地文学への招待-鬼女新田
地文学への招待-聖一色(小室門院登極説)
地文学への招待-神殿町
三浦芳聖伝 46、小室門院の御陵発見
三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第五章

(3)まとめ

御所平ごしょだいら」―「焼山峠やきやまとうげ」―「みなみ」—「大明見おおあすみ」—「忍野村おしのむら忍草しぼくさ」―「小室山こむろやま

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第五章

🟠此の串呂を解読すると下記のようになります。
「南朝の小室門院は、大明見おおあすみを御所として忍んで(隠棲して)いたが、足利義満率いる大軍に、ここを焼かれたため、それを峠に落ちていった。」

🟡「小室門院元子内親王」は、興国2年(1341年)富士谷の御所、小室城宮下の館(山梨県富士吉田市大明見)で御降誕と云われ、三種の神器を継承した天津日嗣の天皇ゆえ、以上のように生活の根拠地が神風串呂で昭示されているのであります。

💖串呂の的確さに驚嘆いたしますね!

串呂主宰神が、この忍野村忍草その他の地名を構築するのに、どんなに苦心されたかは想像を絶する世界です。とうてい人間の力の及ぶところではありません。まさに神風串呂です。

直観力の優れた方なら、もうこの串呂を見ただけで、日本の本質は神国であり、この串呂を構築された皇祖神の存在を認識できると思います。ぜひ、国土地理院発行の20万分の1の地勢図をつなぎ合わせて、実際にご確認いただきたいと思います。

💖結論

🟡以上の考察、考証で明らかなように、静岡県牧之原市大寄の小室門院元子媛命の御陵「妙覚塚」は、南朝正統の天皇御陵ですから、磐田市神増原の小松天皇の御陵と共に、丁重ていちょう奉斎ほうさいしなければならないと思います。

🔴これまで、繰り返しお知らせして参りましたように、この小室門院元子媛命の御陵(妙覚塚)は、串呂主宰神・伊勢神宮の神々が構築された神風串呂で昭示されたれっきとした天皇陵であるということです。


参考資料
三浦芳聖『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(神風串呂講究所/1970年)
三浦芳聖『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版(串呂哲学研究会)
藤原丸山『南朝正統皇位継承論』(南朝史学会/1988年新版)
藤原石山『三河に於ける長慶天皇伝説考』(南朝史学会/1979年)


💖串呂は、実に神秘的に構築されている神道皇霊学であり、地図上ではありますが、視覚により実際に認識できる明確な世界であることが特徴です。
💝信念や想像の世界ではないと言う事です。


🔴神風串呂の集大成、三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』は、国立国会図書館、豊川市立図書館、京都府立資料館、京都大学文学研究科図書館、九州大学附属図書館にありますので、誰でも読むことが可能です。



串呂クシロ(かんろ)とは

串呂クシロ(かんろ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだと言われていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

神風クシロ(串呂)は、地文ちもん(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、神国日本再建のために皇祖神によって構築されました。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学び、天照大御神の御霊代みたましろである神宝(御鏡)を、富士山麓に奉遷ほうせんして同床共殿にお祭りすれば、いま危機にひんしている「日本国」を救済する道を切り開き、天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来ると確信しています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、群雄割拠の戦国時代(120年以上)に無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。



串呂哲学研究ノートバックナンバー(総合)

🔴情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

(出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。)

🟡前号(№267) 
地文学への招待-神殿町
🟢次号(№269)
地文学への招待-明神池

***********************
🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
🟢Facebookグループ 串呂哲学研究にご参加下さい。
🟠アップデートがすぐに分かります。
🟣グループだけの最新情報もあります。

串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究ノート
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
***********************

読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。