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バイト②デコボコ道・NY東京


バイトも出会い、色んな経験、それも嘘みたいな展開に巻き込まれたってかたぐさになって、結果なんだか面白話おもしろばなしとして身についてたり。人生は楽し♫出会いも良し悪しあれど実りなり♪あはは、ざっくり言えば?まぁ、た〜っくさん笑ったもん勝ちだ。

☆ 東京・編集助手

まだ今のようなインターネットが出て来る前の時代です。都内の出版社の海外部門(今は存在してない)で知り合いの女性編集者の下で外国人ツーリストのための東京のグルメ本(英語)を作るお手伝いをしていた。彼女はイスラエルと英国に留学経験があり、美しい発音でキビキビ働くアクティブな人。編集室は8割外国人で、会社との契約は個々に報酬を直談判じかだんぱんで決めている。和気あいあいとは無縁、静かにノルマの膨大ぼうだいな原稿を書く。私は会議室のテーブルに資料を広げてのびのび仕事☁️未熟な私にレストランの価値観のようなものを勉強させてくれた良いバイトだった。国際人の彼女が仕事後に私を含む貧乏バイトを連れて、スイスのラクレット🧀や、インドの地方料理、ロシア料理🪆ご自身の体験や文化を教えてくれて。大らかで敬虔けいけんなクリスチャンで、物の良し悪しには厳しい彼女とのガイド本がり上がって来た時の喜びはひとしお、感激でした。

☆ 東京・家庭教師

派遣はけんセンターからのバイトで、下町の外れにある看板屋さんの小3のぽっちゃりおっとり娘さん(上の写真の女優さんに似てる9歳)を担当。小5兄と小1弟は店を切り盛りするテキパキとした父の血か問題ないのだけれど、娘の成績がいかんともならんと言う。クラスで特に勉強に付いていけない6人は特別指導を受けているが、女子は彼女だけだと、父は頭を掻きながら言う。
「先生、ひとつよろしく」
美人の母は柔らかく「まぁね〜主人がそう言ってますのでね」ニコニコただ笑うばかり。

娘は体は大きいが、中身は幼くて、勉強をする気などはまるでないが(すぐゴロゴロしてしまう)素直で優しい良い子。
「あそこにパン屋さんがあるでしょう?すっごい美味しいの。あたしね、パン屋さんになりたいんだ〜」
つい目を細めてしまう。
「じゃあ絶対に買いに行くからおまけしてね」
「うん!」

1つ困ることは、この父がやたら女子大生だった私を車で送りたがり(母は言いなり)1度乗ったら銀座のホステスにモテた話とかを延々と聞かされ「?」(自宅を知りたがったりもする)それから嫌なので自分の車で行くことにした。

ある日この6人に補習の確認テストが行われることになった。簡単な漢字と計算とで10問、事前に渡されたプリントがそっくりそのまま出る。私は責任重大、ヨーシ!ゆっくり丁寧ていねいに何度もいやになるほどり返させた。おかげで連続全問正解れんぞくぜんもんせいかい「ね、もう1回やってみようか」
「またぁ〜?」
またもやらせて全問クリア。
「明日は絶対大丈夫ね」
で、翌週ルンルン行くと
「どうだった?100点取れた?あれ、どこか間違っちゃった?」
見ると半分も合ってない…大ショック!あ、あれ〜あんなに出来たのに?
「あのね、夜ね、お母さんがちがうって言うから」
母が出て来て
「私がまちがってね〜この子には悪いことしちゃってね〜でもまぁね〜ホホッ」
美人母が柔らかくとにかくニコニコ笑う。
このポーッとした美人母は字が綺麗きれいで、時々夫の看板の手伝いをする。絶対間違えてはいけない本番の白布に、すぐ隣に手本の名前が書いてあるのに全然違う文字を書いてしまうことがあり…
「オイ!なーにやってんだよ、おまえ。何書いてんだよ!全然違うじゃないかバカ!まったく💢」
「は〜っ、どうしたんだろ?あらやだ〜またやっちゃった」
「なんべんやったら気が済むんだ?オイこれ、どうすんだよ」
父の怒りとヘラヘラしながら筆を持ったまま困っている母。
「いつも、いつもお母さんはまちがえて、お父さんはいつも怒るの」
階段の下をのぞきこんで、いつものことと驚きもせず、彼女は口をとがらせて言った。
「もう勉強はあきらめます」と連絡が入りバイトは終了。子供の幸せも、それぞれかもしれないと思った。


◎  余談よだんですが、その後似たような幸せの尺度しゃくどを考える事があった。

サハラ砂漠のベルベル人の家に泊まった時の事。親切で優しい大家族は皆それぞれに我流がりゅうでラジオを修理したり、貧しいけれどみんな協力して生活している。そんな家族の唯一の心配事は9人兄妹の1番下の6歳の男の子が学校に行きたくないと毎日ゴネている事だ。モロッコでは仕事が少なく、兄妹全員(末っ子を除き)学校に行ってない。読み書きや計算が出来ないとちゃんとした仕事にはつけない。だから末っ子だけには!と家族の望みで学校に行かせたが、本人にとっては学校に行けば嫌なことも沢山あり泣かされることもある。兄さん達のように行かなければ、毎日楽しく平穏へいおんだ。「ぼくだけ何で学校に行かなくちゃいけないの?」泣きべそをかく。説明しても将来のことなどまだ理解出来ない年。なだめるのも限界げんかいかも?と大変そうにしてた。「お肉が固くなってしまった」と言いながら家族で囲む大鍋の上でニコニコ私の方へ肉を放り投げてくる、大歓迎してくれているのだ。就寝しゅうしん絨毯じゅうたんを何枚も重ねた床に全員が雑魚寝ざこね、夜の砂漠さばくの冷たさは床から体にみ渡った。
人の幸せって何だろう…

