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新婦の家族に招待いただく マルマラ海沿い街道の旅★2019(21)

友人の車でブルサの住宅街にあるホテルに着いたのは14時半ごろだった。
ここは営利目的のホテルとは異なり、シンプルだけどとても機能的な印象だな、と思っていたら、イスタンブール工科大学の卒業生寄付金で建てられたゲストハウスだとのこと。教え子Aの父親がその大学の卒業生なので、利用できるということらしい。
(うーむ。名門大学って、すごいんだね)
私が導かれたのは、広々としたバルコニーつきの、清潔で機能的な部屋である。バスルームの設備もいい。

専用のバルコニーがとてつもなく広い

到着を知らせると、すぐに教え子Aとご両親がやってきた。
ゲストハウスから2ブロックほどしか離れていないコンドミニアム(日本でいうマンション)に両親が住んでおり、昼食にご招待いただく。
素敵な居間のある家で、帰省中の弟を加えて、ベランダで歓談しながら食事をいただく。

風がさわやかなベランダに昼食テーブルが準備されていた

おそらくは、普段はアルコールを飲まない家庭だと思うけれど、教え子Aからの情報であろう、トルコのビールが用意されており、父上と乾杯した。
今晩夕食を予定しているレストランは酒が出ない店なので、先生は今のうちに飲んでおいてね、と言われる。
おいおい、俺はアル中ではないぜ。

彼女の弟はあと1年で別の街の大学(コンピュータ工学)を卒業し、おそらくこの街に戻って就職するという。Aが日本にいる時によく聞いてはいたが、とにかく仲の良い家族です。

手を付ける前に写真に撮るべきでした。でも、ドルマ(左前のモスグリーン色)はまだ無事

昼食では、特にピーマンのドルマとナスの肉詰めが美味しかった。
《ドルマ》というのはトルコの代表的な料理で、お米、玉ねぎ、ひき肉やハーブ系野菜をブドウの葉で包んだものが最も本格的だが、キャベツ、ピーマン、パプリカ、ナスなど何にでも詰め、どれも《ドルマ》と呼ぶ。

最後は自家製のデザートに、トルコ式コーヒーも久しぶりにいただきながら、ご両親と話をする。
お父さんはトルコ南部の町イスパルタの出身でイスタンブール工科大を卒業後、この街でエンジニアの職を得た。
お母さんはブルサ出身(イスタンブール大のトルコ文学科を出て教師をしていた)だけれど、もともとはブルガリアのあたりに住んでいたトルコ人の家系で、第一次世界大戦の少し前に今のヨーロッパ側トルコ領に移ってきたという。
途中から、お母さんの大学時代の親友だという女性(歴史専攻)も加わる。私は高校時代から《歴史マニア》なので、英語の通訳を若い二人に頼みつつ、《中東史&東欧史》でけっこう盛り上がる。

面白かったのは、イスパルタ出身のお父さんが、
「自分は本当のトルコ人である遊牧民(トルクメン)の出身だが、お前はそうじゃない」
と奥さんによく言う、という話だ。
もちろん、半分ジョークだろうけど、《遊牧民》ってのが、やはりトルコでは祖先の業として《プライド》とリンクしているんだな、と感じた。

夕食は午後9時ごろにお迎えが来て、ブルサのダウンタウンにある立派なケバブレストランに招待いただく。同じビルに明日の披露宴会場があるという。
この夕食会には、新郎も加わった。背が高く、がっちりとした体つきで、映画に出てくるようなイケメンである。

レストランのケバブ料理。各自が肉や野菜をピタに取っていただきます。

ラムのケバブを注文してもらう。この店は大皿で肉や野菜が出て、それぞれが自分でピタに載せて食べる方式になっている。
飲み物はやはり塩味のヨーグルト。
デザートはアイスクリームと、トルコで良く出される甘ーい緑色のお菓子《バクラヴァ》(ピスタチオをつぶした餡が入っている)が出る。さすがにこれは全部食べられなかった。
トルコでは、
「甘くなければお菓子ではない」
と信じられているようで、とにかくデザートは甘い。
《辛党》の私としては、これだけはご勘弁!と思っている。
── でも、デザートを断ると、『ええ! どうして!』的雰囲気に覆われるので断り辛いんだよね。

新郎はドイツの製造企業で働いている。彼は英語はできるがドイツ語は十分ではなく、英語だけでOKの職種とドイツ語が必要になる職種とがあり、ドイツ語を習っているそうだ。
状況は、やはりドイツで別の製造企業で働く新婦Aの方も同様らしい。

新郎新婦は両親とはトルコ語で話すため、私ひとりのためにけっこう気を使わせる結婚式前夜のディナーとなってしまった。

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