当たり前の事を失ったら

 当たり前の物は失うまで、そのありがたさに気づかない。このセリフは、何度か聞いた事があるが、振り返ってみると「自分は気づけないのかぁ。残念だなぁ」と思うだけで具体的な行動に起こした事がない事に気づいた。そこで、今回はこのセリフを活かせる方法を考えたいと思う。
 最初に思いつく方法は、当たり前の事に感謝してみる事だと思う。感謝の感情を作る事で、自分の行動が改善され、このセリフを活かせると考えた。具体的には、失った事をイメージして、そのありがたさを自覚する方法で行う。
 例えば「乾麺」が存在しない世界線を想像し、乾麺のありがたさを自覚してみる。まず、乾麺がなかったら、家で手軽にパスタやそばを食べれない。これは、非常に悲しい。また、日本ではパスタがないなら米を食べればいいが、パスタを主食にするイタリアでは日本以上の悲しみを背負うだろう。乾麺がないため、生麺を作るか買わないといけない。すると、1日のうちにパスタの事について考える時間が増える。一人当たりの生産性が下がり、イタリアのGDP が下がってしまうかもしれない。そう考えると、乾麺はいかにありがたい発明なのだと分かった。
 もう少し、身近なものだと「電球」の場合も考えてみる。電球がなかったら、夜の活動が殆どできない。よって、活動時間が減り、人生の活動可能時間が少なくなってしまう。
 電球を作ってくれる方々や、それを購入できるシステムを作ってる方、運送業者の方々にも感謝を感じる。また、電気を通してくれる電気会社やインフラを整備してくれる方々にも感謝をしたい。

 この文章を書いてて思ったが、周りのものがいつもの1.5倍ぐらいありがたく見える。机の上にあるペンやコップはも勿論。ドアノブや車のタイヤすら、若干のありがたみを感じる。思っとより良かったので、今回行った「失った事を想像する事」は、定期的にやりたいなぁ、と思った。

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