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神様の通る道とは

体の中心は、神様の通り道。

神社で言えば参道です。

それなのに、
自我(エゴ)が参道のど真ん中を占拠し、
我が物顔で通行するようになってしまった。

だから、肉眼で見えるものしか見えなくなってしまった。

肉眼で見えるものなど、5パーセント未満(顕在意識)に過ぎない。

そこを空ければ、肉眼では見えないものが
視え、聴こえ、感じることができるようになる。
いわゆるサイキック能力と呼ばれる
本来誰もに備わっている能力を取り戻せる、
つまり思い出す。

力は、外側にはない。
力は、わたし達の内側にある。

外側に、他の誰かに答えや力を求めたとき、
人間は争い、ときに殺し合う。

外側の誰かや何かに求める必要はない。

全ての答えは、自分の内側にしかない。

ただ、自分を筒にし、
内側に問いかけ、耳を傾ければいい。

本当のことや本物は、常にシンプルだ。

真に強いコト・モノは、シンプルである。

真(シン)とは、神(シン)である。
空(そら)とは空(クウ)である。

己の体を空(カラ)にして、求めよ。
さらば与えられん。

これをヨガでは、クンダリーニの覚醒といい、
ネドじゅんさんは、神様の椅子と表現したのだと思います。

わたしが、2020年に体験したのは、
クンダリーニだったのだと、やっとわかりました。

妹の手術中に、体の中心を何かが駆け上がり、
生きたまま昇天しそうになったのですが(笑)、
その体験にご興味があれば、こちらをお読みください。
以前に書いていた別ブログになります。

このことが今朝わかった、、、というか、
教えていただいた直後に、内側で流れた歌。

通りゃんせ、通りゃんせ
ここは どこの 細道じゃ

なぜ?通りゃんせ?と思いましたが。
続きを聞いてすぐにわかりました。

天神様の細道じゃ

そう、あの時、助けれくださったのは天神様だった。
大いなる神様(源)が、天神様を介して、救ってくださった。

その体験もご興味がありましたら、こちらからどうぞ。

祈りとは、意宣り。

わたしに起きたことは、あなたにも起きます。
あなたが覚悟を決め、祈り、求めたならば。

思い出そう!
救世主とは、
あなたであり、わたしであることを。

子どもの頃、小さなわたしが純粋な想いで、
空に解き放った願いが今、
答えを携えて帰ってきた。

戦争は終わらせることができる。
わたしはそう信じている。
人間を信じている。

他のことは諦められても
わたしの諦められなかった願い。

神(源)は、人間を信じてくださっている。
神(源)は、人間を諦めたりしない。

当たり前と書いて奇跡と読みます。
当たり前の今日に、全ての存在と出来事に感謝を込めて。


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