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「わたしらしいってなんだろう?」PORTOスタッフ:りおちゃんのこれまで(前編)

PORTO(ぽると)は、兵庫県神戸市の中心部・三宮にある「おやこの世界を広げるサードプレイス」です。大人もくつろげる室内遊び場で、一時預かりや各種イベントなども開催しています。

PORTOのことをもう少し深く発信する上で、関わる「ひと」というところからお伝えできれば、とスタートしたインタビュー「PORTOなひとたち」。

インタビュー第4弾は、ピンクの髪が印象的なりおちゃんです。りおちゃんがPORTOで働くまでのお仕事ヒストリーをインタビューしました。簡単なプロフィールはこちら

誕生日をPORTOでお祝いしました!

シャイな私が留学するまで

ーりおちゃんはいつ、どこに留学へ行ったのですか。

大学の2回生を休学して、1年間ニュージーランドに行きました。日本と海外の人々の違いを体感したいなと考えていました。その当時、英語はほとんど喋れなかったのですが、行きたい気持ちが勝っていました。

ーなぜ「日本と海外の人の違いを体感したい」と考えたのですか。

私はずっと小学校の先生になることを目標としていました。なので大学は教育学科へ進もうと決めましたが、英語がめっきりダメで赤点ばかりで。。。
そんな時、留学を経験した塾の先生が、文化の違いから生まれるおもしろエピソードを話してくれ、自分の目で確かめたい!と考えるようになりました。

当時の私はシャイだし、人の目を気にしたり、思春期から外見コンプレックスのようなものもありました。それが海外に行きたいという希望を持ち始めてからは、親に留学へ行くためのプレゼンをして納得をしてもらえるようにしたり、費用を出来るだけ抑えるために直接アポ取ってホームステイ先を探してみたり、かなり奮闘しました。

ー全部自分で決めて行ったんですね。留学だけでなく、留学までの過程も、大きな経験になっていそうですね。

この経験は今の自分を形成していると思いますし、当時サポートしてくれた家族に感謝しています。私は休学という選択をしたのですが、休学中に大学に支払う在籍料は(私の大学の場合)1年間3万円だったので、在籍したまま留学できたことも大きかったです。
休学は、私個人的には、おすすめの選択だと思っています。立ち止まって考えたり、20代前半で没頭したいことに挑戦する時間があったから、今の私があると思っていて。社会に出てからは、なかなか「立ち止まる」ことに勇気が必要で難しいんだなとも感じています。

ニュージーランドで、初めてのホームステイ先の家族と

長年の夢を手放す

ー行く前から成長させてくれた経験になったようでしたが、実際に行ってみて、どうでしたか?

ニュージーランドでは、人種や文化の違いも幅広く、もっと知りたい!と好奇心が強くなりましたね。現地の保育園へ行った時「先生は、多様(人種やアクセントが様々)でいいんだ!」と衝撃を受けました。
“自分を大切にしている人”が多く、自分の当たり前がポロポロ剥がれていって、「私は私のままでいいのかも!」と感じるようになったのも覚えています。
と同時に、自分の視野の狭さも痛感して、今の自分では小学校教諭にはなれない、と思うようになりました。これまでの自分の夢が無くなった感覚で、悲しさもありましたが、今の自分でできる仕事、わたしらしさを生かした仕事はなんだろう?と一旦まっさらにして考えはじめました。

ニュージーランドの広大な自然で自分と向き合う

ー留学は長年の自分の夢を考え直すほど、大きな経験になったんですね。日本に帰ってきてからの大学生活はどうでしたか。

その後、「おとなは仕事をどう捉えているのだろう?」という疑問から情報を集めていた中で出会ったリベルタ学舎の「なりわいづくり講座」というものに参加しました。そこは、30代から50代くらいまでのいろんな業界の方々が、男女入り混じった形で集まって、「こうでなきゃいけない」という意識をみんなでほぐす場でした。そこで「おとなでも迷うんだな、悩むんだな」と実感しましたし、まだ決めきらなくていいのかも、とも考えるようになりました。「なりわいづくり講座」を受けながら、リベルタ学舎が運営していた大学生の交流拠点のお手伝いをする中で、「まだまだ学び足りないなぁ・・」と留学をまた考えはじめました。

