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エッセイはとつぜんに

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つれづれなるままに、ひぐらし、ではないが、ときたまPCにむかひて。役には立ちませんが、何の変哲もない日常を楽しめるようにはなるかもね。
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2019年3月の記事一覧

風を通したがる話

風を通したがる話

「あの子、すぐ風を通したがるでしょう」

産後、母が泊まり込みで手伝いに来てくれていたとき、わたしのいない場で夫にそう言っていたらしい。あとから夫づてに聞いて、笑った。

いやいや、お母さん。あなたもたいがい、風を通したがるほうだと思いますよ。

そんな母にまさか「この子はやたら風を通したがるわね」と認識されていただなんて。そんなこと、思いもしなかった。だから、笑った。

そうか、わたし、やたら風

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考え方が違うのはべつにそれ以上でもそれ以下でもない

考え方が違うのはべつにそれ以上でもそれ以下でもない

“わたしはわたしで、あなたはあなた。同じにする必要もないじゃない?”

以前のnote「違うけどあこがれるひと」で書いた一節だけれど、わたしの根底にあるのはこの感覚だ。

だから、「考え方が違うよね」ということばは、わたしにとって、それ以上でもそれ以下でもない。文字通り、ただ考え方が違うという事実がある「だけ」のことに過ぎないのだ。

それ自体にはまったく拒絶の意味はない。なんなら夫や親友とだって

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ちょっとした後悔の話

ちょっとした後悔の話

基本的には「後悔しても意味がないから、反省はするけど後悔はしないよ」って言っていたい強がりタイプだとおもう。

だって「こうすりゃよかった」なんて話、なんにも生まない。後悔してる時間に、今からどうするかを考えたほうがよっぽど有意義だよ。そんな正論を自分にもふりかざしてきたし、たぶん周りにもそんな励ましをしてしまったこともあったと思う。時と場合により、まちがいじゃないとも思っている。

でも最近、そ

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ちいさなせなか

ちいさなせなか

ここのところ、2歳の娘がわたしの布団にもぐりこんでくることが増えた。

……と書くとほほえましいが、実際はまだ加減を知らない娘のこと。「ごっ」という鈍いひびきとともに、わたしのあごにタックルを決めてくる。母の胸もとやあごにアタックを繰り返しながら、ぐるぐると回転し、自分の心地よいポジションを探しているようだ。

昨夜も、最初は自分の布団にうつぶせに横になっていたのだけれど、眠れないのか結局のそりと

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床の見える生活

おしゃれなインテリアを楽しんだり、ものを持たない暮らしを追求する方も多くおられるご時世に、ものすごく低レベルな話をするけれど、我が家のリビングは子が生まれてからというもの、ほとんど床が見えていなかった。

何かの比喩でもなんでもなく、文字どおり、ものが散らかっていて床の見える面積が圧倒的に少ない、ただそれだけのことである。

特に子が動き回るようになってからの1年は、いたるところにおもちゃやそれに

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毎日、目にする景色

毎日、目にする景色

ずうっと背景に山があった。

2泊3日の宇和島出張中の話だ。車で移動していても、ほぼいつでも360度、ぐるりと山が背景にあった。

例外はみかん農家さんの畑(つまり山そのもの)に登らせてもらっているときで、そのときは上の方へ行くとぱあっと視界が開け、美しい海が広がった。背景は、青い空と青い海だけになった。それもすばらしかった。

だから山が背景にないのは山にいるときくらいで、それ以外のときはずうっ

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ノスタルジアは突然に

ノスタルジアは突然に

夕方、洗濯物をたたんでいてふと目をとめた。

お弁当をつつむ用の、ちょっと厚手で大きめのハンカチ。ライオンにゾウにトラにと、色とりどりの動物キャラクターたちが、野球のユニフォームをまとって可愛らしくプリントされている。

それは昨年実家に帰ったとき、帰りの飛行機で食べるためのおにぎりを、母がつつんでくれたものだった。ちょうど動物をゆびさして喜ぶようになった孫娘のために、動物がたくさんプリントされて

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やさしいものさがし

やさしいものさがし

花粉症と風邪のミックスで、どうにもぼんやりと体調がわるい。

そんなときは文章も、やさしいものしか読みたくないし、書きたくない。

やさしいもの、やさしいもの。

頭の中にはいちご大福とか、ペコちゃんのほっぺとか、マシュマロとかがぽこぽこと浮かんでくる。

手元にあればそれについて存分に描写したいところなのだけれど、あいにくないので、なんだかなあとなる。今日は買いにいくほどの元気もない。

お菓子

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