春
黒い海に船出した者は 誰ひとり戻ってこなかった
自分達が 敵と呼ばれているとは知らされず
いてついた油まみれの海に 船は沈んでいった
わたしは 海を見たことがない
わたしは 世界を知らない
赤い森に分け入った者は 誰ひとり戻ってこなかった
ニガヨモギの毒が埋められているとは知らされず
雪の上で斃れていった者たちは 無知な敵だとそしられた
わたしは 人が死ぬのを見たことがない
わたしは 世界を知らない
陽光をあびる白樺の並木道
ぬかるんだ泥が おろしたての靴を汚していく
澄んだ雪どけ水が 勢いよく側溝を流れ
凍えたキツネの死骸を運んでいくのが見える
わたしは 世界を知らない
春が世界を美しくするというのが本当なら
ここは世界ではない
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