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「きっと、大丈夫。悪いようにはなりません。いつか笑って話せます。あなたの寂しかった日々が、誰かを助ける日が来ます」【対岸の家事(朱野帰子 著)】前編

やっべえ本に出会ってしまったーーーーよーーーーーー!!
もう一気に読み上げてしまいました。
主婦の方にはもちろんですが、一人暮らしの方にも、家族がいる方にも、どんな人にも興味深いと思えるポイントがあるんじゃないかなあと思います。
※内容にがっつり触れますのでネタバレ回避されたい方はご注意下さい。

「対岸の家事」(朱野帰子 著)を読みました。

あらすじは、
専業主婦の詩穂が家事や育児に励む中で、
どうしようもない孤独や、家事という仕事が評価されにくい状況に思い悩みます。
その周りで、国家公務員でありながら育休を取得しているパパ、バリバリ働きながらの育児に限界を感じているママ、家族のために尽くしてきたものの、自分が介護される側になって独身の娘に迷惑をかけたくないと思い悩む女性…様々な形の「家事」にまつわる苦しみに、一人一人が立ち向かっていく物語です。

本書に描かれた主婦の苦しみを一言で表した台詞が下記だと思います。

「主婦なんか、どんなに文句言っても傷つかないし、いなくなったりしないものだって、主人は思ったんでしょうね」

対岸の家事(朱野帰子 著)

家族のための「終わりのない仕事」家事が、昔から尊重されないのは何故だろう。
家族が外に出て、刺激的な毎日を送っている間、同じ生活を繰り返すことに耐えながら、皆の帰りを心待ちにしているのに、
誰にも話を聞いてもらえないのは何故だろう。
誰にも評価してもらえないのは何故だろう。
こいつはいて当たり前、むしろ怠けている、養ってやってるのに「家事しか出来ないやつだ」、と思われるのは何故だろう。
この本を読んでいて、私自身が家事に心を殺されていた地獄の日々を思い出して胸がぎゅうーんってなりました。

主人公の詩穂は、学生時代に母親を亡くしてから父に家事を丸投げされ、誰かに当たり前のように搾取されることに嫌気が差して家出した、という過去があります。

母が死んだ後、父が詩穂のために何をしてくれたというのか。
なにも、だ。
父は母が死んだ後も、自分の生活をイチミリも変えなかった。
休みもくれなかった。
母の葬儀の後、詩穂が冷凍のグラタンをレンジで温めて出した時、「こういうのは嫌いだな」と、父は箸もつけなかった。
「外で食べてくる」と、上着を着て家を出ていった。

対岸の家事(朱野帰子 著)

その後、詩穂が結婚して子供を産んだ後、夫の計らいで父を家に招くも、やはり許せなかった、というエピソードが描かれています。
下記は、エリート公務員のパパ友に詩穂の過去を打ち明けるシーンです。
彼は、この時代に自分のキャリアを諦めてまで専業主婦の道を選ぶ詩穂に対して批判的な気持ちを抱いていましたが、それが段々と揺らぎ始めます。

「手伝うって言ったのは嘘じゃなかったのかもしれない。
でも洗い物をしてもらったら、昼ご飯を作ってもらったら、安心してしまって、私にずっしりもたれかかってくる。
やっぱりなあって思いました」
(中略)
「三日目に、出ていってほしいと言いました。二度と来ないでくれって」
(中略)
「親を捨てるのかと言われました。私はそうだと答えました。」
(中略)
「主婦のいなくなった家で、どうか元気で生きてってくださいって」
主婦のいなくなった家で。
その言葉が中谷の心臓を貫く。
ずっと思ってきた。
主婦なんて職業、なくなってしまえばいいのだと。
だから主婦のいない家庭を作った。
それが正解だと思った。
でも、なぜだろうか。
詩穂に突き放された父の衝撃がわかるような気がするのは。
母に命を握られていた頃の恐怖が、いまだに心の奥底にあるのだろうか。

対岸の家事(朱野帰子 著)

家事という仕事が、どれだけ孤独で困難なものなのか、それでいて評価されにくいものなのか、苦い思い出が思い出されるような気持ちがしました。
主婦になら、全力で甘えてもいい。
主婦なんて、つまらないものだ。
主婦なんて、家以外に居場所が無いから、どんな仕打ちをしても、ずっとここにいるだろう。
会社でも学校でも、社会生活の中では、チームワークで一つの目標に向かって取り組む中で、お互いへのリスペクトは必須になるはず。
なぜ、家庭では、チームワークではなくまるで主従関係が築かれるんだろう。

ちょっと話がずれるかもしれないですが、
賛否両論あると思いますし、あくまで私の考えではありますが、(いや全部ワイの考えでしかないんだけどよ)
無償の愛を期待されてたまるか、って思います。
無償で愛が手に入るかよ、なめんなよボケって思います。
無論、私は子供を産んだことが無いので、自分の子供に対しては、そういう想いが発生するのかもしれません、そこは私の知り得ない部分です。
でも、無償の愛があるのならそれは、それを感じる人だけのものであって、それを求めたり期待するのはおかしくない?って思うのです。
昔付き合ってた人に、「彼女なら俺のどんな姿も可愛いとか愛おしいとか思うもんじゃないの?」みたいなことを言われて戦慄が走ったことがあります。
もしかしたら赤ちゃんに対しては生まれるかもしれない、そういう気持ち。
でも、家族だろうが、全員他人やん。
家族だろうと友達だろうと恋人だろうと、リスペクトの気持ちを忘れてまるごとのしかかるなんて、ただの暴力でしかない、と私は思います。
そんな暴力は、誰に対しても許されるべきじゃない。
愛は、お互いの努力の上でしか成り立たない。
私自身の過ちも振り返りつつ、そんなことを改めて、本書から痛いほど気付かされるのです。

文字数やばい…助けて…次回に続きます。

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