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不登校のママとパパへ

こんにちは〜。

今回はいつも書いている内容と違う内容に
挑戦しようと思います。

最初は自分の経験をタラタラ綴るので
対処法だけ知りたい方は目次から飛ばしちゃってください!↓

お題の通り、不登校児のご両親に対して。
子どもがもし不登校になってしまったら
どんな対応をすべきなのか、逆にすべきでないのか等々

はじめに

先に断っておくと専門的な知識はなくて
知識としては大学で心理学を専攻していたり
児童養護施設でアルバイトしていたくらいで。
本当にただの一般人です。
なので参考程度に読んで頂けたら幸いです。


ただ一つ言えるとするなら "元不登校児" です。
あの時の辛かったことは今でも浄化し切れてなくて
傷はきっと癒えていない。


そんな自分が過去の自分の体験を通して
あの時両親や周りの大人にどうして欲しかったのか
自分でどう出来ていたら、より傷は浅かったのか

自分の傷を掘り起こすことは怖いし
拙い文章であるけど…

アウトプットすることで
救われる人が一人でも居ることを信じて
綴っておきたいと思いました。

ただ一つ補足として付けておきたいのは
両親のこと色々悪くも言うけれど自分の中でなんとか消化しようと頑張っているし、両親が方法を間違えただけで、どれだけ必死に、愛を持って私をなんとかしようと試みてくれたかは今となったら分かる。


愛情があってもいざ子どもが不登校となると、焦ったり不安になったりして、大人でも見失う部分は多くあって。

だからこそ。その見失うことで子どもや家族の将来が大きく崩れるのは少し勿体無いと思う
こういう情報を基にどうか冷静に適切に対処できる人が増えたらいいなとか偉そうに思ったり…しています。

不登校だった頃について

主に不登校だったのは
小学6年生の夏休み前から卒業まで
原因としてはそれまで仲良かった
クラスの人気者的な子1人に
嫌われたこと、ただそれだけでした。


酷いいじめを受けていた訳でもない
大きく考えすぎただけであのまま過ごしていたら
仲直りできるくらいのことだったかもしれない
大したことじゃないんです。

だけど当時の私は学校に行くのが
怖くて嫌になってしまい
夜眠れなくなったり
朝になると吐きそうになったり
それでも毎日頑張って行ってたけど徐々に仮病を使い
遂に母親に「学校に行きたくない」と
置き手紙を残して部屋に篭るようになりました。

今もかもだけど特に当時は両親に本音は言えなかった
母親は変なところ過保護で、私に少しでも害を与えた相手を特定し、すぐ相手の親に電話をかけ、子どもに謝るよう指示させた。(大した喧嘩じゃなくともちょっと泣かされたりしただけで)
それが私は怖かった。
だから本音は言わない子どもになっていった。

その後のことは覚えてないとこもあるけど
覚えていることを読みにくいけど羅列する

  1. 両親が真夜中まで話し合いをしているのを寝室で隠れて聞いて眠れなくなった、悪口を言われていると思った

  2. 自分の気持ちをうまく話せる相手が居なかった
    両親やきょうだいとはそのような関係を築けていなかった

  3. 不登校は辛い一方で楽だった
    何もしないでいいから。
    心配されている自分が心地良かった
    学校に行くのが面倒臭いから行かない日もあったりした
    学校に行くと心配されないのが怖くて行かないこともあった
    真面目にやっていた "Benesseの教材" もやらなくなった
    親に隠れてゲームをするようになった
    くそ真面目な子どもだったのに

  4. 自分を大切にすることを辞めたのもこの頃だとハッキリ覚えてる

  5. 希死念慮が生まれ始めた
    赤信号を渡ってみたり、寒い部屋に薄着で居たり、ご飯を食べなくなったり、何か重い病気にならないかなと毎日強く強く思っていた
    入院したかった、周りに心配して欲しかった、学校行かないでもいい状態になりたかった

  6. 父親からは理不尽に怒鳴られた、暴行された
    「お前はおかしい、この家はおかしい」と言われ続ける
    母親はヒステリックになってた

  7. 家族が壊れたのも私のせいだと思うようになったし、親からも思われてたと思う(後に言われたこともあった)
    気のせいかもだけど隣の中学に通ってたきょうだいの性格がこの頃から暗くなった気がする
    それも私のせいだと未だに思っている

