誘われ待ち如何。

納得できない。
私は友情は、相互作用でありたい派だ。私がもたらすものと相手がもたらしてくれるものだと思っていた。
誘われたら誘いかえしてくれる、次の空いてる日を尋ねてくれる、ものだと思っていた。少なくとも大学時代までは。

私だって一応わかったつもりではいるのだ。社会人になったら当然遊べる時間が減ってしまうことも、友人とも今まで通り会えなくなってしまうことも。もう大学時代のような友人関係の維持にはお互いに努力がいることも。

でも、それでも私は田舎に帰って、大学時代の人間関係から少し離れて新しい場所でそういう関係を築けるものだと思っていたし、期待していた。
でも、この一年で悲しい事実に気づいてしまった。私が社会人になって出会った同年代の友人の多くが

「自分から連絡をとって私を誘ってくれない。」

もうすっっっごく悲しい。こんな悲しくてみみっちいことを気にしている自分が恥ずかしい、恥ずかしいけど、ふとした瞬間にかすめるこの気持ちを自分一人で抱えることは精神衛生上あまりよろしくないのではないかと思ったのだ。それくらい私は繊細なメンタリティーなのだ!このままでは心の特級呪物と成り果てる。いってしまえばこんなもの!!!精神で書き殴り捨てようという儀式にすぎないのだ。(だから優しい気持ちでみてねと言いたい。)

そもそも半年前、私は人を誘いまくっていた。週末よろしく、平日の夜もごはんにいかないかと声をかけていたりした。

同じ職場の同期とは同級生会を主催してみたり、BBQに誘ってみたり、ボーナスがでたらみんなで買い物会と称してアウトレットに誘ったりした。自分の期待する仲良し同期がほしかった。大学時代みたいに、なんとなく集まるのが苦じゃないくらい、誰からともなく声かけて集まれるような、そんな関係が欲しかった。でもなーーんかいまいち盛り上がらなかった。なんか、声をかけてる私の自己満足?みたいな気持ちになって、自分から声をかけることをやめた。   
でも誰からも連絡もなくて、やろうよ!みたいな声もなくて、やっぱり私のエゴなような気がしてやめた。私のエゴだったのか・・・所詮は職場なのかな、みんな。部署違うんだし、情報交換も兼ねて仲良くすることには業務上のメリットだってあったはずなんだけどな・・・。


中学時代からの友人は、彼氏ができた途端、嘘をついて私の誘いを断っていることがわかった。最近外に出たいと思えるメンタルじゃない、といわれたにも関わらず彼氏とドライブしていた。ショックだった。嘘をつかないと、断れないと思われている自分のことが。彼氏との予定はいいの?ってきいたらいいよっていうから誘っていたけれど本当は迷惑で、察して欲しいとかおもわれていたのだろうか。それ以来、友人とはちょっと白々しい気持ちで会っていたけれどまた旅行行こうね~と送って以来、最近連絡が来なくなり縁が消えかけている。

あとの友人、というか月1くらいでご飯に誘う人は連絡するの私ばっかりじゃん!ばーーか!!!!とすねてから、やっぱり誰も誘ってくれないことをじめじめ3ヶ月くらい気にしている。誘えば来てくれるのだからそれでいいじゃないかと思われるかもしれないが、違う!
誘うと、誘われるでは、全然違うのだ!
誘うっていうのは、まずアイデアを考えて、店の候補さがして、予定調整して、予約とかして・・・ってなんかとにかくやって、舞台を整える手間だってある。あと相手の予定に合わせるよ、みたいなお伺いをたてるスタンスで行かなきゃだし、なんか盛り上がらなかった時の責任みたいなのも感じる。なんなんだろうこれ。この過程を知ってて、誘われまちなの・・・?それとも私とのごはん、実はつまらないの?そうなんでしょ!ねえ!!!私ってそんなにつまらない人間なのね!!!!じゃあ断ってくれればいいのに!いや、断られても傷つくけど。

どうして与えたものがかえってこないのか。私はそこが疑問なのだ。納得いかないのだ。私は欲しいものを与えたのに、どうして。

寂しかった。大学時代の人間関係をおいて新しくスタートした場所で自分の居場所が欲しかった。今まではそんなに苦労せずに手に入ったのに。みんなは要らなかったのか、寂しいのは私だけだったのか。彼氏とかさえいればいいのかはいはい解散~~~

・・・・・・でも、ほんとうにそうだったのか。私は今の私だったか?進んで物事の幹事や段取りを引き受けたか?
苦労しなかったのは自分だけで、いつも旅行は誘われてばかりだった。
はぁ・・・今更友人に甘えていた自分のことも思い出す。あああぁぁ・・情けない。友人達は旅行でも勝手気ままな行動をして生返事な私を許してくれていたのに。みんな、誰からともなく楽しいことに誘ってくれていたのに、私はそのことを返せたのだろうか。自分に問いかけるとドキリとする。イタいとこつかれた。なんだこれ・・・・特大ブーメラン(時間差)じゃん。
怖くて思い出したくない・・・本当に情けない。私も似たような人間だったにも関わらずこんなこといわれたこともないしまだ友人で居続けてくれている心の広い友人たちの顔が浮かぶ。ホントにバカでごめんね。みんなありがとう。もう私の嫌なとこ百個とか書いて送られても文句いえません・・・・


このままでは禊ぎというよりは贖罪になってしまう。
だが、私に人を悪くいう権利のないことだけはよーーくわかった。そして私の大学時代の友人たちがいかに人間力が高く器が大きかったかも。こんな時間差で気づいて・・と書き殴りながら感じている。

なんかこれは悩んでも仕方がなくて、もう自然とそうなっていくし気づいたときから自分から動こう、という話なんですね。
でも、気づいたからには、私は誘いあえる人を大切にしたい。人生は人の相互作用で動くのだ!そう教えられてきた。だから私はこの気持ちを知っている人でいたい。知らないと、こうやって知らないうちにもう自分からは会わないリストに入れられて勝手に友達なくすことになることもあるんじゃないだろうか。大体、誘われ待ちは搾取だ、と私は思う。搾取。もうエネルギー泥棒よ。クッソーーーーーーー!!!!!

でも、やっぱり、なんの見返りもなく与えられる人ってすごいな、強いな、うらやましいなと思ってしまう。ただひたすらに、私はまだその域ではないってことなんだよな。進化の余地があるなぁ(妙に前向きになってみる)

書いたらちょっとすっきりしました。封印のお札はまだ貼れそうにないけど時々思い出して悩んだり、もやもやすることは減りそうです。(過去の自分の行いも省みることになるので)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?