隙だらけの哲学者

同じような事で喧嘩をし、同じような事で悩む。 人類はそろそろ次のステージに行っていい気…

隙だらけの哲学者

同じような事で喧嘩をし、同じような事で悩む。 人類はそろそろ次のステージに行っていい気がしてます。

最近の記事

あなたのブランド品はいつゴミになるのか

「50%OFF!」 健全な人間なら、突発的に買ってしまう事があると思う。 皆さんも身の回りのものを思い出して欲しい。セールで購入した商品は、まだ使っているだろうか。 答えが「否」なら、考えてみて欲しい。では、その商品はいつゴミになったのか。 ゴミにはならなかったとしても、押し入れを圧迫するただの物体と化したのはいつか。。。 答えは、おそらく購入を決めた時からだろう。 どう言う事だろうか。 簡潔に述べると、人間の時間が有限だからである。 もう少し丁寧に、説明すると下記の流れだ

    • メロンパン税があるかも知れない話

       仕事の休憩中、禁煙する人は一定層いる。私はタバコは吸わないが、おじさんたちがタバコ休憩している横で、メロンパン休憩なるものを取る。メロンパンを食べながらボーッとしている時間だ。  今回の記事のオチにも繋がるが、この休憩中にメロンパン税が隠れているというお話だ。  税金についてどんなイメージを持ってるだろうか?私は「何故か取られるウザいやつ」というイメージだ。(税金の必要性についてはここでは議論しない。)  そう、ほとんどの税金は何故取られているのか知らない。何となく毎月又

      • google検索は何処まで信頼できるのか?

         前回と前々回で、最近の若者の積極性の無さを指摘する主張が発生する原因についての考察を書きました。「最近の若者はハッキリ意見を言わない」等の批判が何故起こるのか。  今回もその続きです。3つの仮説、 ①Z世代メンタルが弱い説 ②多様性社会仮説 ③インプット思考仮説 を上げました。 前々回は「①Z世代メンタルが弱いのか?」、前回は「②の多様性社会仮説」を記載したので、今回は「③インプット思考仮説」から解説してます。 インプット思考仮説  インプット思考仮説とは、自分で考える

        • Z世代の生存戦略

           前回、最近の若者の積極性の無さを指摘する主張が発生する原因についての考察を書きました。「最近の若者はハッキリ意見を言わない」等の批判が何故起こるのか。  今回はその続きです。3つの仮説、 ①Z世代メンタルが弱い説 ②多様性社会仮説 ③インプット思考仮説 の①は前回「Z世代メンタルが弱いのか?」で記載したので、②の多様性社会仮説から解説していきます。 ②多様性社会仮説  多様性社会仮説とは、社会の多様化によって人々の意見が合わなく(批判されやすく)なったのではないか、と言

        あなたのブランド品はいつゴミになるのか

          Z世代メンタルが弱いのか?

           若者ディスりは、5000年前の古代エジプト時代から存在して、いつの時代の若者でも若くない人から文句を言われてきました。少し前だとゆとり世代や新人類世代と世代ごと揶揄されてきた事は記憶に新しいかもしれません。  そんな歴史ある若者ディスりですが、最近のトレンドは「若者の積極性の無さ」を揶揄する事だと思います。「指示を出すまで動かない」や「最近の若者はハッキリ意見を言えない。」など、言い方は様々ですが、兎にも角にもZ世代は控えめなイメージがある様です。  そこで、この主張が発生

          Z世代メンタルが弱いのか?

          当たり前の事を失ったら

           当たり前の物は失うまで、そのありがたさに気づかない。このセリフは、何度か聞いた事があるが、振り返ってみると「自分は気づけないのかぁ。残念だなぁ」と思うだけで具体的な行動に起こした事がない事に気づいた。そこで、今回はこのセリフを活かせる方法を考えたいと思う。  最初に思いつく方法は、当たり前の事に感謝してみる事だと思う。感謝の感情を作る事で、自分の行動が改善され、このセリフを活かせると考えた。具体的には、失った事をイメージして、そのありがたさを自覚する方法で行う。  例えば「

          当たり前の事を失ったら

          デジタル化で失われるもの

           デジタル化と聞いてどういう印象を持つだろうか。近頃は、猫も杓子もデジタル化で、音楽はライブからサブスク(音声データ)、仕事は対面からリモートワーク、連絡手段は電話からチャットに変化している。中には家の窓として景色を映すスクリーンを飾っている人もいる。  便利か、便利じゃないか、の議論ではほとんどの場合、デジタル化した方が優れている。  従って、「では、全部デジタルの方がいい!」と言う意見になるのは、大抵の場合は正解だと思う。ただ、この様なメリットしか思い浮かばない状況では、

