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孤と孤が一緒に生きていきたいと願って、進化を遂げていくこと【ダーリンの進化論 わが家の仁義ある戦い(高嶋ちさ子著)】

「この人じゃなきゃダメ」「この人しかいない」
って言葉、というか考え方が苦手です。
でも、同時に、そう思える人がいるって、幸せだなとも思います。

「ダーリンの進化論 わが家の仁義ある戦い」(高嶋ちさ子著)を読みました。

「一緒に生きてる」って思いました。(突然)
「皆、一緒に生きてる…」って思いました。(2回言う)
お父さんもお母さんもお姉ちゃんもお兄ちゃんもお姉ちゃんも夫も息子も、
皆違うキャラクターで、
皆気が合わないようで、それでも楽しく一緒に生きている。
人と一緒に生きるって、綺麗事だけじゃ済まないじゃないですか。
恋人だったら一気に特別感は無くなるし、子供を産んだら…その先は私には未知数です。
嫌なところはたくさん見えてくるし、毎日嫌でも顔を合わすからこそ、喧嘩したら長引くことだってある。
生まれた時から一緒の家族だって難しいんだから、人生の途中で出会った人と生活を共にするなんて、めっちゃ難しいことですよな。
(誰や)

でも、高嶋さんのご家族の様子を読んで、
「皆一緒に生きてる」っていうか、「皆一緒に生きたいんだ」って、すごく感じました。
気に食わないことは山ほどあるし、理解出来ないし、罵るし、思いやりも忘れるし、傷つけられるし、傷つけるし、遠慮はないし、人として信じられないし、厄介だし、いなければいいと思う日もあるかもしれない。
(実際表紙にお兄ちゃんのことは現在ブロック中って書いてました笑)
でも、皆、結果、一緒に生きたい、って思ってるんだって、私にはそう伝わってきたのです。

高嶋さんの強烈なキャラクターはテレビなどでお見かけする通り、気が強くて、自己主張がはっきり出来て、他人にも自分にも厳しいというイメージです。
本書の中でもそのキャラクターは十分に発揮されていたのですが、旦那さんがとてもおっとりしたマイペースな方のようで、
思わず高嶋さんがぎょっとした、というかあまりに自分と違いすぎて、精神を病んでしまったことすらあるそうです。(どんなや)
でも、私、その反応、正直ですごくいいなあと思ったんですよね。
道徳の時間や、SNSで、「人と自分の違いを受け入れましょう」みたいな教育を受けてきたし、現代人はそれが出来て当たり前みたいな風当たりを感じるのですが、
それが出来るのは人との違いを目の当たりにして、何かしら失敗したり、学びを得たりして、自分で身を持って経験した人に限るんじゃないかなって思います。
もちろん知識として持っておくのはとても大切なことだと思いますが、身を持って経験することに勝ることは無い(当たり前や)し、その経験をしたときに自分から出てくる素直な感情と向き合って、しっかり苦しむ、ということが学びを得るということなんじゃないかと私は思うのです。
高嶋さんは、びっくりしすぎて精神科に駆け込んだり、マリッジブルーになったりしたらしいんです。
おい!!めっちゃ生きてるじゃん、めっちゃ最高じゃん!笑
あまりのまっすぐさに、私の中で高嶋さんへの好感度が爆上がりした記述を引用させて頂きます。
(いやちょっとこの可愛さ(すみません)を知ってほしいので是非お読みください)

夫は寝ぼけまなこで、
「クーラーをつけて窓を開け放して寝るのがいちばん好き」
なんて言うんです。私はあきれて、
「それって人としてどうなの?最悪だよ!そういう人とは暮らせない!」
(中略)
「起きている時間は必死に働くのが健康な人の役目。病気でもないのに昼寝をするのは罪」
私はそういうふうに言われて育ったからです。
でも、私が説教している途中に、夫はまたフーッと目の前で眠り始めたんです。
「えっ、何なんだ、これは!?」とすごく動揺して焦り、頭が混乱して、
(中略)
心理カウンセラーのところに行きました。
「先生、おかしいでしょう?」
そこでもたずねましたが、
「ご主人は昼寝が好き、あなたは起きて一分一秒惜しんで働くのは好き。どちらが幸せでしょうか」
と逆質問される始末。私は、
「幸せとか幸せじゃない、という話ではなく、「人として」どうなのか、そこを聞きたいんです」
と繰り返しました。
(中略)
なのに、カウンセラーの先生は、
「(中略)人の幸せは他人が決めることではないから、それを罪だとか奪おうとか思っちゃいけません」
なんて、私の方が形勢不利。それが、「夫に対しては怒りをぶつけても無意味だ」と悟った最初の出来事でした。

ダーリンの進化論 わが家の仁義ある戦い(高嶋ちさ子著)

高嶋さん最高やな〜〜〜と思いました。
こんなに動揺して、こんなに混乱して、気に病んで、旦那さんが高嶋さんの説教を聞かなかった時、悔しかったし、寂しかったと思います。
他人は私とは違うんだ、と思う時、すごく寂しいと思います。
私は寂しい、とすごく感じます。
高嶋さんはそれを思う存分、逃げずに誤魔化さずに、味わってる。
そしてそれをちゃんと何年後かに思い出して、文章にこんなにコミカルに表現出来るなんて、素晴らしい、私も大人になっても自分のそういうショックを受けた出来事を、昔の自分を馬鹿にしたりしないで文章にしたためられる大人になりたいものです。

誰しもが、家族にも友達にも、自分以外の他人に対して、自分と違うことに対する苛立ちや寂しさを感じていると思います。
それでも一緒に生きていきたいと願って、それには努力が必要で、その努力を続けた結果、「進化」を遂げていく。
努力なしでは人は他人と一緒には生きていけません。
努力は必要です、他人と生きていきたいなら、どんな聖人君子にも。
(と私は思います)

誰かと一緒に生きていくこと。
どんなことがあっても一つになんて決してなることは無い、一生個と個のまま、いや、孤と孤のまま。
それでも、一緒にいたい、と思って、努力を続け、進化を遂げること。
それは、決して相手が離れて行かないように、自分を殺すことではなく、相手から学び、相手が学んでいく様も同時に尊ぶこと。
共にいろんな出来事を乗り越えていくこと。
その先に自分の充足感と幸せがあるのなら、こんなに幸せなことはない、私もそんな風に生きていきたい、と身が引き締まるばかりです。

夫は私や高嶋家の家族と関わって「進化」を遂げました。
でも”夫の進化”によってほんとうに進化したのは”私”かもしれない。

ダーリンの進化論 わが家の仁義ある戦い(高嶋ちさ子著)

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