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ボウリング

わたしを産まなかった母と ばったり会った
「せっかくだから、ボウリングに行きましょう」と母
母がわたしを産まなかったので 
わたしは存在しないのだが
ボウリングにはまったく不便がない
 
「ひとつの球を、交互に投げるのよ」と母
「まっ赤な球を、交互に投げるのね」とわたし
母が投げても わたしが投げても
まっ赤な球は まっ黒な溝に ごろごろと落ちて 
まっ黒な溝から まっ赤な球が ごろっと戻ってくる 
「こういうこと、何かにたとえて語るひと、嫌いよ」と母
「何かがわかったように語るひと、嫌味ね」とわたし
 
母が産んだほうのわたしは 
義眼づくりが盛んな遠い国に住んでいる
「相変わらず、義眼、つくっているのよ」と母
「つくっているのね、義眼」とわたし
母は 存在するほうのわたしに もう十年 会っていないらしい
存在しないわたしのほうが ちょくちょく母に会っている
「義眼では、見えないのよね」と母
「見えないのよ、義眼では」とわたし
「義眼をつけても、義眼をつけてようには見えないのよね」と母
「義眼に見えないようにつくるものなのよ、義眼は」とわたし
視線を発しない義眼 視線が通過する義眼 
存在を気づかれないために存在する義眼 
存在するわたし 存在しないわたし
「なんだか、哲学くさくて、いやね」と母
「ちょっと、文学めいて、いやね」とわたし
 
気がつくと 
母とわたしの 真っ赤な球が返ってこない
待っても 待っても
まっ黒な溝から ごろごろ ごろっと返ってこない
「ボウリングって、なぜか さみしくなるものね」と母
「どうして さみしくなるんだろうね ボウリング」とわたし
さみしくなる理由 
ほんとうは 母もわたしも知っていた
「また、やろうね、ボウリング」とわたし
母はこたえなかった
わたしを生まなかった母 母が生まなかったわたし 
 
母には あれから一度も会っていない

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