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ちいさなせなか

ここのところ、2歳の娘がわたしの布団にもぐりこんでくることが増えた。

……と書くとほほえましいが、実際はまだ加減を知らない娘のこと。「ごっ」という鈍いひびきとともに、わたしのあごにタックルを決めてくる。母の胸もとやあごにアタックを繰り返しながら、ぐるぐると回転し、自分の心地よいポジションを探しているようだ。

昨夜も、最初は自分の布団にうつぶせに横になっていたのだけれど、眠れないのか結局のそりと起きて、わたしの布団へとやってきた。

「娘ちゃん、お母さんのおふとんで寝るの?」と聞くと、「ん!」と言う。そっか、いいよ〜、おいでおいで。自分の布団をめくって娘に示すと、娘もハイハイみたいな姿勢のまま、よたよたと突っ込んでくる。基本、頭から。

娘ちゃん、頭はこっち。枕をぽんぽんとたたきながら言う。それで、あんよはこっち。こんどは布団の中をぽふぽふたたきながら、言う。

毎日言い続けていたら、最近はぐるりとなんとなく向きを変えて、斜めに突っ込んでくることが増えた。よしよし、学習しているな。

ところで自分が横向きに寝ていて、その腕の中へ娘がごろん、と転がりこんでくるあの感じが、とても好きだ。その瞬間、とても幸せを感じる。あったかい、小さい、命のぬくもりが、自分の腕の中にすっぽりと、やってくる。ああ、だいぶ大きくなったけれど、やっぱりまだまだ、ちっちゃいなあ。

うつぶせに寝るその小さな背中にやさしく腕を回して、とん、とん、とたたく。「おうた、うたう?」と聞くと「ん」と言うので、赤ちゃんのときにいつのまにか生み出していた、彼女専用のこもりうたをうたう。やさしくとんとん、を繰り返しながら。

たいてい歌が終わっても寝ないので、つづいてなじみの童謡をうたったり、覚えてる絵本をそらで読んだり、話しかけたりしているうちに、なんとなく、いつの間にか寝ている。

もしくは、なかなか寝ないときは、娘にひっかかれようが何しようが、わたしが寝たふりを決め込んでいると、娘もいつのまにか寝ている。寝たふりをしていたはずのわたしもいつのまにか本気で寝ているので、娘がいつ寝たのか、いったいどちらが先に寝たのか、覚えていないこともよくある。

おたがいがおたがいのぬくもりを頼りに、なんとなく安心して、1日の疲れですうっとねむる。それが気持ちよくいったとき、とてもとても幸せだ。

いや、実際はそううまくいくときばかりじゃなく、娘が興奮していたりすると、暗闇を歩き回ったり、リビングに出かけていったり、もっと絵本を読めと絵本の角でわたしの顔を攻撃してきたりして、格闘している夜も多いんだけどさ。

でも昨日の夜は疲れていたのか、娘がわたしの布団に入ったあと、わたしが背中をとんとんしながらこもりうたを歌っていたら、めずらしく素直にすうと寝た。

目を閉じる娘の無防備な寝顔をみながら、思わずひとりでふふふと微笑む。

かわいいなあ、かわいいなあ。大人用の枕にしがみつくように、うつぶせで寝る彼女の、すべてのパーツがいちいち愛おしい。まつげも、すぴすぴいうその鼻も、よだれを垂らした小さな口も。

夜中目覚めたら、娘は暑かったのか、自分の布団のほうに転がってでていた。そのまま、その場所で新たに毛布をかけてやって、寝る。またいつのまにか蹴飛ばす。寒いのか「うぅー」と言うので、またわたしが起きる。そしてふたたび毛布をかける。だいたいそんなループ。

早朝もういちど目覚めたら、娘もぼんやりと目を覚まし、「あ、ママの布団じゃないじゃん、ここ」と気づいたのか、またわたしの布団へもぐりこもうと、こちらにのそのそ突っ込んできた。

「ごっ」と、あごに娘の頭のタックルを受けて“痛っ”となりながら、それでも娘が寄ってきてくれるのがうれしかったりする、単純明快な母の心よ。

自分の腕の中にまたすっぽりとおさまったその小さな背中を、自分も目をつむってぼんやりとした頭で、とんとん、とたたく。まだ地肌がみえる薄くてやわらかな髪のその頭を、やさしくなでる。わたしが触りたいだけなんだと思うけれど。娘も、気持ちいいといいなあ。

毎晩毎朝のように繰り広げられている、ほんとうになんてことのない、いつものひとこま。

書こうが書くまいが、起きていることは変わらないのだけれど。

でも確実なことは、どれも期間限定で、永遠ではないということ。

いまは毎日のように感じられるこの小さなぬくもりは、刻々と成長している。いまこの瞬間も、刻々と大きくなっている。小学生になり、中学生になり、そしておとなになるのは、なってみれば一瞬なのだろう。

きっときみにとっては一瞬じゃないけれど、親にとってみれば一瞬だ。おとなになってからの1年という単位は、どんどん短くなってゆくから。

育ってゆく。きみは育ってゆくね。

暗闇で小さな頭をなでながら、嬉しさとも寂しさとも片付けきれない感情が胸に広がる。でも同時に、いましか見られない「特別なあたりまえ」を、とりあえずいまは見ることができる幸せに、やさしい気持ちにもなる。

写真にすらうつせないその感情を、なんとか書きとめておきたかった。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。