せつさんのどろだんご日記

中二病全開です。

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最近の記事

話を聞いてもらいたい人

最近、私は人に思ったことを話せないでいた。聞くことばかりで、話すタイミングを完全に見失っていた。 聞かされてばかりで、って思うくらいには聞くことにうんざりしかけていたなと思う。 そんな時に出会ったある男性から、たくさん質問されて(主に恋愛とか)わたわたしながら答える自分にどこか不甲斐なさと安堵を覚えていた。初めは、というか今もなんとなく胡散臭い人だな〜と思いながらも食事に誘ってしまうのは彼が質問してくれるからだと気づいた。しかも長めに答えたくなるような、踏み込まれて一瞬考え

    • 居場所をもらって

      人生は不思議だ。不思議すぎる。 自分が願ったこと、割と叶ってる。 もうあんまり欲しいものも、やりたいこともない。と、今は思っている。 今を思いっきり楽しもう!!!みたいな気持ちが最近あまり湧いてこない。 ただただ一緒にご飯を食べてくれる友人がいて、話をきいてくれる友人がいて、生活を維持できる仕事があって欲しいものが買えたり買えなかったりする。それでいい。 これ以上って何があるのか、、今ひとつピンとこない。うまく頭がまわらない。 これからも何も変わらなかったらいいのにな、

      • だから才能って言葉が好き

        世の中にはすごい作家先生がたくさんいる。 「文字」という媒体を使って、私達の複雑怪奇な内面を表現してくれたり、空想上の世界へ連れて行ってくれる。映像を見せてくれる。気持ちを追体験させてもらえる。 神様から特別に特定の事象を表現するための文字コードを教わっていて、それを人間の言葉に訳している人たち、みたいな感覚の人達。そういう言葉を知っている人達の本を読むことはちょっと神秘的な体験だとすら思う。 だから(口が悪くて申し訳ないけれど)憧れの作家が多少スピリチュアルがかってい

        • どうせ慎重派なので。

          私はこれまでお堅い道を歩んできた。 手に職つけて、でも公務員になって、地元に就職した。 これは紛れもなく私が私の意思で選んだ道だ。 やりたいことがあって、それが叶いそうな場所に私はいる。すごく楽しいかときかれればわからない日もあったけど、今は楽しい。 やりたいことをやりたいようにやってきた。 みつけてくれる人もいれば、しらんふりする人もいる。 一人でやっている時はそれでもよかった。いじめられたり、嫌みさえいわれないなら全然よかったのに、規模が大きくなると途端に人を巻き込まな

        話を聞いてもらいたい人

          ちょっと自由になれたかも

          ここ最近の1番の変化は実家をでたことだ。 ずっとずっと口では一人暮らしをしたいと言いながらも、お金のことや、仕事とのバランスを思ってできずにいた3年間。 それはそれで楽しかったのだけれど、いよいよ生活をちゃんとしたくて、自分の力で頑張りたくて、自分で家を決めて住んでみたくて、願いを自分で叶えたくて、引っ越してしまった。 掃除機なんて自分でやらないからルンバを、洗濯は大嫌いだからドラム式を、、なんてちょっと頑張って初期投資したらやっぱり費用がかかってしまって少し凹んだけど、後

          ちょっと自由になれたかも

          逃避のなかにいる。

          私は今、逃避のなかにいる。 実家暮らしに甘えて遠方の友人達の元へ遊び回ったり観たかった演劇をみて、みたかった映画をみている。 でも時々、どうしようもなく虚しく寂しい気持ちになる。この生活が永遠ではないこと、いつかはみんな結婚して家庭を持って私を忘れてしまうんだろうな、両親は老いてしまって、そしたら私は、、、。 ちゃんと現実に戻らなきゃという自分と、まだあとちょっとだけ、、、と甘える自分。 都会に何回もでて、私が確かめているのは、確かに私の生きる場所はここではないなということだ

          苦手なことからちょっと逃げてみる。

          最近、なんとなく、自分の人生において大切にしたいものがわかってきた気がする。 なんていうか、この辺が潮時・・・かな。みたいな気持ち。 今より遠い所に行くことはないし、これ以上はないのではないかなという予感。諦めているといわれればそれまでだけど、自分自身が受け入れられている事実が私のなかで確かに大きいものになっている。 たぶん私は、恋愛にすごく人生の喜びを見出せないタイプだと思う。それを人はまだ本気で人を好きになったことがないからだ。とかいうけれど、たぶん劇的なスピードで、

          苦手なことからちょっと逃げてみる。

          わかりみが深いことこの上ない。

          私は枕草子が好きだ。清少納言さまが好きだ。古文に詳しい訳ではないが好きだ。彼女の無自覚を嫌悪し、自覚があればまあよしとしてやる、みたいな姿勢が好きだ。 なぜ私が古文が好きでも教養があるわけでもないのにこのようなことがいえるかというと「枕草子REMIX」という枕草子における清少納言の考え方や心の有様をわかりやすく解説してくれている書物を読んだからである。 清少納言さまはブスが嫌いらしい。あと服がダサい人と身分がひくい人もたいそうお嫌いな様子であった。とても辛辣である。でも嫌い

