デジタル化で失われるもの

 デジタル化と聞いてどういう印象を持つだろうか。近頃は、猫も杓子もデジタル化で、音楽はライブからサブスク(音声データ)、仕事は対面からリモートワーク、連絡手段は電話からチャットに変化している。中には家の窓として景色を映すスクリーンを飾っている人もいる。
 便利か、便利じゃないか、の議論ではほとんどの場合、デジタル化した方が優れている。
 従って、「では、全部デジタルの方がいい!」と言う意見になるのは、大抵の場合は正解だと思う。ただ、この様なメリットしか思い浮かばない状況では、あえてデメリットを考える事に価値があると思う。経験的に、上手い話ほど、慎重になった方が懸命だ。
 では、どんなデメリットがあるだろうか?
 私は、主要要素以外の要素が省かれている点にあると思う。まず、上記の例から、デジタル化=主要要素の抽出する特徴に気づく。
 音楽→音だけ
 仕事→必要な情報だけ共有
 コミュ→文字だけ
不要な要素は取り除かれており、合理的に見えるがここが落とし穴かもしれない。
 例えるなら、サプリだけで食事を済ませる人に似ている。タンパク質はプロテイン、野菜は青汁、その他栄養はサプリ、の様な。食事の主な目的は栄養補給だが、それ以外の楽しみがある事は、体感的に知っている。味や香り、見た目や食事中の会話。よって食事は、栄養だけの摂取で済ませようとする人は非常に少ない。では、音楽や仕事ではなぜその他の要素を軽視されるのか?それは「必要ではないから」かもしれないが、私は気づきにくいからだと思う。食事のその他の要素は、よく言語化され直感的に理解しやすい。一方、音楽のその他の要素と言われてもピンとこない。考えるとアートの見た目や雰囲気などが挙げられるが、正統派アートの場合やはり音楽そのもの要素が強いと思う。

 近年、デジタル化に息苦しさを感じる人が話題になるが、その人たちはその他の要素を特に好んでたのかもしれない。職場の雰囲気やライブ特有の雰囲気。自然に言語化しにくいものは失うまで気づかないのだと思う。そうであれば、他にもそう言う気づかない要素が存在していると思う。意外に、幸せは身近にあるのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?