          デジタル化で失われるもの

          言語化の練習

           noteを毎日書くのは、考えを言語化する良い練習だと思う。「考え」と言うと立派に聞こえるが、筆者はもっと自然な意味で使っている。  振り返ってみると、普段生活している中で、考えをそのまま発信する機会はあまりない。プレゼンや報告書などの「整理された考え」を発信する機会は幾らでもある。一方、現在の頭の中の考えを新鮮状態で出力する事はほぼなかった。故に、こうして考えるままに文章化のが、新鮮な野菜を収穫する様な、喜びを感じると同時に、可視化する練習にもなってる事に気がついた。  

          「情報疲れ」の向き合い方

           毎年実家に届く段ボールのみかんを見て、情報過多の状態に似てるのかなぁ、と思いました。冬になると大量のみかんが届き、みかん食べ放題で嬉しいのですが、何割かは食べる前にカビたり腐ったりして無駄になってしまうのか現実です。  これを情報過多に置き換えると以下の様に考えられるます。「SNSやYouTubeで大量の情報を摂取しても、次の日になったら殆ど覚えてない。」など。実際は、覚えて無くても全く問題ないのですが、気付いたら若干勿体無い気持ちにもなりますね...  これと似た話しで

          「情報疲れ」の向き合い方

          人間は架空の動物だった

           雑に開かれたカーテンを見て私は思った。 「カーテンを束ねなければいけない」 “思った”と言うのは正確ではない。使命感に駆られた、と言う方が正確だと思う。カーテンが私に「束ねろ!」と命令した訳ではない。勿論、誰に命令されたわけでもない。ただただカーテンを見て、私が感じたのだ。  ここで気づいた。これが妄想だと言う事に。カーテンは私の目の前に存在し、私はカーテンを見た。ただそれだけの事。なのに””何故か””私は「カーテンを束ねなければいけない」使命感に駆られた。現実だと思って見

          人間は架空の動物だった

          言霊の正体

          「私は〜です。」 魔法の言葉を誰もが口にした事があると思う。 科学者、教師、ミニマリスト、フェミニスト、社会評論家、神父などの肩書きを名乗る。 このセリフの副作用は気にした事はあるだろうか?それは”自分の行動を制限している点”だ。 肩書きを名乗った瞬間から、良くも悪くも行動範囲が限定される。  科学者→幽霊の存在を肯定しにくくなる  ミニマリスト→特定の物を買えなくなる  神父→変な事がしにくくなる  フェミニスト→性別の記事に敏感になる 意識的に制限してる場合は良いが、無意

          noteを続けるコツ

           2日前、私は辛うじてnoteを書き始める事には成功した。しかし、今度は「続けることが難しい」という問題に直面している事に気づいたのだった。  私の目の前には、全人類の敵”三日坊主”が現れた。名前は弱そうだが、この坊主はめちゃくちゃ強い事は皆さんをご存知だろう。振り返ってみると、今まで何度も三日坊主にやられてきた気がする。  毎朝の20分の散歩習慣は、1日やって満足した。毎日の早起き、勿論続いてない。数年前に始めた英語の勉強は続けてないどころか、テキストの所在すら分からない。

          noteを続けるコツ

          年齢差があると何故、話が通じないのか?

           振り返ってみると、今何で理解されなかったんだろうなぁ、と思う事がある。  特に、別の年代の人と話している時に、多い気がする。おそらくこれがジェネレーションギャップだと私は思った。ジェネレーションギャップによる行き違いを避けるために、原因を考えてみよう。  大抵の勘違いはじっくり説明すれば理解されるが、年代特有の感覚が混ざりはじめると誤解を解くのはとても難しくなる。  何故だろう?言語化が難しいからだろうか?  確かに、歴史の教科書には「戦国時代では罰として首を斬る事が行われ

          年齢差があると何故、話が通じないのか?

          noteを始められない理由

           何事も、はじめることが一番のハードルだと思う。noteを書く習慣がない人が、noteを書くほど辛いものはないとふと思った。  ただ、ここで一つ考えてみる。なぜ自分は「辛いと考えている」のだろうか?  イメージがつかないからか?それなら、とりあえず実践してみればいい。では、完成度の高いものを作ろうととしているからか?ならば、ハードルを下げればいい。考えていると、ふと小学生の頃の夏休みの宿題のエピソードを思い出した。  低学年の夏休み、私は読書感想文を中々書けなかった。本を読ん

          noteを始められない理由