年齢差があると何故、話が通じないのか?

 振り返ってみると、今何で理解されなかったんだろうなぁ、と思う事がある。
 特に、別の年代の人と話している時に、多い気がする。おそらくこれがジェネレーションギャップだと私は思った。ジェネレーションギャップによる行き違いを避けるために、原因を考えてみよう。
 大抵の勘違いはじっくり説明すれば理解されるが、年代特有の感覚が混ざりはじめると誤解を解くのはとても難しくなる。
 何故だろう?言語化が難しいからだろうか?
 確かに、歴史の教科書には「戦国時代では罰として首を斬る事が行われていた」とは書かれているが、「この時代の感覚では首を斬ることは普通である」とは書かれてない。
 何故、そう書かないのだろうか?前時代の常識を断言すると間抜けに見れるからか(?)
 例えば、2020年代現在に「君は過ちを犯したから、首を斬る!」と明言したら、「なにあの人。やば〜」とドン引きされると間違いなしだろう。また、学校の教科書に「昔は首を斬るのが普通」と書いても、小学生の休み時間のごっこ遊びのバリエーションに加わるだけで、当時の正確な感覚を伝える目的はおそらく果たせない。
 事実は簡単に言語化出来き共有出来るが、当時の感覚は当時の人しか正確に理解できない、という事だ。
 そう考えると、今の時代の感覚は同世代としか共有出来ないし、他世代の感覚を勉強しても分かっているようで分かってないのだろう。これはとても悲しい。いや、悲しいだけでは大した問題ではない。一番の問題は他世代との触れ合う事は、異次元の誤解が生まれるリスクがある事だと思う。
 具体例を考えてみよう。バブル世代の上司(50才)がZ世代の部下(20才)を叱った後ところ、Z世代の部下は秒で会社を辞めた例で考えてみる。
 上司側は摩訶不思議な感覚だろう。「何故1度叱っただけで会社を辞めたのだろうか?きっとZ世代はメンタルが弱いんだ!」
 部下側は奇天烈な事件に遭遇したような気分だろう。「何故か1度失敗しただけで、相手がキレてきた。きっと昔の人は野蛮なんだな!」
 互いに自分の世代の常識のみにフォーカスしたからこうなったのだと思う。バブル世代では教育の一環として叱るのは当然だった。一方、Z世代にその認識は薄い。すぐ怒る人は超体育会系か野蛮人だという認識が一般的な気がする。キレてる人がいたら、動画を撮り「なんかヤバい人いた」とtwitterに投稿する。昔の青春映画を見ると教師はすぐにブチ切れるが、今の青春映画の教師は出来るだけ生徒に寄り添う。
 ここまで、いろいろ考えたが世代による感覚は大きな傾向であって絶対的なものではない。昔にも寄り添うタイプの教師もいるし、叱られても気にしないZ 世代もいる。
 従って、トラブルを回避するためには、世代関係なく相手をよく見てコミニケーションをとるという事が大切なのだろう。ただ、世代の大まかな感覚を理解するだけでも、誤解は減らせると思う。
50代以上(団塊世代、バブル世代)
 →向上心が高く仕事重視、
40代30代(氷河期世代、ミレニアル世代)
 →安定重視、ライフワークバランス
20代は(Z世代)
 →独立志向、プライベート重視
 多少背景を知るだけでも、原因の分かりにくい世代間による誤解を減らせるのかもしれない。全てのトラブルを無くすのは無理でも、少しずつ減らす事は出来きる。「チリも積もれば山になる」というが、言い換えれば「チリから積もらせない事が重要」だ。

 ジェネレーションギャップについて少し勉強した筆者は、余裕を持って他世代と接せるような気分になったのだった。

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