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疎外感を大切にする生き方を選ぶ私が、これから身につけたい力について

最近推しが出来まして、毎日推しを思うと思わず微笑んでしまう自分がいるんですが、なんか自分が病的に思えて不気味だったので必死に推しのことを考えないようにしている今日このごろです。
(こんな私にも不思議なことが起きるんですね…)

どこにいても疎外感がある、
っていう人が少なからずいると思います。
まさに私は、そうです。
ただ思うのは(私は他人になったことが無いので確かなことは分からないのですが)
おそらくこれは私だけではなく、誰しもが人生のどこかのシーンでささやかながらも感じるものなのではないか?と推測しています。
なので、私だけが特別なのではなく、誰でも体験するものなのでしょう、という推測の下、書いていきたいと思います。
ただ、もしかすると私は「疎外感をそれほど感じていない」と自覚しているような人達と比べると、それよりかは疎外感に対して繊細なんかな、とか思ったりします。
(こういうテーマでnote書いてるくらいなので)

で、じゃあその疎外感、少しでもなくせるように克服したいです!
ということかと言うとそうではありません。
むしろ、他人より強く感じるということは、私の特性だと思うので、
自分が敏感に感じる疎外感はこれからも大切にしていきたいと思う次第です。

でも、疎外感は別に自分のモチベーションを上げてくれたり、プラスに働く系の要素では無いので、
大切に持ち続けていようとすると、自分のメンタルが疲弊する、というデメリットがあります。

そのため、私が、上手に疎外感と付き合いながら、この感覚を大切に持ち続けていられるように、鍛えたい能力があります。

それは、「人に自分を伝える力」です。

というのも、疎外感を感じながら、自分の殻に閉じこもる、というのは成長が無いからです。
別に成長とかいらん!という人はこれをしていれば傷つくことも減るし、自分に合っていないことを手放すのでストレスが減ります。
生きやすくなる可能性が上がるし、今の生活にストレスを感じているのであれば、一時的にそのストレスを緩和する効果を得られるかもしれません。
(私はしがない文学部卒の一般人なのでまじで科学的根拠も医学的根拠もございません。一個人の意見ですのでご了承ください)

自分と違う生き方や物の考え方をしている人と関わることこそが、人間の成長には不可欠であると、私は考えています。
(あくまで私は、です)
自分と違うことを面白がれる自分でいたいし、
同じ地面を踏みしめて生きているのに、目に映るものは全く違うという人それぞれの孤独を尊ぶ自分でいたいので、
あえて、他人の意見を聞いて、違和感を感じ続けたい、と思うのです。
そこで自分を鍛えたいし、自分との違いに何歳になってもしつこく驚いていたい。笑
ただ、そうなった時に、私はそこで人々がこうだよね、ああだよね、と自己を表現しているのを見て
「へーそうなんだ!変わってるね面白いね」
って笑っているだけでは、本当にいないのと同じなんだと思うんです。
発さなければ、いないのと同じ(だと思うんです)。
聞いてるだけじゃ、受け取ってるだけじゃ、殻に閉じこもっているのと同じ(だと思うんです)。
だから、ちゃんと人に自分を伝える、っていう力は、育てていかないといけないと思うのです。
そこで相手が「きもいんじゃ」とか「いいセンスだ」とか思ったとしても、受け取った側がどう思うかは、その人の権利なので、私の関与するところではない。
(もちろん、名指しで攻撃していたり、明らかな暴言はもってのほかだと思いますが。普通に私が訴えられてEND)

だからこそ、誰が読まずとも書くってことには意味があると思うし、
人々が色んな思いを載せて日々発信していることには意味があると私は思います。

大事なのは、結果よりも、
自分が「今」何のために何をしているか
だと思います。
そしてこれからどこに行きたいか
だと思います。
(結果ももちろん大事だけどその次だと私は思います)
(何をしてきたかはあんまりどうでもいいと思う派です。でも、本当は大切だと思いますが!私が苦手なだけです)

だから、今日も、自分が一体、何のためにこれをしているのか、
問いながら、
納得して過ごしていきたいす!!!!

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