ピク・ニケ

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最近の記事

詩を書くことをやめないで  

いつもの朝 クローゼットを開いたら 似合う服なんか 本当はひとつもないって気づいて  夏至の長い一日を ベッドに座って過ごしたね ジョギングをやめて 会社をやめて 結婚をやめて  もう やめるものがなくなってしまって  降りそそぐ日差しが 噴水に乱反射する見ていたね だれひとり来なかった ホームパーティ 自慢のイタリアンが冷めていくのを  ワインを抱いたまま ただ眺めていたね この世界から出ていけばいいんだと気づいて 午前三時 国道の熱いアスファルトに  裸足で飛

    • 高速道路

      わたしを産まなかった母と ばったり会った 母がわたしを産んでいないので わたしは存在しないのだが ともかくも 母とわたしは ばったり会った 「八月だもの 高速道路をみたいわ」と母 「高速道路をみるなら 八月ね」とわたし 八月の高速道路をみるなら 純喫茶に限る 純度の高い空気 純度の高い照明  純度の高い硝子窓から 純度の高い高速道路がみえる 左車線に 白いくるまの列が 遠く長くつづいている 「遠くに帰っていく道なのよ 左は」とわたし 右車線に くるまの列はない ただ陽

      • ボウリング

        わたしを産まなかった母と ばったり会った 「せっかくだから、ボウリングに行きましょう」と母 母がわたしを産まなかったので  わたしは存在しないのだが ボウリングにはまったく不便がない 「ひとつの球を、交互に投げるのよ」と母 「まっ赤な球を、交互に投げるのね」とわたし 母が投げても わたしが投げても まっ赤な球は まっ黒な溝に ごろごろと落ちて  まっ黒な溝から まっ赤な球が ごろっと戻ってくる  「こういうこと、何かにたとえて語るひと、嫌いよ」と母 「何かがわかったように

        • コメディアン

          冬の朝 だれかが 言い出した さいきん コメディアンを見かけない たしかに 劇場でみかけない そういえば 顔を見ていない ほんとうは 顔を思い出せない あんなに人気者なのに だれも 舞台を見たことがない みんなの人気者なのに だれも サインを持ってない ほんとうは 名前も憶えていない ひとりで座っていた 公園のベンチ だれも 座りたがらない だれも 百合の花を置かない だれも 森の暗がりを探さない ほんとうは だれもが 気づいてた ずっと コメディアンを見かけない

        詩を書くことをやめないで  

          みずの記憶

          あのとき あの森で  まぶしくまっさらな雪だった 冬眠からめざめた子キツネが 小さな足跡をつけていった 今朝はじめて鉄砲を手にした猟師が 足跡を追っていった 国境をまたぐ森には おびただしい地雷が埋まっていた あのとき あの島で  土の匂いをまとったサイクロンだった 収穫前の熟れたパパイヤは みな地面に叩きつけられ 雨あがりの朝 黄緑の果肉に蟻がむらがっていた 夏が終わる頃 農家の長男が少年兵となって島を出ていった あのとき あの町で 古井戸の底に湧くひんやりとした地

          みずの記憶

          地下鉄

          昨晩の最終列車が落としていった切符が 車両基地の外にすべて掃きだされれば トンネルの暗闇は 清潔でまっさらになる 全車輛がいっせいに点灯して   きょうも 世界は定時に始まる  清潔な下り勾配は きょうも二十三度  左へカーブの軌道は 非の打ちどころがない 先頭車両の視界に始発駅  純度の高い透明な光に包まれた とき 男   眼鏡をかけた男 あ、のカタチで唇がひらいた男 衝撃  運転席のガラスにひびが走る  車輪が何かに乗り上げる トンネルは清潔ではなくなり  暗闇は

          皆既月食

          コンビニから機動隊員が出てきて 迷彩色のバスに乗り込んでいく  一列に並んで おんなじ弁当とおんなじお茶を持っている きみたちのお茶は伊藤園だけど  ペットボトルはうちの会社がつくっているんだよ 公園で 午後四時の昼休み  人事部のオーダーで採用ホームページを急遽さしかえたからだ 「プラスティックメーカー」の文字列があるとエントリーが激減するらしい 皆既月食 たぶん見られない  ホームページの改修 実はまだ終わっていないんだ 師匠が 社長と警察に行ったきり帰ってこない

          ちいさきものたち

          二度と抱きしめられることがない ぬいぐるみ 白い粒が沈んだままの スノードーム あちこち歯形がついた 鍵盤ハーモニカ ガムテープで蓋をされた段ボールの闇のなか ちいさきものたちは 閉じ込められた二十年前の空気の底に横たわっている 二十年後のきみは軍服を着て ぬかるんだ山道を何時間も歩いている 雪の乱反射で視覚が飛ぶ 寒さで指の感覚が失われていく  旧式の機関銃は重い 爆発音 焼け焦げた臭いがする 駆け出してしまう つまずく 躰が投げ出される 泥水の味がする 内側で何か

