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話を聞いてもらいたいという欲求
人間は程度の差こそあれ話を聞いて欲しい生き物で、だからこのようなプラットフォームで私も含めて人々が様々に話しているのだと思います。では、十分に話を聞いてもらえているとはどういうことでしょうか。また話を聞いてもらえないと人はどうなるのでしょうか。
まず話を聞いてもらうということは、何かを答えを出すということとは違うように思います。ですから、議論をしても話を聞いてもらったという感じがしないということ
自分で選べると知ること、そして学習
学習し続ける人間と、そうではない人間の違いは何か。素直さがベースにあるが、もう一つ重要なのは何が自分にできることで、何はできないことかをクリアにすることだ。これが混ざっている人は本当に多い。雨が降ったことを反省してもそれは学びにならない。雨はコントロールできないからだ。
例えば自分の組織に不満があるとする。学ばない人間は不満にひたるが、学ぶ人間の対処は二種類しかない。どうすれば組織が変えられるか
応援が苦手な男 2015年05月08日
昨日はインタビューに答えながら、昔の自分の競技時代のことを思い出していて、そういえば僕は応援が嫌いだったなと思った。するのは好きだけれどされるのが得意じゃなかった。
私のトレーニングの仕方はいつも走りながら何かに意識を置くか、または何も考えずにひたすらに走るという両極端なことが多かった。丹念にある動きのイメージを描きながらそれに合わせるようにして走ったり、またはひたすらに行為に没頭するように走る
危機と文章と自己把握
どうすれば自分を理解できますかという質問をよくいただきますが、根気さえあれば結構簡単で、その都度自分がとった行動や決定したこと、思ったことを文章に書き、それをあとで振り返るととてもよく自分がわかります。人間は安定しておらず、状況によって感じ方や決定することが変わります。
いつもと同じ環境で同じことを繰り返しながら自分を知るのはとても難しいです。なぜならば環境や状況が変わらないと出てくる自分の反応
理不尽耐性と不条理耐性
体育会系人材の特徴として理不尽耐性があるという話をよく聞きます。長くスポーツをしていると苦しい状況でも粘れる人間は多いのは確かで、それが評価されることもあります。一方で、体育会系は上意下達の文化が強く、イエスマンで指示待ちが多くなっているという批判もあります。
競技において耐性が求められる局面は大きく分けて二つあります。一つは押し付けられたことに耐える力です。例えばチームの方針が自分の意見と違っ