  8. 不登校になる前から繊細すぎてしんどかったけど、不登校に対する両親や周りの対処でより生き辛くなった。そしてその生き辛さによる爪痕も沢山残り、全体的に未だに癒えない傷や思考の癖として残り続けている

母親がしてくれた対処法

父親は仕事が忙しくて、夜に母親と話し合っていたけど
動く時間があったのは母親だった

心理カウンセラーへの相談

母親が自分が住んでいた地域の相談窓口にて、無料カウンセラーに通っていたと思われる。私は行きたくなかった
➡️母親はそこで何を得てるんだろうと思ってた。何も変わらない。肝心の私の気持ちは何も聞いてくれなかった、話したくなかった
私自身が行ったこともあったけどなんだか合わなくて嫌になった


カウンセラーが家庭訪問に来たのだけど
「話したくない」一点張りの私に対して家の端まで
追いかけ回した。

➡️怖かった。大人への不信感が高まった

フリースクール

地元のフリースクールに通おうとした時期もあった
フリースクールに登校することで学校に出席したことも同じ扱いとされる。

➡️フリースクール自体は自分を受け入れてくれる感覚は少しあった
ただ自分の家は貧乏だと思っていたから、電車賃かかるのが怖くて、行きたくなくなった

保健室登校

教室が無理ならと、保健室登校もしてみた
➡️でもやっぱり同級生と顔合わせることがない訳でもなく、しんどかった。

他のコミュニティへの所属

習い事や0歳からの幼馴染との関係、(当時は不登校だと知らなかった)祖父母との関係を大切にしてくれた。
➡️これに関しては本当に感謝してて、特に幼馴染と遊ぶ時間や大好きな祖父母に甘やかされている時間は楽しかった。だけどいつも金曜に会う祖母の車の中で公式に休んでいい土日がきた安堵とまた月曜が来る恐怖に怯えてた

学校や教育委員会への働きかけ

これは次の題「学校がしてくれた対処法」に書きます

学校がしてくれた対処法

担任や校長の対処

基本両親も私も不信感と何もやってくれないという思いでいっぱいでした。

私を嫌っている子との話し合い。ただ特にまともなことも言わずに(子どもながらにそんなことを思った)私を嫌っている子と私を「握手して仲直り!」と握手させた
➡️担任に対して不信感しかない、嫌っている子がより嫌うのではないかという恐怖。地獄のような時間。仲直りなんてする訳もなく。

家に来たり、電話をかけてきたりした
➡️前提として不信感、嫌いでしかないので避け続けた

教育委員会がしてくれた対処

母親が働きかけていたので
何をしていたかはわからないけど
母親がキレまくってたあたり大したことやってなかったと思います。イジメじゃないもんね…。
当たり前なのかな、、そこらへんわかりませんが…。

本当に必要だった対処

私の経験から見えてきた本当に必要だった対処法はたった3つだと思っています。

①子どもの気持ちを見てあげること

普段から関係性を築くことは何よりも大切です。
ちょっとしたことでもちゃんと会話をすること、反応をしてあげること。子どもが日常のことを話さなかったら、それは一種のサインであって、もっと歩み寄る努力、信頼してもらう努力が必要なんだと思います。

そして出してくれた気持ちを尊重してあげること。不登校の時こそ言ってしまいがちな「学校に行きなさい」は言わないこと。言いたくなる気持ちはマジでめちゃくちゃ分かるけれど…!
理由があって不登校になっているんだろうから、学校に行きたくないという子どもの気持ちを尊重してあげること。子どもの気持ちを否定しないでどんなことも肯定、、ではなく「共感」するのが大事なんじゃないかなぁと思います。

例えば…

👧🏻「学校行きたくない」
👩🏻「学校行きたくないのかあああ😅なんで行きたくないの?」
👧🏻「〇〇が怖いから」

…と共感を足すことが大事かと思います。

ちなみに上のは具体例でしかなくてこんな簡単に気持ちは出してくれないと思うので改めて基盤の関係性づくりは不可欠だと思います。

絶対に子どもに敵と思わせないこと、安全基地であることを分からせることを徹底すべきだと思います。
子どもは敏感なので大人をちゃんと見ています。大人が本気で向き合ってくれているかを普段の小さなことからすぐ見抜きます。