          ちいさきものたち

          スーパーマーケット

          りんごは バラ科サクラ亜科リンゴ属の落葉高木です ひとに原罪を背負わせた禁断の果実とされていますが 聖書の主な舞台となった古代メソポタミアに  りんごの樹はありませんでした わけあり品なら 5㎏で箱入り3480円です すずらんは キジカクシ科スズラン亜科スズラン属の多年草です 花言葉は「純潔」「謙虚」「幸福の再来」です 花と根にはコンバラトキシンという毒があり おさなごが口にすると死んでしまいます 苗は ポリエステルの鉢とセットで2400円です ぶたは ラクダやクジラと同

          スーパーマーケット

          人質

          人質であることさえ許容すれば 毎日は心地よく過ぎていく 監禁小屋は ひとりには十分すぎる広さで 世界とは つねに格子窓の正方形だ  はるかな波のどよめき かすかな潮のかおり  正方形の西陽がつくる 遠い王国の影絵芝居 それらは適度にとおく 適度にやさしかった 「期限までに要求が満たされなければ、人質は死ぬ」 期限も要求も書かれていない犯行声明 死んでも 誰も困らないひとは 人質になれないが 死んだら 誰かが困るひとだけが 人質になれる いつかは期限がくる そしてたぶん

          檸檬

          突然のスコール  街の空気が藍色に染まっていく  きみが雑貨屋に駆け込むと 店頭はセール品の傘の山 そのなかで 気がかりな檸檬色の傘を引き抜いたとき きみは直感する 死んだら 檸檬色の傘に うまれかわるのだ 気が付くと盗んだ傘をさして  行くあてもなく歩いている きみ ふと立ち止まった陸橋 下界を見下ろせば  藍色の水底 奔流となって行きかう  特急 急行 快速電車  きみが 戯れに傘を手放すと 傘は ゆっくり ゆっくりまわりながら 藍色の空気に落ちていく 警笛

          砂浜

          バスがとまった 窓から差し込む光が白い ふたりが目を覚ましたのは 埠頭の停留所  どうせ天国には行けないなら  せめて海でも見ようか なんて たがいに笑って言い訳したくなるほど ありきたりな 夏の ありきたりな 快晴  ありきたりな 静けさのなか カバンひとつ持たず 手をつないで砂浜を歩きだす ふたりが目を閉じたのは 午前五時の三番ホーム  ありきたりな 始発電車の入線 ありきたりな 警笛 ありきたりな 金属の摩擦音 カバン 名前 長い長い冬の夜  重たいものは ぜんぶ 

          移動遊園地

          移動遊園地が やってくる 誰のテントにやってくる 地吹雪が鳴る真夜中に あやめた敵の横顔に 息子の面影みたひとの 瞳を閉じれば 夏至まつりの午後  廻る廻る メリーゴーランド 廻り続ける コーヒーカップ いたみも さむさも にくしみも  息子の名前も 忘れるまで  廻り続ける観覧車 遠くにひまわり畑がみえる 移動遊園地は その夜かぎりの遊園地 いつか 瞳は開かねばならない 火薬の匂いで 目覚めなければならない 今夜も 誰かのためだけに 移動遊園地は やってくる

          移動遊園地

          黒い海に船出した者は 誰ひとり戻ってこなかった 自分達が 敵と呼ばれているとは知らされず いてついた油まみれの海に 船は沈んでいった わたしは 海を見たことがない わたしは 世界を知らない 赤い森に分け入った者は 誰ひとり戻ってこなかった ニガヨモギの毒が埋められているとは知らされず 雪の上で斃れていった者たちは 無知な敵だとそしられた わたしは 人が死ぬのを見たことがない わたしは 世界を知らない 陽光をあびる白樺の並木道  ぬかるんだ泥が おろしたての靴を汚してい

          地下室の窓から

          「また光った。こんどは教会のほうだ」 ――――こんどのは、大きかったね。火柱があがってる。 「讃美歌、すきだった。司祭さまは嫌いだった」 ――――司祭さまの説教は長かったね。何か憶えてる? 「光あれ、と神が言った」 ――――すると光があった。よく憶えていたね。 「光ができるまえに、光っていう言葉があったの?」 ――――そうだよ。最初に言葉があった。 「静かになったね」  ――――オオカミの遠吠えも聞こえない。暗くなって、寒くなってきた。 「終わった

          地下室の窓から

          もうこの星に雨は降らない

                            いちばん最初は傘でした 冷たい雨の登校時間 こうもり傘に 青い傘 透明な傘 紅い傘 子どもたちの手を離れ  空へと ふわりと昇っていくと 急に からりと晴れました つぎは魚たちでした スコールの熱い雨に逆らって 極彩色の熱帯魚  きんいろ ぎんいろ うろこを光らせ 踊るように飛んでいき 空は からりと晴れました ペンギン あじさい カタツムリ  まいにち 雨は 誰かに降って まいにち 誰かが 飛んでって 誰もが みんな 空になり そのた

          もうこの星に雨は降らない