見出し画像

アイシャドウパレットを落としたら、ちょっぴり涙が出てきた

何年かに一度、持っている化粧品を一新したい衝動に駆られる時がある。私の場合、そうした時はいつだって今の自分に飽きていて、どこかで新しい自分を探している。

鏡の中の自分の姿が良いようには思えなくなって数ヶ月が経っていた。コロナの流行以来、人と会うことはずいぶん減ったし、販売員をしていた頃のように、誰かに見られているという意識も徐々に減り、これは惚気だけど、夫にはそのままで十分かわいいよと言ってもらえ、完全に気を抜いた結果だった。

鏡に映る自分がだらしなく見える。これは、ダメではないか?私は、年を重ねるごとに美しくなりたかったのではないのか?そう思った時に、アイシャドウパレットをうっかり落としてしまって、中身が粉々になった。たったそれだけなのに、ちょっぴり涙が出てきて、いやもうこれは結構ダメだと感じた。

外に出たとしてもスーパーで、外に出る必要のある仕事は案外泥臭いこともあり、必要最低限のメイク。休みの日でも家でもメイクをする人もいるけれど、私はといえばノーメイクが基本の人間で、むしろ女友達と会う時にこそ気合が入り、そういった場でなければする意味すらも見つけられない。

けれど、メイクが嫌いというわけでもなく、好きだし背筋が伸びてしゃんとした私になれるのが良い。

そう、近頃、このしゃんとした私にめっきり会ってなかったのだ。

しゃんとした私を24時間365日ずっとやるのはしんどいけれど、やらなければやらないで、張り合いがなくてツライ。

そういう地味なストレスが溜まっていることに最初に気付いたのは夫で、化粧品サイトをじっと見ている私に、買ったらどう?きっと気分転換になるよと勧めてくれたけれど、これをつけていく場所がないし見せる人がいないからと、自嘲気味に笑った。

けれど、とうとう粉々になったパレットの中身を夫が見て、さすがにこれは新しいのが必要だよと一緒に新しいメイク道具を探しに出てくれた。

久しぶりにデパコス巡りをして、店員さんにメイクしてもらって、私は生き返った。その日は何度も何度も、似合ってる?と夫に聞いた。家に持って帰ってコンパクトを開けてうっとり眺め、買ってよかったなと何度も思った。

いつもなら選ばないようなちょっと難しそうに見える配色パレット。でも、新しいメイクが連れて行ってくれる場所があるような気がして、それを選んだ私に力を感じた。

私にとってメイクは武装なのだ。さぁ頑張るぞ!って気持ちにしてくれる。
しゃんとした私がどこを歩くのか、いつものゆるゆるの私がとても楽しみにしている。素敵なアイシャドウを見つけたから、きっと素敵な時間がくると思うのだ。





この記事が参加している募集

サポートありがとうございます!めちゃくちゃ嬉しいです!