出来ていなくても気付いたその時に始めるのでも遅くないです。というか遅いかもしれないけれど、向き合うのが遅くなればなるほど、子どもの親への信頼感は失われるばかりだと思います…。失われた信頼感を手に入れるのは容易くないんじゃないかな…。

②不登校中は学校以上に価値のある1日を

私の場合は特に「不登校だと何もしないでいい」という甘えにも至り、不登校から抜け出したくないという思いから、克服する努力をしなくなったのは問題の長期化に対する物凄く大きな要因でした。

なので私が思うことは 不登校≠悪 であることを理解して、学校以外の場所で学校よりも価値のある1日を子どもに過ごさせるべきだと思います。
学校での勉強が全てではないんです。

価値のあるというのは、子どもが夢中になれることをさせるだとか、(本人の意思を尊重しながら)勉強も続けられたら続けさせる。ちゃんとけじめはつけさせる。

有名どころで言ったらエジソン。
エジソンは好奇心の高さから先生に邪魔者扱いされ退学に。(不登校ではないけど学校行かなかった者の例として)
それからエジソンは元教師であった母親の元、家の中で勉強を続け、興味があることにとことん向き合った結果後世に名を残す存在となったのです。


超簡単にいうと、家の方が安心だから、という理由の不登校は良いけれど、家の方が楽だから、という理由の不登校は良くないんじゃないかなと思います。

③何よりも愛を正しく伝え続けること

不登校になって自信を失くす子どもはきっとたくさん居ます。その中で両親が更に否定し続けたら深い傷や自己受容感の低下となり、長期に渡って子どもが傷つく、生き辛さを感じる原因となります。(私がそうでした)

これは不登校に限らないと思うけど、学校に行ってるとか、何ができるとか、そんな付加価値で子どもを判断しないことが大事だと思います。
学校に行ってようが行ってなかろうが、貴方だから大切なんだ、ということを伝え続けること。

例えば私の父方の祖母は過去において、私という「存在」を大切にしてくれる人でした。逆に母方の祖母は過去、私の「付加価値」を大切にする人でした。
そういう育て方の結果、私は父方の祖母の方が受容してくれる存在、として見ることが多かったのです。

例えばどんなところがというのをあげるとするならば、2人の口癖にそれらが顕著に現れていて。

父方の祖母は
👵🏼「〇〇ちゃんが来てくれたから美味しいケーキが食べられた(私が食べるようにケーキを買っておいてくれたのはおばあちゃんなのに)」
てな感じで
「居てくれるだけで良い」
と感じて居たのかなと今になって思います。

一方母方の祖母は
👵🏼「沢山勉強して頭良くなって将来はお金持ちになる為に警察官になってね」
てな感じで
「自分に良い条件を課せば認められる」
と感じていたのかなと今になって思います。

お金持ちになる為が警察官なのは未だに謎だけど笑
あの頃はそのせいで「お金をもらう為に警察官になる」と本気で思ってました笑

父方の祖母のように「存在自体」を認めてあげること
愛を注いであげること
が大切なのかなと思います。

最後に

子育てもしたことない私が偉そうに何言ってるんだ
と思うだろうし
実際にその環境に置かれたご両親がそう冷静に対処するのは簡単ではないことも心の底から理解しています。

でも敢えて第三者から(成長して第三者となった私から)の冷静な指摘も必要なのかなと思います。

不登校になったあの時期。
確実にあの時から私は「愛されてない、自分はダメな子、死にたいから自分のこと疎かにしよう」という本音が見え隠れした行動を取るようになりました。
それは22歳になった今も自分を苦しめていて、きっと深い傷や生き辛さとして未だに自分に刻まれているんだと思います。

本当に本当に本当に苦しかったのは不登校の時期じゃなくて、大きくなってから不登校で負った爪痕が疼き始めた頃でした。


そんな苦しい思いをする人が1人でも減りますように……。


未だにこれを投稿していいのか分からないけれど。
この記事がどこかの誰かの役に立つという少しの希望を持って、投稿したいと思います。

拙く、いつも以上に自分語り要素多めの今回の文章
最後まで読んでくださったのなら
ありがとうございました🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️

😉💐

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