そんな中「トビタテ!留学JAPAN」という奨学金制度を知り、チャレンジしました。2回チャレンジして、結果はうまくいかず悔しかったですが、この奨学金に挑戦する過程で留学の目的や多文化共生社会を学びたいことを自分の中で再確認できました。卒業後は諦めきれず、ワーキングホリデービザでカナダへ行くことにしました。

多文化共生とは-カナダで見て感じたこと

カナダのプライドパレードに参加した時

ー2度目の行き先として、どうしてカナダを選んだのですか。

その頃、「多文化共生」や「アイデンティティー」というものに関心があって、カナダに縁がある大学の教授から薦められたこともあり、決めました。

ーカナダでの生活はいかがでしたか。
カナダは多民族国家なだけあって、今の日本よりもっとLGBTQも含めて多様なバックグラウンドへの考え方が進んでいたり、肌の色がみんな違うし、母国語がそれぞれで、英語が喋られないことがお互い様になっていることからか話す言葉を待ってくれたり、文化の違いをリスペクトしてくれる雰囲気がありました。また、フランス語が公用語のエリアもあり、スーパーの商品やメニューなどフランス語も街中に溢れていました。

ーワーホリは、どんな仕事をしていたのですか。

ラーメン屋でバイトしながら、子どもに関わる仕事を探しました。「サプライティーチャー」という、週末や朝に「〇〇保育園へいける人いますか?」と問い合わせがあり、条件が合えばその保育園の仕事を受けるという登録制の保育スタッフのような形で働いていました。
このシステムは、私にとっては、約10ヶ所の保育園と異年齢を経験でき良かったですし、普段その園で働いている先生にとっても休みやすい環境につながっていて健康的だし、合理的だなと感じました。

その後、現地の大学進学も検討しましたが、高額なこともあり、断念して帰国しました。将来は海外の大学院への進学を目指しています。

カナダのホームステイ先の赤ちゃんと

帰国し、プリスクール(英語幼稚園)で働く

カナダにいる間に大学の先生から紹介してもらいSkypeで面談をさせていただいて、帰国後から神戸にあるKobe English Academy(以下KEA)というプリスクールで働くこととなりました。

そんな中で、以前から交流があった奈央さん(PORTO代表)からPORTOの構想を聴いたり、「子どもたちが自分らしくいられるためにも、身近な大人(親)が自分らしく過ごせる環境が大事なのでは 」という奈央さんの話から、PORTOができる未来にワクワクしたことを覚えています。

現在はPORTOで働きながら、KEAでもAfter Schoolを中心に勤務しています。KEAに通う子どもたち(3歳~小学生)の新しい学びや発見・友達と過ごす時間を楽しむ姿と、PORTOでママ・パパと遊んだり、ゆったり保育士スタッフと過ごす子どもたちの姿はそれぞれ違っていて、「子どもの色々な側面」を観れる環境に感謝して、日々学び遊んでいます。

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【編集後記】

シャイだったという以前の姿を微塵も感じさせないくらい、行動力があり、自分の目で物事を判断し、自分の言葉で語る現在のりおちゃんを、いつも素敵だなと感じています。きっと、ニュージーランド・カナダでの留学経験が、単に英語を学ぶということではなく、自分の意志で海外に行きたいと決めて実現に向けて努力すること、多文化共生にも興味関心を持ち現地で学ぶことなどを含め、りおちゃんの世界を広げ、今をつくる重要な要素になったのだろうなと感じたインタビューでした。

また神戸にあるPORTOには、英語圏をはじめ、多様なバックグラウンドを持つ親子が遊びに来てくださります。りおちゃんがいてくれることで、PORTOが、日本とそれぞれの国での子育ての違いや、違う言語圏で子育てをする悩みなどをゆっくり話せる場所になっていて、ここがすこしでも誰かの助けになっているといいなと感じています。

次回・後編では、PORTOで働く今感じていること、今後やりたいことをお聞きします。(聞き手 みほ)