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残念ながらこの世に万人共通の「お手本」も「正解」も無いという不都合

最近、私の好きなドラマであるVEEPの最終シーズンが配信されていると知って、早速シーズン1から見返しています。
VEEP面白いです。HBO政治系ドラマなのですが、ずっと情報量が多くてずっと音も画面も余白がなくて常に誰かが困ってゲロ吐きそう、を繰り返してます。
テンポが早くて情報量が多いので見てると疲れます。でもおもろい。
今思えば、毎日読んでる本もアメリカの政治系のやつじゃねえか…
めっちゃホワイトハウスに憧れる政治オタクみたいになっててうけます(全部コメディで娯楽的な内容なので何かの強い思想を持って見てるとかではないです、単にギャグセンが高くておもろいです)


最近めっちゃ思うことなのですが、
人間が持つ特性に正解など無いと思う、ということを書きたいと思います。
(毎回いい加減しつけえですがこれは単なる私のnoteですので、今の私の一意見です。明日にはまた別の考えになっているかもしれないですし、諸行無常で世界はグレーでございます)

前のnoteでも書いたかと思いますが、私は自分の特性をなんだっけ?激弱耐久性ゼロ繊細行動力高い好奇心強い人間?みたいに表したと思います。
で、これは自分で自分を蔑んでいるのではなく単に私の性質の目立つ部分を集めて並べたらこうなった、というだけですが、
誰でもこういう風に並べられる自分の性質、というものは持ち合わせているのではないかな、と思います。
(最近流行ってる16Personalitiesみたいな感じですかね。なんかめっちゃ流行ってますよね)
で、その性質の中には自分が目をそむけたい不都合なものもあって、
(私に限ってこんなことない!こんな人間にならないように努力してるのに実は自分自身がそうだった!とか)
その不都合なものほど自分の強みになったりしたりするんかな〜そうだったら面白いなと思う次第です。
で、その不都合な性質が何なのか、ていうかそもそも自分はそれをなぜ不都合だと思うのか、とか、
人それぞれで、当たり前ですがそこに正解は無い、と思います。
そこに、お手本の形なんて無いし、この性質を持ってたら最強!みたいなことでは無い、と私は思うのです。

なんかめっちゃ、お手本のような概念?が世の中に溢れている感覚が個人的にあるのです。
それに対して、強く違和感を感じます。
(このnoteもお手本だって思われてしまう可能性もあるので発信するということはとても難しく奥が深い…だから面白いのですが!)
幸せを掴むのはこういう人!
こういう人の周りにはいい人がよってくる!
愛される人になるためには
みたいな情報って昔から本とか動画とかでめっちゃ溢れていると思うのですが、
もちろんそれらがヒントになったり助けになることはあれど、
無理やり自分の性質を捻じ曲げて「その人」になろうとしたって、幸せになれる保証は無いと思います。
なぜなら、幸せになる方法は自分の中にしか無いから…
人類はこれをやると幸せになる、というガイドブックは残念ながら無いから…
と私は思います。(快楽を得るためのガイドブックならありますが)
つまるところ、「自分がどうあるべき」かに万人に共通したお手本なんて無い、と私は思います。
もしかしたら、こういう人!というお手本があったらとても都合の良い人生なのかもしれませんが、
そもそもお手本とか、人様が幸せになるための方法なんて、誰にも答えはわからないわけで(助け合うことは出来るけど)、
なので、自分で自分がどうありたいか、そのためにどうすべきか、は思考し、トライするしかない、と思うのです。
そしてそれをひっくり返すと、
自分がありたい自分であるために、自分が主体となって自由になんでもやっていい!ということだと思うのです。

自分と向き合ってみて、自分の性質を並べてみたときに、
自分がお手本としていた人とは全然違ったとします。
例えば、お手本にしたい人は
楽観的友好的大胆大らか自己肯定感強い〜〜〜みたいな感じだったとします。
で、自分は繊細耐久性ゼロ激弱だなあという答えに内省の結果たどり着いたとします。(私やないかい)
(もちろん内省してもわからないとか、内省の限界を感じるとかだったらお金払ってプロの人の力を借りるとかするのはとても有意義だと思います)
そのときに、「よし!じゃあ私は望ましくない性質ばかり持っているのでお手本の人に近づけよう!自分を矯正しよう!」
ではなくて、
「自分の性質はこれか!じゃあ今までこの性質と、自分はどんな風に付き合って生きてきたかな?」
ってことに目を向けたいなと思うのです。
今自分はどんな人間かな?そして今の自分を成す性質達はどんな風に私を形作ってくれてるだろうか?
ってことをちゃんと掘り下げておきたい、ということです。
その上で、ここもっとこうだったらいいのにな、とかチューニングしたいのであれば、
内省したり、はたまた他人様に目を向けてみたりしながら自分を成長させていくのがいいな、と個人的に思う次第です。

そうしているうちに、誰かに「こういう人をお手本にしましょう」と与えられた人ではなく、
「私もこういう人になりたい!」と自ら思える人に出会えるかもしれません。
そういう人に出会えたなら、それはとても幸せなことと私は思います。
なので、ここまでお手本お手本と書いてきましたが、万人に共通するお手本は無いが、トライアンドエラーの先に自分独自の目線で見つけたお手本、はあるかもしれないかもしれないということです。

最後になりますが、
私は幼少期ずっと、「正解」を求め続けていた記憶があります。
何が正しい生き方で、自分の正しい立ち回りは何か、常に考えて正解を選んできましたが、
急に中学に上がった頃、人生のつまらなさがピークに達して本気で生きる意味が分からなくなったことがあります。
それなのに10年ちかく、引き続き正解を求め続けて生きていましたが、
正解なんて都合の良いものはこの世に無いんやってことにやっと気づいてから、
残酷でチャレンジングでスリリングな人生がやっと始まった気がしています。
いや、ていうかこれも単なる私の世界観だし、誰かの人生には正解があるのかもしれませんので、単に私が見えているものではありますが…。
ですが、この膨大な「お手本」が溢れる世界で、
「私はお手本とは違うから間違ってる人間なんや〜」
ということは一切無い、ということが強く言いたかった次第です。
私だって激弱耐久性ゼロ…割愛ですが、その全ての要素が私を助け、高め、私と共に一生懸命育ってくれている実感があります。
言葉には正解があって、意味がちゃんとつけられているけど、
自分の中でどう落とし込むかは自分次第で、言葉の意味を飛び越えるくらいの大胆さを持っても良いと思います。
それは傲慢なことかもしれないですが、傲慢であっても死ぬよりましなので問題ないと個人的に思っています。
自分なりに、言葉ひとつひとつと向き合い、その意味を見出したって良い、と思います。
そして、私にとっては、その積み重ねの上に成る自分なりの哲学を、これからも煮るなり焼くなり厳しい環境に置きながら、成長させていきたいと思っています。
それがこの世の誰かに「そんなもん哲学でもなんでもない」と言われても。
(黙ってろくださいくそぼけ、です)

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