私たちは”お玉”を作ることができない
SNSの台頭で一つの発言とっても受け取り方が千差万別なんだっていうものすごく当たり前なんだけど今まで気づきにくかったことを人々は普段からより意識させられるようになって、
ネットの世界が、今までだと関わることのなかったであろう人たちの存在を知らせてくれた影響で余計に多様性なんて言葉が流行って、
「暴力はいけないね」なんていう主張の裏には暴力反対という暴力が隠れてることや、
みんなのためと思ってした行動も実はそれはマジョリティのためでしかなくそこには掬いきれなかったマイノリティの人たちがどうしても出てきてしまうという事実に敏感になりはじめた
できる限りの配慮した言動をと思って、必死にみんなにやさしい言葉を紡ごうとするあまりかえって、その努力が当人の首を絞めてることってあるよね
誰も傷つけないようにと想像力を働かせていろんなものに自覚的になろうとするあまり、気にしすぎて、結局自分が苦しくなってしまうのって、少し荒く言えば、努力を裏切る形になるけど、本末転倒でしかないって傍から見ててほんと思う
だれ一人取り残さない世界の実現(No one will be left behind )なんていうけど、どんなに頑張ってもきっと私たちはできる限りの目の細かい篩を製作することはできても、それをお玉へと完成させてすべての人を掬い取ることはできないんだとうなとつくづく思う
だれ一人取り残すことなく全ての人を掬い取りたいっていう気持ちさえも、個人の勝手な傲慢な願望でしかないのかなとか思い始めたら、出口のない迷路に入ってしまったも同然で、今日も今日とて私の思考は行き場を失って着地点が一生見えないまま彷徨うほかなくなる
ずーん
私なんぞにご支援いただける方がこの地球上におりましたら、もう控えめに言ってあげみざわエクスプローションします。