鬱になった私が「自己肯定感」について考えてみた
鬱になった私です。
自信のある人って素敵ですよね。
自分は自己肯定感のベースが低くて、何かに打ち込んでいない、結果が残っていないとなかなか自分に自信を持つことができません。
自信があるだけで、主体的に行動できますし、何より精神も安定しそうなので今回は自信、自己肯定感について考えみたいなと思いました。
自己肯定感とは
自己価値に関する感覚。
「自分の存在そのものを認める」感覚であり、「ありのままの自分をかけがえのない存在として好意的に受け止めることが出来る感覚」のことで「自分が自分をどう思うか?」という自己認識が自己肯定感を決定づける。
自己肯定感はエンジンらしい
上記記事に素敵な表現があったので引用します。
人生は車である。
車輪はあなたの人生の豊かさや幸福の質を決める大事な領域の1つである。(家族や人間関係、仕事など)
その車輪を満足に動かせるのはエンジンの役割である自己肯定感である。
自己肯定感が低いとエンジンが小さな車で進んでいるようなもので平坦な道は問題なく走れる。
しかし重い荷物を載せたり、登坂になるとスピードは減速する。
(人生で困難に直面した時)
自己肯定感が高いとエンジンの馬力は強くなり、4つの車輪を動かす力は大きくなる。
自己肯定感が必要な時
特に必要な時は困難な状況や失敗、批判や拒絶など自分にとって受け入れがたい状況にあった時。
ここで落ち込んだとしても必要以上に自分を否定せずに自己価値を保つことが出来る。
確かに、下り坂でエンジンが切れてしまったら落ちていってしまうなあ。
自分の自己肯定感が低いと思う部分
他人の評価や尺度で自分の価値を決めつけてしまうところ。
自分の立場が弱い環境で、自分の評価が低い箇所ではどうしても自分の自己肯定感は下がってしまうなあ。
ここで高める方法は何があるんだろう。
他者のバイアスにかからず、自分の持っているものを自覚する
他者からの悪い評価に強い意識がいくと
自分の持っているものに目をくれず、無いものばかりに目が行ってしまう。時には自分で自分の価値を疑ってしまうときもあるだろう。
しかし、自分にも長所や持っているものがたくさんあるんだ。
それに目を向けて自分という他者からあなたはここにいいところがあるよと認めてあげる。褒めてあげる。という時間が必要なんだと思う。
自分を卑下することをやめよう
自分のポリシーとして「謙虚」になることを大事にしてきた
けどそれが「謙虚」ではなくて「卑下」になっているときがあったなと思う。
・謙虚…控えめで相手の意見を素直に受け入れる
・卑下…自分を劣ったものとしていやしめる
という意味。
個人的には卑下は自己肯定感を下げるためのもので
謙虚とは、自己肯定は保ったまま相手の意見を素直に受け止める力である。
なので、自分で自己肯定感を下げる発言や行動はやめつつ、相手の意見などを素直に受け止める。受け止めるのは自己肯定の部分ではなく、アドバイス部分だけである。
これが案外自分にはできていないので注意したい。
まとめ
自己肯定はエンジン。
自己肯定を高めることは一番重要である。
知識をいくら身につけても、ここがなければ車は走らない。
これを意識できれば私の人生は大きく変わりそう。
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