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神田夢実(かんだゆめみ)選手
コンサドーレジュニアユース、コンサドーレユースを経てトップ昇格というエリート街道でプロになった神田選手。
小さい頃からサッカーが大好きで、サッカーをしていた父親の試合を観に行ったり、一緒にボールを蹴ったりして、自然とサッカーが好きになっていった。
小1の頃にはプロサッカー選手になりたいと思っていて、父親からはなるなら一流のプロになれと言われていた。
サッカーが大好きだから、サッカーで負けたく
稲葉修土(いなばしゅうと)選手
大阪出身。大学卒業後、アルビレックス新潟シンガポールを経てJリーガーに。
父親がサッカー好きだった為、子どもの頃はセレッソやガンバの試合を父親と観に行っていて、物心ついた時にはサッカー選手になりたかった。
競争の激しい大阪では地区トレセンにしか選ばれず、ガンバやセレッソのJYを目指すも合格できなかった。
母親はサッカーより学業、勉強ができないとサッカーをちゃんとやらせてもらえない。学校以外に
椎名伸志(しいなのぶゆき)選手
小1の時に近所のお兄ちゃんについて行ってサッカーを始めた。
上手い人の走り方までコピーして「そこまで真似する?」とコーチに突っ込まれる程に上手い人から学ぶ事に貪欲だった。
ユースに上がる時にコンサドーレ札幌から誘われたが、当時ユースから毎年1人くらいしかトップに上がっていない中、高校サッカーに行った方がプロになれる確率が上がると思って青森山田を選択した。
高校3年の8月で怪我をして、高卒プロ
都並優太(つなみゆうた)選手
父親は元日本代表のレジェンド都並敏史。
小学校は街クラブで6年まで、中学からセレクションで東京ヴェルディのジュニアユースからヴェルディユース。
子どもの頃はサッカーをするのがとにかく楽しかった。
負けず嫌いでどうしたら勝てるのかずっと考えていた。
ユースからトップに上がれずに、関西大学へ。
長野パルセイロで5年プレーして、現在は奈良クラブ。
父親とはよく一緒にボールを蹴った。サッカーを
大崎淳矢(おおさきじゅんや)選手
富山県で生まれ、小学校で全国準優勝。
中学からジュニアユースの誘いもあったけど、親元を離れられなかった。
そして高校は、ワクワク10% 不安90%でサンフレユースに。
山奥に寮があって、学校、寮、練習の3つしかない。
色々な誘惑を断ち切ってサッカーに没頭してプロになった。
「子どもが好きな事に対して、同じくらいの熱量で親が応援してくれた事がずっとサッカーを好きでいられた要因だと思う。好き
金山隼樹(かなやまじゅんき)選手
『夢を自然に掴める事は無い
自分で考えて行動して掴みに行くのを永遠に繰り返すこと
人に言われてやってたら言い訳が出る
自分で考えて行動したら後悔が無い』
と語る金山選手のサッカー人生は正にそれを体現するものでした。
サッカーが強くない島根県で育ち、それでもサッカーが好きで、でも上手くなくて、フィールドじゃあ下手過ぎて遠征に行くメンバーに入れないから志願してキーパーになった経緯。
そして
高木大輔(たかぎだいすけ)選手
父親は野球界のレジェンド高木豊、兄二人もプロサッカー選手の高木三兄弟の三男。
親は有名野球選手、二人の兄が先にプロサッカー選手になったプレッシャーは凄かった。常にそれを言われて比較されて育った。
小さい頃はリフティングが凄い下手くそ、ドリブルも苦手、基礎練習が大嫌いで、ただ点だけ取りたかった。点を取る為なら何でもした。シュート練習は色々なパターンでやりまくった。
3兄弟とも負けず嫌いだけど、
田路耀介(とうじようすけ)選手
小3の終わりからサッカーを始めて、ずっとトレセンとかは選ばれず、小6でたまたま地区選抜に選ばれた。
自分の力を試したくてセレッソJrユースのセレクションを受けたら1次から最後受かってしまって入団。同期入団の選手はセレクションの最終だけ来てとか予め目をつけられていて、自分だけ無印で1次から受けて300人400人の中から受かった。