☆NY・広告カメラマンのスタジオ

グラフィックデザイナーの下積みをしていた経験があって、たまたま見学に行っていたカメラマンのスタジオで写真集の「ツカ見本みほん(出来上がりを想定そうていできる簡単かんたんなダミー)」を作るのに四苦八苦しくはっくしてる所で「あ、私それ得意とくいだ」その場でササッと作ったら(他の人はただ経験けいけんがなかっただけ)過剰かじょうに感激されて「ウチで仕事しないか?」カメラマンのスタジオはかなりあらっぽく、殺伐さつばつとしてるので、日本の誰もが知ってる広告代理店こうこくだいりてんのデザインルームに紹介され夏休みバイトで入ったが、メカニックな広告とかが肌に合わずヤル気もなく…ん〜〜ほぼ給料ドロボー?学校が始まって私が辞める時の社長の喜びが溢れて来るような嬉しそうな顔、まだ私しっかり覚えてるし(笑)

☆ 壁画制作へきがせいさくの助手

安請やすうけ合いで強引ごういんな、あの彫刻家ちょうこくかだ。アトリエが隣同士となりどうしだった画家のポールに大きな仕事が入り多忙たぼうきわめてると言う。アメリカンエクスプレス社からビル建設の為にかこいのへいを作る仕事だ。通りの治安維持ちあんいじの為にも明るく、粗野そやな落書き防止と企業のイメージアップを兼ねて、マンハッタンの街のビューラインを描くと言うなんて細かくて膨大ぼうだいな作業…「とにかく間に合わないから助手を探してる」で「日本人の助手がいるなら、日本の女の子がもう1人、ちょうど良いじゃない?」私は突然聞いて「えええっ?」嫌だった。今でこそオシャレかもしれないが、ブルックリンのポーランド人地区の倉庫街に毎日?テンション下がりまくり。「私に何か出来るとは思えないんですけど…遠いし」でも強引なのだ。「とにかく行かずに断るな。勉強になるし経験になる」で、地図を頼りに行く。
ポールは良い人だけど、全然終わりそうになくて私1人が増えたところで状況は変わる?本人も半分パニックになりながら、助手の日本人を紹介して「何でも彼女に聞いて。沢山あるから彼女の真似して仕事して」
私と同じ年の派手でもなく普通の女子。ヨレッとしたジーンズにパーカー。都内有名芸術女子大を出て、クラブで知り合った男とNYに来て同棲中どうせいちゅう。大人っぽい先行く人でカッコいいと思った。でも実家の大反対を押し切って来たから自力で頑張らないと、ウェートレスと仕事を掛け持ちしてると言う。
「学校に行ってるの?いいなぁ〜私なんて誰も友達なんていないわ。嬉しい日本語久しぶりだ〜」
徐々に打ち解けて楽しそうにしてくれる。駅まで一緒に行く時気づいたが、彼女のポケットには地下鉄の乗車コイン(トークン)が1枚しか入ってなかった。私はマンハッタンに帰る地下鉄に、彼女はもっともっと遠い方へ、まぁその時は気にも留めてなかった。


アトリエは倉庫に使っていた所なので(従業員用の)公衆電話がついてる。まだ携帯がない時代で、緊急の時くらいしか使う時がない。アトリエの公衆電話のブースからジリジリジリとコール音が聞こえ、ポールが筆を置き、緊急のコレクトコール(着信者払い)だと言うオペレーターから深い溜息ためいきをついて受け取る。
「ああ、今日はなんだ?今仕事中だけど。緊急きんきゅう?今日も緊急か…わかったよ今じゃあ彼女に替わるよ」彼女が電話ブースに張り付くように(丸聞こえ)早口で話している。受話器を保留ほりゅうにしたまま困った顔で「ポール…」駆け寄り、お給料の今日の分を前借まえがり出来ないか頼んでいる。もう私とお喋りしている彼女とは顔が違う。狼狽うろたえた険しい顔だ。ポールが「もうやめろ。同じ事だ。彼のためにならない」叱責しっせきするように怖い顔で言う。保留した受話器から興奮したスラングで怒鳴どなる男の甲高い声が聞こえる。彼女は両耳をふさいでうずくまる。ポールは電話に出て怒鳴る。「今までの分」小切手を渡し「もう仕事は終わりだ。もう帰れ」彼女は勢いよくバタン!と扉を閉めて駆け出して行った。私だけが呆気あっけに取られてフリーズ。ポールはグッタリして精神安定剤せいしんあんていざいを飲んでいた。結局すぐに私も辞めてしまったし、彼女に会うこともなかった。混乱しきった顔だけがいつまでも記憶きおくに残る。同じような時代に同じ東京で、同じように絵を学んでいたはずなのに、彼女どこへ行ったんだろう?元気なら良いけど…

「お疲れ〜ポールから聞いたよ。ポールも心神耗弱しんしんこうじゃくで病人だったよ。参ったよな〜」
彫刻家は世間話みたいに気楽に言う。全く良い気なもんだ〜

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