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差し出せるものを差し出せるか?


自分には何もない。

大事な人にも、社会にも、自分自身に対してさえも、何も差し出すことができない。

こんな自分に、存在する意味はあるのだろうか。



日本社会はモノに溢れ、サービスに溢れ、手間をかけることが必要ではなくなりました。
あらゆる物事が完成され、整えられ、飽和しています。

それ故に、ほんの一部の"社会システムを作る人々"に属さない多くの人々は、以前にも増して自己効力感や達成感を得にくくなっていると感じます。


自分がやれることなんてこの社会には無いのではないか。
そのように考えてしまうのも無理はありません。




当然のように、私もカウンセリングをしていて考えます。

こんなに大変な思いをしてきたこの人に、私は一体何が出来るのだろう?
こんなに壮絶な体験を語るこの人に、私は肯き聴いているだけしか出来ないのか?

私はこの人に、一体何を差し出せるのか?



だけど結局のところ、差し出せるものはごく僅か、限られていることに気付きます。

私がクライエントと入れ替わってあげることは出来ません。
私がクライエントに答えを出してあげることも出来ません。
私がクライエントの全ての責任を負ってあげることも出来ません。


私が差し出せるものがあるとすれば、

いつでもそこに"居る"こと。
いつでもそこで"聴く"こと。
いつでもそこで"考える"こと。
いつでもその姿を"見せる"こと。

こんなことしかありません。
それは誰にでも出来ることなのかもしれません。


だけど私は、誰にでも出来るそんなことを、差し出し続けています。





自分だけの特別を探しているうちに時間が過ぎる


自分だけが持っている"何か"を差し出したい。
でもその"何か"は、すでに世の中に溢れている。

じゃあ、何も差し出さない。
(何者にもならない。)
じゃあ、その"何か"を探し続ける。
(何者かになろうとする。)


でも果たして、"何か(何者か)"なんて実在するのでしょうか。




大事なのは、「何を差し出すか」ではなく、「自分が差し出せるものを差し出せるか」なのです。

どんなに特別でなくても(平凡であることを知っていても、)自分に差し出せるものを差し出すこと。
差し出せるものを(めげずに、腐らずに、)差し出し続けること。

これが大変に難しいわけです。
しかし大変だからこそ、尊く高貴なのです。



誰もが持っている、あるいは誰にでも出来るものを勇気を持って差し出し続ける。
これが"自分にしかない特別なものを差し出す"ということだと思っています。


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