自分が一番下だと思ってとにかく練習しまくった。
セレッソに受かっ
内田恭兵(うちだきょうへい)選手
※このインタビューは引退直前の2021年12月にしています
小1からサッカーを始めて、大学までは自分の思い描いていたサッカー人生を送ってきたけど、プロに入ってからは、苦しい事、きつい事、難しい事が多かった。それでも得れたものは多かった。
サッカー選手になる為には、やり続ける事、満足しない事、運を掴めるかどうか。
運と聞くと自分じゃどうにもならないと思うかもしれないけど、運を引き寄せる数を増や
鈴木準弥(すずきじゅんや)選手
静岡県出身。小学校はとにかく毎日サッカー。
小1から少年団、小2からクラブチームも掛け持ち。更に2つのサッカースクールにも通っていた。
ジュニアユースはジュビロ沼津。ジュビロ磐田の姉妹組織で、毎年3,4人がそこからジュビロユースに入る。
選抜にも選ばれていたし入れるものだと思っていたら、中3の夏に練習参加した結果、まさかの落選。
ジュビロユース以外の進路を全く考えてなかったので焦ったが、エ
渡部博文(わたなべひろふみ)選手
小学校2年の時に野球をするかサッカーをするかで悩んでいると、5つ上の姉から「これからはサッカーの時代が来るからサッカーにしろ」と言われてなんとなくサッカーを始めた。
そんなスタートだったが、そこから少しずつサッカーが好きになっていった。
小学校5年生の時、モンテディオ山形 VS 浦和レッズの試合をスタジアムに観に行った。
初めて生で観るプロサッカーだった。
その試合で当時ルーキーだった小野
馬渡和彰(まわたりかずあき)選手
小学生は普通の少年団、兄と姉がバスケをやってたので、6年生まではバスケもやっていた。
サッカーは世田谷区で3位で個人的にはギリギリ区の選別に入るくらい。
バネがあるのはバスケをやったおかげだと思う。
中学は部活、都大会にも行けないレベル。
高校は市立船橋にセレクションが滑り込んだ。
全然無名で、プロという場所が遠すぎて何もイメージできず、日韓ワールドカップでベッカムが取り上げられていてカ
千田海人(ちだかいと)選手
大学の3年になるまで誰も僕がプロになるだなんて思ってなかったと思う。
とにかく下手だった。
小学生の時は、サイドハーフで区トレセンにやっと選ばれる程度。
サイドハーフから、サイドバック、ボランチ、センターバックとポジションが替わっていって、高校はベガルタ仙台ユース。
高校3年生の時点で自分がトップレベルでは無いのはわかっていた。
サッカーの強い大学に行ったら埋もれると思って大学サッカーを
堀米悠斗(ほりごめゆうと) 選手
幼稚園からサッカーを始め、小学校のチームから小4の時にコンサドーレ札幌ジュニアに入団、そこからはジュニアユース、ユースと昇格して、高校卒業後プロになった。
小学校1年生の時にはプロになりたいと言っていたが、まだ漠然とサッカーが好きで楽しいからやっていた。
中学からは年代別代表に入って色々と教えてもらった事で、カップラーメン等は食べない、何をいつ食べると良いか等の食育を含め生活の全てをサッカーに
下澤悠太(しもざわゆうた)選手
小学生、中学生の頃は無名、選抜にも入った事もなかった。
だけど技術だけは身に付けたくていつもボールを蹴っていた。小学校の途中からずっとプロになりたかった。
高校生になるときには、自分でプレー集を作って売り込みに行って興味を持ってもらって練習参加して入団を勝ち取るという珍しいルートで柏レイソルユースに入団。
毎日トップチームが横で練習してるし、ホームゲームは毎回見てたから憧れはあった、でも高卒
菊池大介(きくちだいすけ)選手
中学生の時、大会で対戦したフランスのボルドーから練習参加のオファーをもらい、単身フランスに飛び2週間の練習参加の結果、正式オファーをもらったものの、普通の街クラブの選手だった自分にとっては話が大きすぎて断ってしまった。
嬉しいより、突然どういう事?という気持ち。
今思えば行ったらどういう世界が待っていたのか知りたい気持ちも少しある。
でも、あの頃にそういう決断はできなかった。
その後、強豪