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萎縮してしまった勇気の取り戻し方

私にとって、勇気や前向きさ、みたいなポジティブな要素というのは、永続的ではありません。
何かしらの影響を受けて、突然今までの学びが嘘だったかのように、恐怖や不安や孤独感に心を支配されることだって、あります。
ですが、それは私が特別陰キャで根暗でビビりなんだってことではなく、
まじで当たり前ななんじゃないか、ということを書いていきたいと思います。

まず、この世は地獄です。(と私は思っています)
皆が幸せで平和で美しいのが望ましいし、多くの人がその状態を望んでいますが、実際はなかなか難しいものです。
皆幸せになりたい、その願いの上で、様々な感性が働き、
ある人にとっては爆笑ネタであっても、ある人にとっては一生ものの傷になるくらいショッキングなことだった、ってこともありえます。
一人としてこの世に同じ人はいないので、皆それぞれの感性があり、それぞれの歪みを持っています。
そのため、皆が幸せ、皆がニコニコ、というのは難しい、ですよね。
なので、誰かが爆笑して屁こいて笑い転げ回ってる一方で、誰かが悲しくて苦しくて、周りに取り残されているような孤独感を覚えている、というのはいたって普通なことです。

つまりここで何が言いたいかというと、
悲しいのは、苦しいのは、孤独感を感じてるのは、自分だけじゃないよってことです。
皆感じる時はあるし、慢性的に感じたり、一時的に感じたり、そのスパンはどのくらいかは知らないけど、誰でも感じるものです。
(サイコパスじゃない限り)
なので、この世で私だけが異常で周りに馴染めなくて友達もできなくて恋人もいない、というのは嘘です。
自分だけが特別なんてことはありません。(と私は思います)
こういうネガティブな状態に心を支配されてしまった時、対処方法を知りたくなりますよね。
私も知りたいです笑
私が考える対処法を2点下記に書いていきたいと思います。

まず、何事においても重要というか鍵になるのは、「学び」です。
何事からも学ぼうとする精神は幸せに生きていくために重要です。
なぜなら、この世は地獄で、地獄の中で初期装備で生き抜く(モンハンで言うなればマフモフ装備でティガレックスに挑む)のは困難極まりない。
だから武器や装備のアップグレードが必要で私は「学び」こそがそれに値する、と考えます。
(断言した書き方をしているので念の為またしつこいタイムですが、あくまで私の思うことなので、黙ってろボケという方は、アリーヴェデルチ!)
例えば、
「やべえ〜親友だと思ってた人がSNS無視してくるし俺以外の友達と遊びに行ってるよ〜その上彼女は浮気してたよ〜会社では気の合わない人たちばっかで話し相手すらいないよ〜」
という状況になったら、学びを得られる絶好のチャンスです。
自分は何も変わっていないが、周りがカオスの状態。
こうなった時に、自分の心情を書き出してアウトプットしてみたり内省したりしてみて、
自分はどういうことを嫌悪するのか
自分はどう生きていきたいのか
などを自己分析してみると、失った(ように見える)ものが本当に大切なのか、今そこに執着する必要があるかどうかが分かるかもしれません。

さらには、アウトプットするだけでなくインプットすることも重要です。
本を読んでみる、他の人の意見を聞いてみる(友達がいなくてもYouTubeやnoteなどネットを使えばよし)、なんでもありです。
(ここで重要なのは、相談したり意見を聞く相手は慎重に選ぶべき、ということです。日頃自分が不快だなと思うけれど著名人、とか、いつも自分から搾取しようとしてくるけど愛してるとか言ってくる周りの人を選んでも、傷つくだけの可能性が高いです)
そうして、学びを得ようとした人には沢山の気づきが生まれ、学びになり、そして武器になっていく、と思います。

次に、受け入れる勇気です。
事実をありのまま受け入れるということです。
浮気されたんだったら、「でも何かの間違いかもしれない」とか「こんなやつ最初から嫌いだった」とかじゃなくて、
長い間素敵な時間を過ごしてきたけど、自分の知らないところで裏切っていた。素敵な面もあるけど、裏切るような一面も持っている人なのだ。
と受け入れることが出来れば、じゃあそもそも人間って皆そういうずるさあるんじゃね?とか、自分にも悪いところがあった?自分はこの経験を通してどういう人間でありたいか、どんな風に生きていきたいか…など、また内省の繰り返しになっていったら望ましいことです。
受け入れるというのは難しい。
勇気のいることです。
でもよりよい自分になりたいのであれば、不可欠なんじゃねえか、と私は思う次第です。

長々と書いてしまいましたが、街に飛び出すこと、これを私はやっていきたい次第です。
昔知り合った人で素晴らしい人がいたのでその人のエピソードだけ…。
その人は小学校から不登校になり家に引きこもっていたのですが、19歳の時やばいと思い、地域の若者が集まるサークルみたいなものに所属して、辛いしコミュ障だけど一生懸命全てのイベントに行ったらしいんです。
それで、今はそのサークルで知らない人はいないくらいの有名人で、イベントスペースのオーナーまで任されている…という人でした。
彼が友達を100万人作ったことが素晴らしいのではなく、彼が自分の殻を破って外に出て、「人と関わってみたい」という望みを持ち、それに向かってひたすらアクションを起こした、そして何かしらの結果(推定100万人の友達を得る)を得られるまで挫けず続けたことが素晴らしい、と私は思うのです。
私は自分の中の勇気が萎縮した時、彼のことを思い出します。
そして「街に出よ」と自分に語りかけます。
(もちろん文字通り街に出なくても、自分の望みに向かって走りなさい、ということです)
人や挑戦を諦めるな、街に出て、経験し、学び、傷つき、また不安や孤独感にビビりながら、また街に出よ
って自分に言うのです。

まじで長くなってしまいましたが、私の大好きな人のエピソードをシェアしたかった次第です。
アリーヴェデルチ。

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