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第231号『最初の10年の仕事の仕方②』

前回の記事があまりにも反響があったので続編記事を書くことにしました。

“最初の10年”というのは“どんな業種であれ”という意味が含まれています。

それがゲームクリエイターであれイラストレーターであれ声優や役者であれ、誰にでも“最初の10年”は存在します。

今回は(も)ちょっと後半でヤバ目の内容を記事にするので前半はなるだけマイルドに展開していきたいと思います。

“企業に入って1年目”とか“フリーランスのイラストレーターとしてやっていこうと思っている人”や“声優として事務所に所属して2年目”などの皆さんに少しでもお役に立てる情報をお届けできればと思っています。

今から25年くらい前のゲーム業界は現在と違ってまだ法律もそんなに整備されていなくていわゆる(今だと)“ブラック企業”と呼ばれるような会社や働き方をする人たちだらけでした。

というか、100%“そう”でした。

かくゆう有限会社サイバーコネクトも同様でした。

1996年設立当時なんかは特に酷かったですね。

朝は誰も会社に来ない。

みんな出社時間はバラバラ。

ゲームやったり漫画読んだり遊んでるのか仕事をしているのかがそれこそわからない・境界線が非常にあいまいな時代でした。(あ、誤解が無いように言っておきますがこれは別にウチだけの話ではないですよ?当時のゲーム会社はどこもこんな感じだったのです)

結局そうやってダラダラしてるから夜遅くまで残って仕事するハメになるのか、遅くまでやってるから朝に起きれず出社時間が遅れるのか、もうニワトリが先かタマゴが先かわからない状態でした。

一般的な企業(コンクリート会社)からやって来た私の目から見ると、あまりにも状態が酷かったので当時のスタッフに提案して少しずつルールを決めていきました。

“朝は9時から・夜は遅くとも23時まで”

“23時まで”とか言ってる時点でアウトな感じがしますが、あくまで“当時の話”ということでご容赦ください。

お昼ご飯の時間も“ピーク(混雑)時間を避けたい”という理由でみんなバラバラにとっていたのですが、それも明確に“12時から13時まで”と定めました。

みんながバラバラにいなくなる(お昼ご飯に行くと)と、午後からプログラマーにデータの確認をしようとしても“あ、〇〇さんはお昼ご飯に行きました。え?戻る時間ですか?わかりません”というようなことが多くて(イライラもとい)効率が悪かったからです。

こうして様々なルール変更によってだいぶ会社自体の稼働時間の統一は行われていきましたが、やっぱり残業の仕方はエグかったですね。

あ、はい、主に私自身が。

会社があったビルは現在の福岡本社とは違う場所でしてちょっと古いビルでした。そのビルはちょっと変わっていて規則で23時30分にはシャッターが降りてしまい“内側からも外に出られなくなってしまう”仕様でした。シャッターが開くのは翌朝の6時です。だから“遅くとも23時までには帰ろう”というルールにしていたのですが、私は23時過ぎに一度会社を出て下のセブンイレブンに行って夜食を買って戻って朝まで一人で仕事をしていました。

この頃の私は“たまにこんなことをやってました”ではなく“毎日”そういう働き方をしていました。

何故かって?

“勝ちたかったから”

答えはシンプルです、それ以外にありません。

じゃあ“誰に?”

“(当時の)スクウェアやエニックス、コナミ、ナムコ、コーエー、テクモ、セガ、トレジャー、アスキー、コンパイル、といった他ゲームメーカーに勝ちたかったからです”

当時のサイバーコネクトの社風は(前の社長の方針もあって)

“自分たちの身の丈に合った仕事をしよう。我々は10人程度のスタッフしかいない会社なんだから、100人規模で作ってるようなスクウェアの真似をしたってかないっこないんだから。自分たちで出来ることをコツコツとやっていこう”

というものでした。

正直、私は(今でも)この当時の社風が大嫌いでした。言ってることは正しいと思います……ええ、思います、が。

“じゃあ、いつ勝つんだ?”

同時に(常に)“そう”感じていました。

“だって10人で作ろうが100人で作ろうが、それらの商品(ゲームソフト)を手に取っていただくお客様には何の関係も無いんだから”

“棚に並んでいる5,800円のゲームソフトを手に取るお客様は「この会社は10人で作ってる割には頑張ってる方だよな、よし買ってやるか」とは決して思ったりしないんだから”

“ファミ通をみんなで読みながら「やべぇ!『ファイナルファンタジー タクティクス』めっちゃ凄そう!面白そう!絶対買う!」じゃねえんだよ。なんで自分たちでその「絶対買う」って言いたくなるようなゲームを作ろうとしないんだよ”

“「やろう」って思わないと辿り着くことは絶対にないんだよ”

そう思って一人で何年も何年も会社に泊まりこんで人が作ったデータを順番に上書きし続けていました。

“もっとクオリティ高く出来るはずだ、出来る、出来るんだよ”

“小さい会社が「そこそこでいい」なんて言ってたら一体いつになったら逆転出来るんだよ、そんなオレ達だからこそ「諦めが悪い」ってことしか武器は無いんじゃねーのかよ”

頭の中は“怒り”でいっぱいでした、それは同僚や先輩に対してということではなく、そうした“小さな会社で何の実績も無い惨めな自分たち”に対するモノでした。

まぁもちろん若かったこともあってその“怒りのパワー”で私はメキメキと実力を付けていってまたそれは同時に“自信”へと繋がっていきました。

今となっては“昔懐かしい思い出深い話”です。

こうして私は自分自身で実力を身に付けていって自信を持てるようになった後に、転機が訪れて代表取締役となりサイバーコネクトツーが(装いも新たに)誕生するのですが、それはまた別のお話という事で。

当時のサイバーコネクトの“データ上書き事件”の真相などを綴った漫画『チェイサーゲームZERO』が収録された本『ぼくらのチェイサーゲーム』はこちらで紹介されています。良かったら読んでみてください。

また当時の有限会社サイバーコネクトからサイバーコネクトツー誕生の物語はこちらの本で全貌を確認することが出来ます。良かったらコチラも読んでみてください。

さて、ここからの後半戦は前回の記事『最初の10年の仕事の仕方①』の有料部分の続きとなります。

【過去にあったクライアントからの理不尽で無慈悲な要求とその対処法】をご紹介したいと思います。(決して特定の会社の悪口ではありません。世の中にはこんなこともあるというケースを知って学んでいただくためのエピソード紹介です。そうだ、なんならウチの話ではないです、どこかの会社の人から聞いた話という感じで紹介していきます。これなら誰も傷つかない)

それではハリきっていきましょう!

じゃあオマエはいつ勝つんだ?②理不尽の攻略法

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