「情報疲れ」の向き合い方

 毎年実家に届く段ボールのみかんを見て、情報過多の状態に似てるのかなぁ、と思いました。冬になると大量のみかんが届き、みかん食べ放題で嬉しいのですが、何割かは食べる前にカビたり腐ったりして無駄になってしまうのか現実です。
 これを情報過多に置き換えると以下の様に考えられるます。「SNSやYouTubeで大量の情報を摂取しても、次の日になったら殆ど覚えてない。」など。実際は、覚えて無くても全く問題ないのですが、気付いたら若干勿体無い気持ちにもなりますね...

 これと似た話しで、タイムパフォーマンス(通常:タイパ)についての悲観的な意見があるなぁ、と思いました。
「タイパを重視して、映画やドラマを倍速視聴するのはヤバい」「本を読ますに、本の要約動画だけを見るのはどうかと思う。」など。そのコンテンツを最大限楽しめてないんじゃないか?的な批判です。
 まあ、ネット上の声なので二元論的な表現に誇張されてるだけで、実際は、
・情報のみを得たい時→タイパで倍速視聴
・その時間を楽しみたい→タイパは考えない
のように使い分けていると思いますが...
「大量の情報を受け取っても、行かせない。」という点では、ニ兎追うものは一兎も得ず、的な考え方も出来ますね。
 そう考えると、スマホなどの大量の情報との向き合い方を考えさせられるなぁ、と感じました。

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