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ミラクル珍道中作家時代①

QQ女の20代はふらふらと自分のやりたい事はなんなんだを探す時代だった。

NYに押しつぶされそうになった私は逃げるように日本に戻り東京に来たけれど、ずっと若さから有り余るエネルギーを行き先の違う所へ消費しているような気がしていた。
(高校までスポーツをやっていたからか体力が無駄にある)

見るもの感じるもの全てをヒントにして自分の中のものを表現したい!
そんな事が出来る日を夢見ていた。

とはいえ自分がこれだ!と思えるものなどあるのだろうか。。

東京でのガードマン時代については以前書いたが、そのころ一緒に働く夢に向かっている人々と会うたび、ぼんやり思ってなにもやらない自分に嫌気がさし、自分の興味のあることをとりあえずなんでもやってみると心に決めた。

そのころQQ女20代後半。
30歳に近づくにつれ世間の女性達は何かから追われるように焦りはじめる中、そんなことはおかまいなしにQQ女はようやく自分は何者か、いや!何者になりたいのかを問いはじめる事になーる。

カメラを買ってやってみたり、染めの学校へいってみたり、織りの教室行ってみたり、革細工やってみたり、ドラム習ってみたり、レストランや飲み屋で働いてみたり。
だけどどれも自分の飽き性とセンスのなさから情熱がなかなか燃え続かなかった。。

だけどもある時、なぜか急に着物にハマった。
その頃大正時代や昭和初期とかの柄が大胆で斬新な色合いの古い着物が流行りはじめた頃で、海外から戻って自分は日本人であるというアイデンティティを強烈に感じていたこともあり、ぐっと引き寄せられた。

アフリカの人が自分の民族へのリスペクトを忘れずに、派手な生地や民族衣装をまとい街を歩いているように、私も着物を着て出かけたり、夏は浴衣を着て出かけたり楽しんでいた。
けれどそのうち着物そのものから生地に惹かれていった。

古い着物を販売するところや市などに行き、面白い着物や帯を見つけてはいつしかこの生地を海外に輸出したりできると良いなと思うようになった。

生地だけというのは需要がないかしら。。では簡単なトートバッグとかなら縫えるんじゃないだろうか、と安易な思いで商業用ミシンと言うのを買い、バッグの作り方の本を買ってきて作ってみる事に。

順序を見ながら縫ってみる。
展開図など頭の中で立体にする脳みそがどこかに行ってしまったのではないかというくらい、どう考えても入り口部分を縫い付けてしまいどこから入れるんだ状態の物を、作ってはほどき作ってはほどきを繰り返し、なんとか形になってきた。
試行錯誤してそのうち革を使ったりがま口作ったり、裂き織にしてみたり。

そのうちタグまで作って商品化。
当時それが作家と言われるものだとは知らなかったのだけれど、とりあえず売ってみようと考えた。

気になるお店にアポをとり、とりあえず見せにいく。
どうやって販売してもらうのか、掛け率はもちろん、お金のやり取りはどうするのかさえ何も知らない若かりしQQ女はとりあえず行ってみるという度胸はあるのです。
(その頃信じていた合言葉は「若いころの苦労は買ってでもしろ」言っていた座右の銘は「大器晩成」※願望)

すると優しいお店の店主に気に入っていただき置いてくださるとのこと。

ここから飽き性QQ女のハチャメチャな珍道中作家時期がはじまった。

つづく

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