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我慢・不機嫌

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話を聞いてもらいたいという欲求

話を聞いてもらいたいという欲求

人間は程度の差こそあれ話を聞いて欲しい生き物で、だからこのようなプラットフォームで私も含めて人々が様々に話しているのだと思います。では、十分に話を聞いてもらえているとはどういうことでしょうか。また話を聞いてもらえないと人はどうなるのでしょうか。

まず話を聞いてもらうということは、何かを答えを出すということとは違うように思います。ですから、議論をしても話を聞いてもらったという感じがしないということ

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自分で選べると知ること、そして学習

学習し続ける人間と、そうではない人間の違いは何か。素直さがベースにあるが、もう一つ重要なのは何が自分にできることで、何はできないことかをクリアにすることだ。これが混ざっている人は本当に多い。雨が降ったことを反省してもそれは学びにならない。雨はコントロールできないからだ。

例えば自分の組織に不満があるとする。学ばない人間は不満にひたるが、学ぶ人間の対処は二種類しかない。どうすれば組織が変えられるか

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洞察力を考察する

洞察力を考察する

通常とは違う状況ではゲームのルールが変わる。しかし、スポーツのようにルールがこう変わりましたと誰かが宣言してくれるわけではない。一見変化はゆったりとして見えるが、実際は水面下で激しく動いていて、表面化した時にはもう勝負がついている。次の一丁目一番地が見える人と見えない人がいる。

見えない変化が見える人は洞察力があるとも言える。では洞察力とは何か。なぜ見えない人と見える人がいるのか。私は洞察力とは

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信じたいことと現実

信じたいことと現実

日本という国を病は気からという観点で理解するとわかりやすい。病は気からの解釈を広げると、現実はどうかよりも、自分がどんな気持ちでいるかを重じていると捉えられる。現実とは自分が何を信じているかで変わっていくと言えるかもしれない。メリットはプラセボが効かせられるということ、デメリットは見たい現実しか見なくなるということだ。

選手に自信をつけさせようとしてコーチが少し早いタイムを伝えることがある。選手

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応援が苦手な男
2015年05月08日

応援が苦手な男 2015年05月08日

昨日はインタビューに答えながら、昔の自分の競技時代のことを思い出していて、そういえば僕は応援が嫌いだったなと思った。するのは好きだけれどされるのが得意じゃなかった。

私のトレーニングの仕方はいつも走りながら何かに意識を置くか、または何も考えずにひたすらに走るという両極端なことが多かった。丹念にある動きのイメージを描きながらそれに合わせるようにして走ったり、またはひたすらに行為に没頭するように走る

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危機と文章と自己把握

危機と文章と自己把握

どうすれば自分を理解できますかという質問をよくいただきますが、根気さえあれば結構簡単で、その都度自分がとった行動や決定したこと、思ったことを文章に書き、それをあとで振り返るととてもよく自分がわかります。人間は安定しておらず、状況によって感じ方や決定することが変わります。

いつもと同じ環境で同じことを繰り返しながら自分を知るのはとても難しいです。なぜならば環境や状況が変わらないと出てくる自分の反応

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理不尽耐性と不条理耐性

理不尽耐性と不条理耐性

体育会系人材の特徴として理不尽耐性があるという話をよく聞きます。長くスポーツをしていると苦しい状況でも粘れる人間は多いのは確かで、それが評価されることもあります。一方で、体育会系は上意下達の文化が強く、イエスマンで指示待ちが多くなっているという批判もあります。

競技において耐性が求められる局面は大きく分けて二つあります。一つは押し付けられたことに耐える力です。例えばチームの方針が自分の意見と違っ

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我慢しない

我慢しない

私は日本社会が良くなるためには
・我慢しない
・リスクを取る
・好奇心を伸ばす
の三つが重要だと考えています。逆に言えば今の日本の生きづらさの背景には、我慢しすぎて、リスクを取れなくて、好奇心がない、からだと考えています。

我慢しすぎがなぜ良くないのでしょうか。幼少期「将来困るから」「人の迷惑になるから」という理由で我慢を強いられることが多くあります。このようなモデルで育てられそれを自分に取り込

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