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ノスタルジアは突然に

夕方、洗濯物をたたんでいてふと目をとめた。

お弁当をつつむ用の、ちょっと厚手で大きめのハンカチ。ライオンにゾウにトラにと、色とりどりの動物キャラクターたちが、野球のユニフォームをまとって可愛らしくプリントされている。

それは昨年実家に帰ったとき、帰りの飛行機で食べるためのおにぎりを、母がつつんでくれたものだった。ちょうど動物をゆびさして喜ぶようになった孫娘のために、動物がたくさんプリントされているこのハンカチを、引っ張り出してくれたのだろう。

そのすみっこに、母の筆跡で「1の4 ◯◯◯◯ ◯◯◯」と、ひらがなでわたしの兄の名前が記されていた。油性ペンの細字のほうで、くっきりと。

洗濯バサミからハンカチをはずし、思わずその文字をすくうように、そっと手にとる。

1の4。ひらがなで兄の名前を書いているということは、きっとこのとき、兄は小学1年生だ。すると、わたしは……ええと、3歳か4歳だ。

ああ、そのときの母がこの文字を、書いたんだなあ。そんなことを思う。

いま、わたしの娘は2歳になったところ。3歳と4歳といえば、来年や、再来年の話だ。母がハンカチに兄の名前を書いた当時を考えると、当時のわたしはいまのわたしの娘にかぎりなく年が近く、当時の母は、いまのわたしにかぎりなく年が近い。

お母さん、この文字、書いたんだなあ。

30年くらい前に、書いたんだなあ。

30代だったころに、書いたんだなあ……。今のわたしと、似たような年だったときに、境遇だったときに、この文字、書いたんだなあ。

ばかみたいにあたりまえの事実だけを、繰り返し思う。動かぬ証拠となるハンカチのその文字を、そっとなでながら。

当時の母はどんな未来を想像していただろう。

毎日わたしたちを育てることに必死で、未来なんて考えるひまなかったわよって、苦笑しながら返される気がする。

書いたんだなあ。ひらがなで、小学校1年生の兄のために、油性ペンの細字で、ちょっとにじんじゃう布地に、書いたんだなあ。ざらざらとした綿の布の感触を指先に感じながら、ずうっとくりかえし、思う。

たしかに、当時の母がペンを構えて、兄の名前を書いた時間がそこに存在した。よれちゃう布地を、きっと左手で伸ばしながら、がんばってきれいに書いたんだろうな。その時間を、目の前にあるハンカチが30年のときを越えて見せてくれた気がした。

わたしの記憶のなかには、母がひらがなで名前を書いてくれたバッグや、靴入れをつかっていた記憶がちゃあんとある。幼少期の記憶って、おとなになっても残っている。

30年て、あっというまだなあ。

あのころ、母が描いた未来は、いまここにあるのかなあ。

ひらがなで記された兄の名前を、母の筆跡をなでながら、遠くはなれたふるさとを思った。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。