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私が私らしく生きるための試練 笑いのカイブツ(ツチヤタカユキ著)を読んで

この本の中古がたったの数百円で買えてしまうんだから、物の価値なんてクソ適当にもほどがある。

noteを書き始めた頃、「なぜ書くのか」の自分なりの答えに辿り着いたことを思い出しました。
絶望を書くため。
自分の絶望を書くためです。
ネットには、明るさでコーティングされた絶望が多すぎる。
数年前、夫に捨てられたけど今はこんなに素敵な男性と再婚出来て幸せですだの、
貯金ゼロだったけど頼れる人に恵まれて企業して成功しましただの、
人前で話しても笑顔しか産まない結果しか公表せず、肝心なドス黒い苦しみは、皆恥入るようにひた隠す。
大切なのは、「私は普通で幸せの人間です」じゃなくて「鼻水でぐちゃぐちゃでゲロ吐いてのたうち回っていたことがあった・今現在そう」ってことなのに。


なぜ、今苦しい、という発信が無いんだよ。
私は今苦しいのに。
自分を捨てて同調する以外の方法で、苦しくなくなる方法を教えてほしい。
誰か一人でも発信さえしてくれていたらそれだけで私は救われるのに。
切実に長いことそう思っていました。

私が本当に読みものを欲するのは(大体の場合)苦しいからです。
すがるような思いで著名人たちの書いた文章をかき集めて読み漁ったけど、結局どいつもこいつもちんこじゃないかとしか思えなかった。
ちんこを振り回して女を道具のように扱い、ちんこを振り回して富や金や権力に縋ってるだけじゃないか。
皆に「あなたはすごい」「あなたに抱かれたい」「あなたはここにいていい」とちゃんと言われているじゃないか。
心ではなく、ちんこを使ってちゃんと居場所を見つけ出しているじゃないか。
どこがどうが苦しいんだ、と。

文豪達を手放しでいいねと言えない私は、アカデミー賞で泣けない私は、きっと勉強が足りず、感性も錆びついたダメな人間なのだ。
そんな私に「普通に見える人間マニュアル」と更なる苦しみを提供してくれたのはInstagram。
そんな私に「生きることに必死でいていい」と示してくれたのは「笑いのカイブツ」だったと言いたい。

本書は、お笑いに自分の存在価値を載せて存在することに必死だったツチヤさんの人生が綴られています。

唐突に一部を切り取りますが、私は下記を読んで、思わず絶叫しそうになりました。

「でも、ホンマはな、オレ、ずっとこう思っとってん。なんでこんなきた仕事、他人に丸投げするような奴にばっかり仕事がきて、オレには一つもけえへんねやろ?って。一つでもオレんところにきたら、絶対ものにしたるのに。どんな奴よりも全力でやんのに。」
(中略)
「お笑い的な努力は、何もしてへんか知らんけど、めっちゃ賢いやん?おまえはな、お笑い的な努力めっちゃしとるけど、めっちゃアホやん?だから、俺の中では、その先輩作家の方が才能あるわ」

「笑いのカイブツ」ツチヤタカユキ著

人に媚びを売ったり、いつも誰かとつるんだり、人付き合いが上手で結果、いつも誰より美味しい蜜を吸っている、
みたいな人が私は心底苦手です。
でも、そういう人だったら、この世界で歓迎されるわけです。
存在していいわけです。
私にとって憎しみと羨望の対象でした。
そして、私はまさにそういう人をパートナーに選びました。
時にはその人と結婚していた時期もあります。
ずっと彼を軽蔑しながら、どこかで尊敬していました。
ずば抜けた対人能力で彼はいつも皆に歓迎され、笑顔の中心にいる。
時には人を騙したり裏切ることだって、うまくやってのけてしまう。
その才能と、そこにかけられる努力が、羨ましくて、憎かった。

一番分かってほしい存在である彼にさえ、
「なんで皆が笑ってんのにお前は笑えねーんだよ」
という顔をされることがよくありました。
大人になってまで不思議ちゃん気取るとか痛いんだよ、すましてんじゃねえよ、つまんねえ奴、空気読めない、そう思われていることはわかっていました。
今思えば、彼といることでより顕になっていく孤独感と彼への羨望があったからこそ、私が私らしく生きるための試練がこんなにも与えられたのかもしれません。
私は、「お前がいると空気が乱れる」と言われるのが嫌で、笑っていました。
ツチヤさんは一時だって笑わなかったのに。
ちゃんと絶望し続けたのに。
ちゃんと悲しくて震えてたのに。怒ってたのに。
私は見ないふりをした。
この本を読んで改めて思う。
ああ、怒っていいんだ、苦しんでいいんだ、のたうち回っていいんだ、絶望していいんだ、と。
別に、どうでもいい空気をいちいち乱してまで、自分を通すことをよしとしたいわけではないです。(そんなのはハリーのいとこ、ダドリーです)
ただ、肝心な時まで、笑ってた私はバカだ。

この本に出会って改めて、なぜ私が文章を書いているのかを再確認させられました。
とにかく発信し続けなければ。
世の中に発信されにくい、この苦しさを、私だけは発信しなければ。
それが誰にも届かなくていい、とも思っていましたが、今は違います。
私には自分の文章を届けたい人が確実にいたことを思い出しました。
私は周り回って自分の文章を自分に届けたいんだと思います。
苦しいのに、苦しんでるのはおかしいね、人生の負け組だねって笑うようなSNSに囲まれて殻に閉じこもっていたあの日の私に届けたいんだと思います。
そしてあの日の私と同じように苦しんでいる誰かに、私も苦しいよって、伝えたいんだと思います。
ということでこれからも自己満ですが書きます。
皆さんも自分に届けたいメッセージはありますでしょうか?
皆さんも無かったことにしている感情はありますでしょうか?

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