          わかりみが深いことこの上ない。

          置き換わっただけ。

          私はどうやら自分がやりたいと思ったことが実現する瞬間が好きだ。 だから旅行が好き。やりたいこと・食べたいもの・見たいと思った景色をみるために計画をたてて、友人といく。 観劇も好き。観たいと思った公演のチケットをとって、現地に向う。 純粋にそのものが好きという気持ちよりは、自分の意思のもと行動できていることが何よりも嬉しいのだと思う。 中学2年生の頃より自分日記をつけて10年。自分のことを考え、向き合ってきた時間が長すぎるせいか、心の関心事は気がつけばいつも自分中心にまわって

          捨てられない気持ち。

          私の人間関係は過渡期を迎えている。 というか迎えていた。気づいたのが遅かったのだ。大学時代とまったく同じ仲間なんてできないとわかっていなくてもがき続けた2年間。 いろんな人と話して、遊ぶ会を企画して、と過ごしてきたつもりだった。でも、気づいたら連絡とりあい気軽に遊べる友人は結局大学時代の友人を除いていなくなっていた。 大学を出て、地元に帰ってきた2年間、私は一体何をしていたんだろうか。少し、人脈、人脈、みたいに躍起になっていた自分もいたと思う。なんかイタくて恥ずかしい。でも

          捨てられない気持ち。

          誘われ待ち如何。

          納得できない。 私は友情は、相互作用でありたい派だ。私がもたらすものと相手がもたらしてくれるものだと思っていた。 誘われたら誘いかえしてくれる、次の空いてる日を尋ねてくれる、ものだと思っていた。少なくとも大学時代までは。 私だって一応わかったつもりではいるのだ。社会人になったら当然遊べる時間が減ってしまうことも、友人とも今まで通り会えなくなってしまうことも。もう大学時代のような友人関係の維持にはお互いに努力がいることも。 でも、それでも私は田舎に帰って、大学時代の人間関係

          近づいて欲しいけど、誰もこないでほしい。

          わたしはすごく我儘だ。 人と関わりたいけど、1人がいい。 人として好かれたいけど、恋愛感情は抱いてほしくない。 なんか我儘だ。矛盾してる。苦しい。 気づけばずっとそう思って生きてきた。自分から近づきたいけど、同じように好かれるとちょっと引いてしまう。 誰も私に踏み込まないでほしい。と心の中で叫ぶことがある。誰も踏み込んでなんてきていないのに。でもとても人に会いたい日もある。 そんな時に、ふらっと会いに来てきてくれるとすごく嬉しい。 でも、私を1番にされても困る。返せないよ

          近づいて欲しいけど、誰もこないでほしい。

          言葉が慎重すぎやしないか。

          最近、というほど最近ではないけれども、SNSになにか書き込む時、()とか、※とか、ただし書きみたいな文面を入れることが多い。自分がなにかを発信するとき、受け手が自分のニュアンスや価値観を受け入れてくれなかった時の保険だ。 言葉のみで伝えることは、誤解も、無知も、表現の誤りも、ド正論も、なにもかもが炎上のリスクだから。 特にTwit〇〇とかTwit〇〇とか...事あるごとに発言ひとつで袋叩きに合う人たちを私は見てきた。ひとがどんな色メガネをかけて人生を生きているかなんて私たちは

          言葉が慎重すぎやしないか。

          でも、やっぱり恋愛が気になる。

          自分の恋愛には自信がない。だから自分のなかでの優先順位は低い。でも「恋愛ってそんなに大事なことですか?」(※前回記事)とかいいつつ、Amazonで○チェラーはしっかり観てるし、しっかりハマる。友人の恋バナも好きだったりする。彼は○○な人だから~みたいな本人の主観的事実よりも、○○観に行ったとか、こんなこと話したといった客観的事実を聞くのが好きだったりする。うまくいえないが、そういう話には二人の関係性が垣間見える気がする。 同じ理論でアイドルも好きだ。 彼らのステージでのパ

          でも、やっぱり恋愛が気になる。

          恋愛ってそんなに大事なことですか?

          もはやこじらせ女子代表格みたいな発言で笑えるタイトルなのだけど私は至って本気で思っている。 やっぱり恋愛は私の人生の優先順位でいうと低い、というか恋愛では私の欲しいものは手に入らないのだ。 人を理解したいし、理解されたい。 でも人間やその心理に興味があるのであってその人のことを特別大事にしたい訳ではなかったりする。ここが問題だと私は思っている。 私は"特別"が苦手な女なのだ。 平等に接することは得意だったりするのに、特別は苦手だ。だからグループで連んだり3人で行動する方

          恋愛ってそんなに大事なことですか?

          たぶん今でもこじらせている。

          彼氏ができた。実家の田舎暮らしで出会いなんて諦めてて、人の力に頼ってお見合い結婚しようと思っていたこの私にもついに春が・・・!といいたいけれど、なんとなく、後ろめたい。ちゃんと恋愛しているかといわれたら自信ない。 形上は恋人だけど、恋をしているかと問われたら自信がない。恋人なんてかっこいい響きが恥ずかしいくらい、ライトな関係だと思うし周りの恋愛からしたらあまりにも子どもっぽすぎる気がしてる。 人と比べるものじゃないよ!ってよく言うけどやっぱり昔みてきた漫画とか近くにいる人

          たぶん今でもこじらせている。