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続・追いかけあう手



私は、彼のことが好きなんだ。そして、彼もまだ私のことを好きでいてくれている。
追いかけあう手は、私の甘い妄想。
追いかけているのは私だけ。




あれから4ヶ月。
身を斬るような風と共に、街の雪はどこかへ消えた。空は青く澄み渡り、春の陽気が身体を包む。
日用品の買い出しを済ませ、午後からの約束に間に合うように足早に道を歩いていた。
そこで、ふと目に止まった一件の店。

正確には、店の中の一枚の絵。

あの絵だ。あの雪の日、フリーマーケットで見かけた二本の手。あの絵は売らないって言ってた。てことは。


・・・


開いたドアのベルが、カランコロンと楽しそうな音を立てる。入り口には観葉植物が置かれ、ジャズが流れる。全体的にシックな店の壁には、様々な絵が飾られている。カウンターの向こうに、あの女性店主がいた。

『いらっしゃいませ。あら、あなたは…』

私はぺこりと頭を下げた。

『久しぶりね。とりあえず座って?』

荷物を床に置いて上着を脱ぎ、カウンターの席につき、メニューに目を通す。苦いのは苦手だ。私はオレンジジュースを注文した。
そして、何か不安を抱えているかのように、店内をキョロキョロと見渡した。客は私以外にはおらず、たくさんの綺麗な絵達が私を見つめ返す。
てっきり絵描き一本で生活しているのかと思っていたから、カフェを経営しているのは少し意外だった。

ぽかんとした私の表情を見て、女性店主は笑顔で話してくれた。

『見ての通り、カフェをやってるの。夫と2人でね。絵だけじゃ生計は立てられないから。』

女性店主はくしゃっと笑う。

『でもね、この仕事もすごい好きなの。壁に飾った私の絵が、私の世界を彩っている。そんな気がしてね。いいものよ、好きなものに囲まれた生活って。あなたはどう?』

私はふるふると首を横に振った。私を囲むものなんて、通勤電車の暑苦しいサラリーマン達と、ビジネスの関係以上でも以下でもない同僚達、取引先。休みの日は基本的に家から出ない。

『そっか。でも、そんな人が大半だよね。夢や目標なんてすごいものじゃなくてもいい。ただ何か一つ好きで続けているものがあれば、その為に色々頑張れるんだろうけれど、それすらない人はたくさんいると思う。
何の為にお金を稼いで、何の為に生きてるんだろうって。ただ生きる為に働いてる人ってきっと、辛いだろうなあ。』

『その点、私は幸せだよ。好きな人と、好きなものに囲まれて。お金はないけれど、欲しいものはもうあるから。なんてね。』

欲しいもの。
欲しいもの、か。

『欲しいものと言えばさ、あなた前にフリーマーケットであの絵を見て言ったよね。追いかけあう手!
あの解釈は後にも先にもあなただけなのよ。どう?あなたが追いかけていたもの、向こうもあなたを追いかけててくれた?』


私は再び、ふるふると首を横に振った。


『そう…それは残念だったね…』


その通り。甘い妄想は、甘い妄想でしかなかった。


・・・


あの日電話をかけたあと、彼と一度会うことになった。
会って最初に言われたことは、よりを戻すことは考えられないということ。これからは友達として接して欲しいということ。

私はただ一言、わかったと伝えた。

なんとなくわかっていた。もう戻れないということに。だからあの日、雪は私に向って吹いていた気がしたんだ。

その後は2人で焼き鳥屋に入り、ベロベロになるまで飲んでしまった。
今まで散々言ったこと、今まで言えなかったこと、たわいのない話、真剣な話。
私達はずっと笑っていた。周りの客はきっと私達を鬱陶しく思っていただろう。それぐらい楽しかった。
もしかしたら付き合っていた時以上に、笑顔がぎゅっと圧縮されたような時間だった。色んなしがらみや思いを捨て去った2人はいつまでも笑っていた。

帰り際、私達は固い握手を交わした。
白くて弱々しい小さな手。だけども、いつも強く握り返してくれる手。とても暖かい。
私が思い描いた繋ぎ方ではなかったけれど、また彼の手を握ることができた。それだけで十分だった。
そこにあったのは、恨みでも悲しみでも妬みでもなく、唯々純粋なありがとうという気持ちだけ。


・・・


『そう、そんなことがあったのね。素敵。』

女性店主は私の話に聞き入っていた。オレンジジュースの氷はすっかり溶けてしまっている。

『もう一度掴めたんだね、追いかけてたものを』

私は首を縦に振った。

『なら、良かったじゃない!前を向いたあなたなら、次の恋なんてすぐ見つかるわよ〜
それとももしかして、もう次の相手がいたりする?』

私は少し首を傾げた。いたずらっぽい笑みを浮かべながら。

『あ〜っ、その顔はさてはいい感じの人がいるな〜??
今度はちゃんとしっかり掴んで、離さないようにしないとね。』

私は笑いながら壁にかかっている時計を見て、サッと血の気が引いた。
約束の時間までもう残りわずかしかない。なんとしても一度家に戻って荷物を置いてこなくちゃいけないのに。
私はすっかり味の薄くなったオレンジジュースを喉に流し込み、大急ぎで会計を済ませた。

『あんまり走ってこけちゃダメだよ。
あなたの話、やっぱり面白い。よかったらまた来てお話聞かせてね。』

私は店主にお礼を言って、店を飛び出した。
空は相変わらず晴れていて、若干日が傾きかけている。
ニューバランスの靴紐を締め直し、私は大急ぎで駆け出した。

春の夕陽は、私に向って降り注いでいる。



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